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存在の定義って何ですか?

存在の定義とはなんですか? りんごが1個ある。あるから存在する。見えるから存在する。 「あ」という単語があります。意識の中では存在します。 「あちゃちぇ」という物体は存在しません。しかし意識の中で言葉という存在としてあります。 そんざい 0 【存在】 (名)スル (1)人や事物があること、いること。また、その人や事物。 「少数だが反対者も―する」「人類の―をおびやかすもの」「神の―を信ずる」「貴重な―」「気になる―」 (2)〔哲〕〔英 being; (ドイツ) Sein〕何かがあること、またあるもの。有。 (ア)実体・基体・本質・本性など、他のものに依存することなくそれ自体としてあり、非本来的・偶有的でなく、絶対的・必然的にあるもの。 (イ)現に事実として今ここにある事や物および人間の実存。現実存在。 (ウ)感覚や経験に現れるもの。現象。 (エ)判断において、主語と述語を結びつける繋辞(けいじ)。「 S は P である」の「ある」。 ------------------------------------------------------------------ いまいちパッとしません。存在の定義とはなんでしょう?簡単にいっていただけると嬉しいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yayuh
  • ベストアンサー率16% (7/42)
回答No.14

それを存在していると認識したときに存在すると考えれば、存在とは認識の結果だと言えます。 目の前にコップがあるとして、目を閉じたときに、視覚に限定した場合、そこにコップが存在していると言えるかどうかといえば、言えません。

aiueo1324
質問者

お礼

この簡潔な回答を求めていました。どうもありがとうございました。 __________________________________________________________________ 皆様まとめてお礼してしまいますがすいません。 どうもありがとうございました。

その他の回答 (13)

回答No.13

日本語で「存在」と訳される単語はいくつかあります。 たとえば、質問者さんが挙げている辞書の項目で >(ア)実体・基体・本質・本性など、他のものに依存することなくそれ自体としてあり、非本来的・偶有的でなく、絶対的・必然的にあるもの。 これはsubstance「実体」と伝統的にいわれるものです。 >(イ)現に事実として今ここにある事や物および人間の実存。現実存在。 これはexistence「実在」あるいは「実存」と訳されるもののことです。 これに対して、 >「あちゃちぇ」という物体は存在しません。しかし意識の中で言葉という存在としてあります。 というもの、これにはbeing「存在」という言葉しかないと思います。そしてこの場合、「存在」は「意味」にほとんど一致すると思います。しかしこういう「存在」のとらえ方は、まだあまり一般的ではありません。 えーと、質問者さんの疑問はかなりいいところを付いていると思われますので、ぜひ哲学を学び、大学の先生などとこの話題について議論してみてください。

  • ao-golden
  • ベストアンサー率38% (12/31)
回答No.12

存在するとは、関係すること、関係していることだと思います。 存在するものはすべて関係しています。 私達は関係性の中に存在しています。

回答No.11

触れるか、触れないか。 触ることができれば、存在を確認できます。 触れなければ、存在を確認できません。 存在するのは、確認されたからです。あなたが存在するのは、あなたを存在すると確認した人がいるからです。 存在することが何者にも認識されないものは、存在しません。 あなたが知らない国は、あなたの中には存在しないということです。 アメリカ人の多くは、あなたが存在することは認識しないので、あなたはアメリカ人の認識の中には存在しませんが、あなたの存在は、日本人の中では認識されているので、存在します。 存在とは、それほど不確かのものなんでしょうね。

noname#80116
noname#80116
回答No.10

 自同律(自己の同一性)だと考えます。自己還帰あるいは 自己への到来とも言います。  人間として わたしがわたしであること です。  そのほかの生物あるいはものごとについては 残念ながら 二次的・三次的な存在だと認識します。  別の質問に 次のような回答を寄せたら 無視されてしまいました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  存在と存在理由とは どちらが 大切ですか。  生きる理由が分かったから 生きるのですか。  生きるから 考えるのではないのですか。  存在と理性と どちらが 大切ですか。  理性の要求を満たしてからでないと 存在を受け留められませんか。  考えるから 存在するのではなく その逆ではありませんか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  《わたしが わたしすること》と言いかえたほうが いいかも知れません。

  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.9

指摘がすでにあるようにその辞書にある定義がより厳密と思います。 >中身はトマトジュースが入っているが缶の周りの絵柄はコーラの絵柄。 >意識的にはそれはコーラという存在と認識するが。物体的にはコーラではなくトマトジュースである。 これは(ウ)感覚や経験に現れるもの。現象。のカテゴリーでありより限定的な存在の事例になるでしょう。すなわち、慣用的なすべての存在の定義を包含できない。外側の缶でだまされている状態。こういう引っ掛け的な問題にもし注意を払う人なら、これは金属と金属のなかに閉じ込められた、なにか液体のようなものである。そして金属表面にはコーラと書いてある存在である。とかいうかもしれません(笑い)。

noname#140971
noname#140971
回答No.8

補足: イデア論の亜流にかんして。 「存在が先か、意識が先か?」の論争から「そもそも存在とは?」へ。 で、議論は、No6さんの「触れるか、触れないか」という具体的・実証的な見方を否定。 具体的で実証的な見方を否定すれば、もはや、そこに広がるのは言葉遊びの世界。 こうして、ヨーロッパの中世には「神=最高の存在」という学説まで登場。 で、現在では19世紀の宗教思想家キルケゴールに端を発する実存主義がそれを継承。 こうしてプラトンちゃんの考えは、姿を変えて脈々と受け継がれている訳ですよ。 だが、No6さんの「触れるか、触れないか」を覆すもんではありません。 「人間が観察し観測できるもの全般が存在である」という考えの前にはいかなる思弁も無駄。 まあ、こういう問題は、素直に常識的に考えたがいいですよ。

noname#70164
noname#70164
回答No.7

最初に回答を述べます。「存在の定義」はありません。 国語辞典を引くと、「有ること」等と書かれていますね。でもこれは「定義」ではありません。「定義」とは概念等を明確に述べたものですので、 日常用語としての「存在」と云う言葉にはあまりに多くの漠然さがあります。ただ、知覚に拠らず「存在する」ことは認められますね。空気や冷蔵庫の中のケーキ等は、見えも聞こえもしませんが、有るのなら有る訳ですから。 では「神の存在」となるとどうでしょうか。いささか宗教的な分野に入ってしまい、どの人にも明確な「定義」は見つけられませんね。 定義から出発する数学では、「或る集合の中に存在しうるか否か」を問い、「存在すること」よりも「存在の可能性」を考察します。ですので、「矛盾が無ければ可、で良いんじゃないの」と云った感覚です。但し、とても厳密に考察しますが。 では「哲学」は、と云うと、「存在」と云うことそのものが問題となっています。つまり、「存在とは如何なることか」を研究しています。所謂「存在論」です。 ところで言語は一筋縄ではいきませんね。「There is nothing.」を「There is ~.」は「~が有ります。」と暗記している人は、「何も無いが有ります。」と考えてしまいますかr。

回答No.6

触れるか、触れないか。

aiueo1324
質問者

お礼

意味が理解できませんでした。604エラー

noname#140971
noname#140971
回答No.5

× もう、こうなるとソクラちゃんは、「存在=在ること、あるいは、在るもの」では納得しません。 ○ もう、こうなるとプラトンちゃんは、「存在=在ること、あるいは、在るもの」では納得しません。

noname#140971
noname#140971
回答No.4

存在とは、字義通りに「在ること」「在るもの」と簡潔に定義できます。 それ以上でも、それ以下でもありません。 ただ、そうなると、実にその適用範囲は広いでしょうね。 思考や感情などの意識も、確かに現象として「在る」訳です。 ですから、意識という大脳の現象も存在という概念に含まれます。 し、しかし、哲学界ってのは、古代ギリシャ時代から実にややこしいところ。 「存在=在ること、あるいは、在るもの」という定義では納得しない向きもあります。 で、「存在が第一義的で意識が第二次的なのか?」などの論争も度々。 こういう場合には、存在という概念を、もう少し、厳密に定義しなければなりません。 「存在とは意識から独立した客観的な存在である」と。 >個々の存在はイデアの影でありイデアこそが真の実在である。 これが、ソクラテスの弟子であったプラトンのイデア論ですよね。 もう、こうなるとソクラちゃんは、「存在=在ること、あるいは、在るもの」では納得しません。 で、「存在が先か、意識が先か?」という鶏と卵の論争に。 まあ、存在の定義も、「存在=在ること、あるいは、在るもの」で済まされる場合も。 まあ、存在の定義も、プラトンのイデア論の亜流を意識すればもっと厳密に。 そういうことだと思います。

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