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存在と時間が未完のわけ
質問タイトルにあるように、なぜハイデガーの「存在と時間」は未完に終わったのでしょうか?上巻が出せれた後も講義ではたびたび存在に関する講義とかはしていますが、どうしてその後(下巻)が出なかったのでしょうか?存在者が存在することとはどういうことか結局わからなかったからなのでしょうか?
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noname#91529
回答No.1
もともと書く気がなかったようです。 思考のついての小品(1976) ちゅう 「現象学への道のり」というエッセイの中で、ハイデッガー自身が書いていることです。・・・1925年ニコライ・ハルトマンの後任(Phil. Ordinariat)に推されたのですが、「10年も刊行物がない」ことが原因で、この学部の要職につけないという事態になりました(統括官庁がマールブルク大学に人選の再考を申し渡した)。何とかとりあえず出版してくれといわれたハイデッガーは、「存在と時間」を苦し紛れに執筆。 でも第一校が、「内容が不十分である」ことから、「没」になりまして、結局、ふくらみを持たせるために加筆後「第一部」と題して(ま要職就任後それ用の講座でも開いて後付すればいいとでも思ったのかもしれません)。で 再度寄稿し、(フッサール主宰の雑誌に)出版。晴れて昇進した という経緯が語られています。巷ではこのことについては、意外とよく知られているようです。
補足
なんとそんないきさつがあったのですか!なんか少しがっかりしました。