「~という感じ」「~といった感じ」「~といったような感じ」の違いについて
はじめまして。私は、日本語を勉強している外国のもので、最近ちょっといくつかの表現に困ってるんです。いくら考えていてもなかなか答えが出ないませんでした。それで、ここにいらっしゃる皆様の力を借りたいと思います。どうかわたしをお助けください。よろしくお願いします。
質問は下記のようです。(3問あり)
1、筋肉が勝手に弾んでしまう|といった/という/といったような|感じで、恐ろしく小刻みにはねる。 (村上龍さんのエッセイにより)
私が知りたいのは、「~という感じ」「~といった感じ」「~といったような感じ」この三つの違いなんですが、教えていただけるでしょうか。
これから私なりの考えを書かせていただきたいと思います。ご指摘をくださいましたら幸いです。
→「という感じ」は、前記の感じしか持っていないことを表すのに対して、「といった感じ」は前文に描写された感じのほか、何か別の感じも含んでいることを暗示しようとするのではないか、と私は思います。
しかし、後者の「といったような感じ」のニュアンスがよく分かりません。これは「に似たような感じ」という意味に似ているのでしょうか。つまり、普通には、「といった」によって他の例を暗示する働きはここには感じられないといってもよろしいでしょうか。
また、ここに「ような」をつけるのは、ただ自分の考えを断言したくないため、婉曲な言い方(つまり、言葉の曖昧さ)を選んだのではないか、と私は考えていますが、でも、なんか間違っているような感じがするかしないかと...いろいろ迷ってしまう挙句です(-->あ、ここって言い間違っちゃったかな?)
あとは、
→「筋肉が勝手に弾んでしまうというような感じ」のほうができませんか。
もしかすると、このような表現には、「といった」しか使われないのでは?
すみません、第一問なのに、すでにこんなに書いちゃって...なんか質問は長くなるような......予感がします。
2、「これといったものはないかな?」
という文があるんじゃないですか。
こちらの、「これといった」は定着した表現ですね。つまり、「これというもの」や「このようなもの」に言い変えてはいけませんね。(というより、言い換えられますが、意味的には原文とちょっと違いますね。)
しかし、どうして「といった」しかできないのですか。これは日本語のテンスに繋がるのでしょうか。それとも他の原因があるのでしょうか。
そういえば、過去形って、「物事の結果を言い切る」という働き/感じがありますか。私はテンスに苦手なので、ぜひとも詳しく教えていただきたいです。
3、日本のように四季の変化の大きな国では、春、夏、秋、冬といった季節ごとに衣服は無論、調度も取り換えねばならない。
→こちらの「といった」は「等」という意味を表すことではないようですね。なぜかと言うと、四季の具体的な名称はすでに出てきたからです。
というわけで、「といった」の表現は、例示の働きのほか、考えの厳密性と言葉の余裕を示す働きも考えられるでしょう。
しかし、この「余裕」ってやつ(笑)は、一体どこまで通じるのでしょうか。言い換えれば、どのような場合は、「四季=春、夏、秋、冬」のようにすでに例を全部あげてしまいましたのに、「といった」をつけて考えの厳密性を示すことができるのか、
またどのような場合は、例をあげ切れましたところ、「といった」を決してつけてはいけないのか、
という質問ですが、具体例でご説明いただけるでしょうか。
詳しく知りたいのは、大体上記の物なのですが。助けていただけましたらとってもとってもありがたく思います。
考えがバラバラのせいで、文は結構長くなってしまいました。
おまけに、おかしい日本語も時々出たりしています。お目に悪いですね。本当にすみません。>_<
では、ご回答のほうを心よりお待ちしております。よろしくお願いいたします。どうか、迷っている私を、皆様の力でお救いくださいっ!日本語をもっともっと勉強したいんです!
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね、操られる感じがするというのは錯覚ですね。 統合失調症の症状だと思うのですが、頭の中で問いが浮かぶことに対して答えを返してくる感覚および飲み食いする動作を止められる感覚は錯覚だと思いました。 ただ疑問が浮かんだ内容があって、操られる感じがする(=錯覚)の例は何なのかをいくつか知りたいと思いました。 それに関しては新たに質問を立てようと思います。