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幾何学の精神と繊細の精神について

パスカルの幾何学の精神と繊細の精神の意味がよくわかりません。 どなたか例をあげて説明してもらえないでしょうか。

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回答No.1

 こんにちは。  幾何学の精神は 人間理性による経験合理性としての思考――その能力や思考行為そのものやさらにあるいはその成果――を言うと思います。  論理ないし論理性ということであるでしょうが それがすでに固まっているということではないと考えます。  たとえば科学行為というものは とうぜんのごとく事物や事象の側についてその動きや状態を観察したり理論的に把握したりします。つまり 論理が前もって人間の脳裡にいくつもの筋道として持たれていてそれを現実の分析に応用するといった一方的な知解行為ではないとは思います。  繊細の精神は ひとつに理性に対するかたちとしては 感性であるでしょう。そのはたらきです。あるいは 感性をつうじての人と人との関係を言うと見られます。その関係を捉えるのは 感性そのものであり またこれを抽象的に概念化して理論的にも 理性は 認識することをおこないます。  ですがたぶんこのような対比だけでは物足りないように思われます。  もし幾何学の精神が いわゆる線形の論理であるだけではなく 非線形の世界をも 経験合理性において捉えているとすれば 繊細の精神は そのような広い世界を捉えるときの人間の境地のようなものではないかと考えられます。人格と言ってもよいかと。  という意味は 繊細の精神としての感性が じつは 人格ないし人間の境涯を――たしかに 幾何学の精神とともに――磨き上げるのだと考えられるからです。  たとえば 愛というとき いちばん分かりやすいのは あたかも引力のように磁力のように異性に惹かれて行くときの感情です。好きだとか 惚れたとか言う場合です。  もしこの好きという感情の相手が 既婚の人間だったとしたら どうでしょう? つまりその感情のままに振る舞えば いわゆる不倫という《裏切り》を 相手が犯しそのことを自分が認めるという自己への裏切りを犯すことになります。  このとき そうなのですが ようく考えてみると じつは・じつに この裏切り行為について それはだめだという信号を発しているのは――たしかに 理性もそうするでしょうが―― おのれの感性なのです。わが愛なのです。好き嫌いという情感である愛が その愛のままに進むか それともちょっと待てと言っているかの難問について そうっと答えを出しているはずなのです。  理性も出していますが この理性による警戒心やその解答というのは 同じ理性が難なく破るところとなるのが 落ちです。理性は――理性がです―― 何かと理屈をつけて自分の自尊心を発揮しさらには拡張するかのように 感性の動きをわれはコントロールしているからだいじょうぶなどと言いつつ じつは愛がつつしみなさいと言っているその道をすすむことにゴーサインを出すのです。  繊細の精神は それとして感性であり 幾何学の精神をも合わせて捉えるならば 人間の境地のことである。このように考えます。  パスカルから 勝手に 膨張してしまったようですが。