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ユークリット幾何学について

非ユークリッド幾何学がでてきて、問題になったことはなんですか? 「すごい発見だった」みたいな感じで書かれていたのですが、いまいちわかりませんでした。「矛盾が発生しなかった」みたいな感じで書かれてましたが、どういう意味でしょうか?公理を置き換えてうんたらかんたら・・・・  教えてください。

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noname#221368
noname#221368
回答No.4

 #2です。どうも数学になれると、極端に言葉を切り詰める癖ができて、言葉足らずだったと思います。  数学の論理は黒か白かです。平行線公理の否定は、平行線が一本も引けないと仮定したか、平行線は沢山引けると仮定したかのどちらかに、自動的に同等になります。  当時想定された状況は、次のようなものでした。  例えば「平行線は沢山引ける」と仮定したにも関わらず、平行線は一本である事が(他の公理とともに)証明されたとします。このとき、平行線は唯一であるとするユークリッド幾何学のみが、可能なただ一つの幾何学である事がわかります。そして平行線は一本という、平行線公理の性質の一部は、他の公理から導かれるものである事もわかります。ただし「平行線の存在」が、他の公理からの結論であるかどうかまでは、このままでは不明です。  次に「平行線は沢山引ける」と仮定したにも関わらず、平行線は引けないという結論が出たとします。このような場合に、理論は矛盾していると言われます。矛盾する結論が一個でも見つかった理論は、あらゆる結論を「真」とする事が論理的に証明できるので、意味のない理論です(だから矛盾した理論と言われます)。このケースでは、「平行線は沢山引ける幾何学は不可能」である事がわかりますが、こうはならずに、先に述べた方になるだろうと、みんな予想しました。  また「平行線は一本も引けない」と仮定したケースでは、理論は何らかの矛盾を導くだろうと予想されました。こうなれば、平行線のない幾何学は不可能である事が証明された事になり、平行線公理が他の公理に内蔵されている帰結である可能性も大きくなります。  第三の可能性として、「平行線は沢山引ける」と仮定しても、「平行線は一本も引けない」と仮定しても、何ら矛盾のない場合がありえます。このケースにおいてだけ、平行線公理を認めても(ユークリッド幾何学)、認めなくても(非ユークリッド幾何学)、幾何学は可能なので、平行線公理は他の公理と無関係、すなわち平行線公理は他の公理から導けない事がはっきりします。  ところが予想に反して、現実はこれだった訳です。平行線公理は他の公理から導けない事がわかったと同時に、平行線公理を認めない非ユークリッド幾何学「も可能」なのが、わかってしまいました。常識的感覚が通用しなかったという意味で、けっこう衝撃的じゃないですか?(^^;)。  もっともここまで来ると「幾何学とは何か?」という頭の痛い問題も生じますが、それにいちおう応えてくれた人もいます(フェリックス・クラインのエルランゲン・プログラム)。

mikaze007
質問者

お礼

なるほど。面倒をとらせてしまい、申し訳ございませんでした。教えてくださり、ありがとうございます。

その他の回答 (3)

回答No.3

>非ユークリッド幾何学がでてきて、問題になったことはなんですか? 特にありません。 >「すごい発見だった」みたいな感じで書かれていたのですが、いまいちわかりませんでした。 ユークリッド幾何学は幾何学全体のごく一部分、しかも特殊な一部にすぎないことが分かりました。 その後の位相幾何学の発展の引き金となり、宇宙の構造を解明してみせることにも繋がりましたので、エポックメイキングだったと思います。 ちなみに数学のゲーデルの不完全性定理(Gödelscher Unvollständigkeitssatz)と物理学の不確定性原理(Unschärferelation)は全然関係ないと思います。 漢字の名称が少々似ているぐらいかな。

noname#221368
noname#221368
回答No.2

 当時の数学には、この世界を先験的に証明できるたった一つの真理の体系は数学である、という思い込みが多分に入っていました。そこからはユークリッド幾何学以外の幾何学は、たぶん無いであろうという事になります。ユークリッド幾何学は、たった一つであろう、この宇宙の幾何学的構造を反映していると思えたからです。  ところが平行線公理は他の公理に比較するととても自明とは思えず、他の公理から導けるのではないか?と、問題になりました。しかしいくらやってみても、上手くいかない。  そこで誰かが気づいた訳です(名前は忘れました)。平行線公理のかわりに「平行線公理の否定を仮定」した時、論理が矛盾すれば良いのだ・・・と。  ところが矛盾しなかった。という事は、ユークリッド幾何学が成り立たない、この宇宙以外の世界も論理的にはあり得る事になる。  もちろん当時の人達の全員が、「たった一つであろうこの宇宙を、先験的に証明できるたった一つの真理の体系が数学である」と思っていた訳ではありません。どちらかというとアカデミックな人達がこう思っていましたけれど、この人達は数学のプロ集団だったので、彼らの発言の方が、今に伝わっています。  上記のような立場にとって、「この宇宙以外の世界も論理的にはあり得る事」は、それなりに衝撃的でした。「すごい発見」な訳です。  20世紀に入り、我々の宇宙が厳密には非ユークリッド的である事が、相対性理論によって実証されてしまします。この時「すごい発見」には、もっと即物的で現実的なニュアンスが(後付で)追加されました。  そして数学に対する、「先験的証明を持つたった一つの真理の体系」という幻想を打ち壊したのは、確かに#1さんの仰るように、ゲーデルの不完全性定理であるのは事実です。

mikaze007
質問者

補足

回答ありがとうございます。すいません、なんせ頭が悪いので途中で話について行けなくなりました。 平行線公理のかわりに「平行線公理の否定を仮定」した時、論理が矛盾すれば良いのだ・・・と。 ↑この部分なのですが、なぜ論理が矛盾するといいのですか?あと「論理が矛盾する」とは具体的にどういったことなのか、いまいち理解できませんでした。「矛盾しなかったからユークリッド幾何学が成り立たない」ってどうしてですか? 

回答No.1

ユークリッド幾何学における公理系において、平行線公理 (直線の外部の点を通る平行線は、一本だけ引ける)は 公理系が成り立つ上で必須であるが、他の公理のように 公理系において証明できないものであった。 そこで、仮に「平行線は、一本も引けない」あるいは「平行 線は、たくさん引ける」という別の公理に入れ換えてみても、 それぞれ豊かな幾何空間(非ユークリッド幾何学)が成り立 つ事が明らかとなった。 それは、やがてゲーデルの不完全性定理において「公理系 は不完全(それ自身では証明できない公理の参入)である 事によってのみ、無矛盾であり得る(Aと非Aを同時に導か ない)」という形で、必然性を証明された。 それはまた、現実世界における、「確定性を記述する物理学 が、確定性の限界を定義する不確定性原理の参入において 完結する」という事にもつながる。

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