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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:馬場信春について)
馬場信春の魅力と逸話
このQ&Aのポイント
- 馬場信春とは、武田家臣であり武田四名臣の一人でありました。彼は、長篠の合戦まで数々の合戦に参加し、傷一つ負わなかったという逸話があります。
- また、本多忠勝という徳川家臣も同様に合戦に臨み一度も傷を負わず、猛将として知られていました。しかし、信春の場合はあまりそのイメージがつきません。
- なぜ信春は長篠の合戦まで傷を負うことがなかったのか、その理由について皆様の考えを教えてください。また、無傷の逸話に関して私の考えとして、信春は「不死身の鬼美濃」と呼ばれた原美濃守虎胤に憧れ、彼の武勇をあやかるために無傷で戦ったのかもしれないという考えもあります。皆さんの意見をお聞かせください。
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彼はテクノクラートとして仕えた為勇武の人では無い 築城術に優れ坑道掘削による攻城も得意としている。 彼が恐れられた所以はその指揮能力の高さにあると考える。 緩急心得た用兵を行い、決してムリをしない為いつも堅陣であり攻めにくい。 敵の兜が上がってるときは弱兵なり撃つべし 敵が兜を目深にかぶり短き槍を持って攻め来るときは強兵なり、ただ守れ など、指揮の的確さが目立ちいつも敵の弱点を付いていたそうです。 蛮勇な者など挑発して罠にかけやすい愚か者でしかないが、慎重で抜け目ない馬場さんは 敵としてはとても恐ろしい存在であったでしょう。 また、築城を得意とすることから附け城や陣城の縄張りも巧みであったでしょう。 馬場の恐ろしいところ、学んだところはどこかと聞かれた家康の回答であったと記憶しています。