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戦国最強本多忠勝…?
見てくださった方ありがとうございます。 前回http://okwave.jp/qa4848359.htmlで質問をした者ですm(_ _)m 非常にくだらない質問なのですがお付き合いいただければ嬉しいです。 よくここのサイトでも他のサイトでも戦国最強の武将は誰だ?などと討論しているのを見ます。その中に本多忠勝の名をよく見ます。 本多忠勝のことは歴史の本などで知っています。生涯五十数度の合戦に臨み無傷であった伝説や信長や秀吉が絶賛したことや一言坂での殿など名将であったに違いありません。 しかし、最強と呼べるほどの逸話や武勇伝はあるのでしょうか?例えば「何々と言う名の猛将の首を取った」などです。 個人的には可児才蔵などの首獲りや、寡兵で大軍を撃退した武将の方が凄みを感じるのですが・・・。 また、稀に前田慶次が最強というのもよく見ますので良かったら理由を教えてもらえませんか? 戦国時代で最強の武将を選ぶってのも馬鹿げてるというのも分かってますし、ゲームや小説の影響も入っているのも理解しています。 また、僕は本多忠勝や前田慶次が嫌いなわけでなく(どちらかと言うと好きです)単純に最強を唱える理由が知りたいだけですのでご理解ご協力お願いします。 長々とつまらない文章をお見せして気分を害する方おられたらすみません。 どなたかご回答お願いします!
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結果的に天下を取った徳川家の家臣が後世で高評価を得るのはしかたのないことです。戦国時代に記された現存書物は極めて少なく、戦国時代の事を記した書物というのは言い伝えで江戸時代に書かれたものがほとんど。もしくは戦国時代に書かれて江戸時代に修正改正され再販されたものです。徳川の世なら贔屓目で書かれ都合に悪いことは抹消されるのは当然です。 例えば家康の辛い幼少時代などいい例です。あれは家康が今川を裏切った事実を正当化するために江戸時代に歴史事実を修正され『三河物語』として世に出たものです。本当は今川に人質として冷遇されてた事実は無く今川義元に息子のように大事に保護されてました。 前田慶次はやはり漫画や小説が原因でしょうね。慶次はたしかに最強説は多いですが近年まで存在さえ創作ではないかと怪しまれていました。 正直なところ逸話と創作が混合した現代では当時の真実など判りません。 逸話でいうなら武田家家臣の馬場信春や山県昌景も凄いですよ。 馬場は人生で70回を越える戦闘に参加し、長篠で戦死するまで40数年間かすり傷一つ負わなかったため不死身の鬼美濃と呼ばれていた。修羅場数でいえば本多忠勝以上ですよね。 山県は赤備え隊として有名ですが、赤備えが最強部隊の代名詞となったのは彼が発端です。山県死後、井伊直政や真田信繁らも山県にあやかり赤備えを採用しているのを見ても、その強さがいかにリスペクトされていたかがわかる。三方ヶ原の戦いでは旗本を打ち崩して家康を討死寸前まで追い込み、家康は死を感じて脱糞してしばらく山県の残像に悩まされたといいます。家康を最も震え上がらせた武将だといわれてます。 話が脱線しましたが、本題の本多忠勝の話もしましょう。忠勝は[とんぼ切り]という6メートルもある長槍(扱いが難しくかなり重いと推測)を自在に振り回す力を持ち、戦場を駆け回った。小牧長久手の戦いではわずか5千の兵を率いて3万5千の秀吉軍を翻弄したという話もあります。また徳川の不動のクルーザーとしてほとんどの戦に参戦し家康を守っている。家康が度重なる危機に命を落とすことがなかったのは、先鋒の井伊直政とシンガリの本多忠勝の活躍が大きかったと言われています。 前田慶次に関しては事実が怪しい逸話が多いのであえて書きません。 結局、真実と人物を知り、最強を選べるのその時を生きた人だけなので当時を知らない現代人が判断するのは難しいと思います。
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- Pinhole-09
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雑誌「歴史街道」2008年3月号に 本多忠勝の 2006年11月号に 前田慶次郎の 特集がのっています。 慶次郎については上杉景勝に仕えた活躍は載っていますが、前田利家に仕えた武功は載っていません。 不仲の利家から景勝に奔った経緯から、前田家の記録から慶次郎の武功は消されたようです。 抜け駆けのように軍規に従わなかった事もあったようです。 私も慶次郎ファンで8冊本を持っています。
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回答ありがとうございます! さすが天下の傾奇者とも言われる前田慶次郎ですね。 記録が消されたのに彼の逸話が残るのは彼が非常に魅力的だったからかもしれませんね。 ありがとうございました!
- tatsuya815
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本多忠勝が戦国最強かというと・・・ 違うと思います。 「最強」の称号というのは評価を下す人の主観と思い込みが、ほとんど。 だいたい各武将が直接タイマン張った訳でなく、同じ状況、同じ勢力、同じ条件で戦ったこともないので「誰が最強」というのは言うだけ虚しいでしょう。 武将を語る上で逸話というのがよく出てきますが、逸話は寓話。いわゆる脚色した話。夢を広げるには良いですが鵜呑みにはしないほうが。 特に徳川家譜代の武将は良い様にしか伝わってませんよ。 かくいう私のお気に入り1番は真田信繁。 寡兵をもって衆を討つ戦術は流石だと悦に浸ってます。 その他には立花宗茂。高橋紹運の息子にして立花道雪の養子。 文武両道で秀吉に「花も実もある武士」と賞賛されたといいます。
お礼
回答ありがとうございます! 徳川家の武将だからこそ評価が高いってことも含まれているのかもしれませんね。 僕も立花宗茂は大好きですよ!非常に優れた戦術家だと思ってます。 ありがとうございました。
お早う御座います。 明らかに、「ゲーム」の影響でしょうネ。 (^^) 「本多忠勝」が「最強の武将」とする根拠みたいなモノは有ると思いますよ。 先ず、五十回を越える合戦に参加しながら「かすり傷」一つ負わなかったと言う逸話は有名です。 つまり、闘いに敗れて命を落としてない。 更に、「徳川家康」と言う、戦国時代の最終的勝利者に忠義を尽くし、ダーティなイメージが薄い点も評価が高い一因だと思います。 (実際の本多忠勝は、晩年は不遇だったそうですが・・・)
お礼
回答ありがとうございます! たしかに無傷=不敗・無敵ってイメージつきますよね。 そこからゲーム会社は最強ってしたのかもしれませんね(^_^;) ありがとうございました!
お礼
回答ありがとうございます! 最強かは分からないですが、やはり本多忠勝は名将でありことには変わりないですね! 家康が天下を獲れたのも徳川四天王はじめ多くの名臣のおかげなので評価されるのは当たり前のことなのですね。 ありがとうございました!