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戦国時代の武将達の名前

昔の人達って苗字と名前の間にもなにか入っていますよね。 例えば、 「馬場美濃守信春」でいう 美濃守の部分です。 美濃って地名ですよね。 それでみんなそんなふうに地名がついてるのかと思えば、 本多忠勝は、 「本多平八郎忠勝」 高坂昌信は、 「高坂弾正昌信」 になっていました。 これは一体どういう風に決まるのか、また、どんな種類があるのか、わかるかたどうかお教えください。お願いします。

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  • koon1600
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回答No.1

官職については、延々と同じ質問が出ているので。コピペ状態はさすがにあれですから、下のURLを見てください。美濃守はこれです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2280400 あと、本来的に律令制にもとづく、官位官職については、以下のURLを参考にしてください。 http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/index.html http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kanitop.html また、平八郎は、通り名というものです。当時、名前(忠勝など)と言うのは諱(いみな。忌み名)と言うものでして、家族か目上の人以外は基本的に呼んではいけないものでした。 おおよそ元服時に名と一緒に決めることが多いのですが、つけ方はいくつかあります。 まず、太郎次郎系。これはそのままです。現在にも続いていますが、通り名の代表ですね。 そして、又左衛門、とかいった「官職名のもじり」です。もともと左衛門というのは、衛門府という役所の右左の左なのですが、それをもじったものですね。まあ、官職もどきともいえます・・・ ちなみに、こちら二つはだいたい一族で続けて名乗っている場合が多いですね。なお、高坂は「源五郎」を名乗っています。弾正忠は、官職名です(本当は大忠と少忠に分かれるのですが)。

その他の回答 (1)

  • tetsu4
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回答No.2

美濃守ですが、これは美濃守護職のことです。 ただ、このような○○守や○○介などはただ単にはったりをかますだけの名前で、実際地方の小豪族のそのまた家来が「○山信濃守」とか仰々しく名乗っていたりします。 これは信長も同じで、尾張の守護の家来の家来のそのまた息子が「織田上総介信長」などと名乗っていたのです。 ちなみに、同時期徳川家康は「徳川三河守家康」と名乗っていましたが、これはしっかりと朝廷に裏金を渡して任命されたもので正規のものです。 馬場美濃は無論はったりです。 本多平八郎忠勝についてはNo.1の方と同じですが、通り名はあんまり一族で名乗り続けている例は無いと思います。それなりにはあったかもしれないけれど、それはそれなりに理由(○代前の何々様が殿様から直々に下賜された名前だ!!とか)があったのだと思います。(私が知らないだけ?それだったらすみません)

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