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家紋と血筋についてです
私の家の家紋は「右離れ立ち葵」というものです。 調べてみると徳川家臣本多忠勝の家紋と同じようなのです そして偶然にも私の苗字は「本多」です 家紋と苗字が同じということは なにか関係があるのでしょうか? 関係あるかわかりませんが、先祖は佐賀鍋島氏でもあります
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- Pinhole-09
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本多家は九州の出身です。 「参河藩翰譜」には本多平八郎忠勝は、九条右大臣師輔の12代の孫藤原助秀の後胤なり。 助秀初めて豊後国に下り、本多という所に住み、本多を名乗れり。 その子助定より6代目が三河国に来たりて長規に仕えるとあります。 本多氏に豊後守を名乗るのが非常に多い理由が判りました。 豊後に残った本多氏の中から鍋島家に仕えたり、姻戚関係になる者がいても不思議はありません。 家紋は立ち葵です。
ほとんどが適当です。苗字も家紋も適当につけたケースがほとんどです。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 (1)葵の紋は、京都賀茂神社の神紋であり、賀茂神社の神主、氏子、信仰者に葵紋が広がりました。 (2)三河から伊豆にかけて「賀茂」という地名が残っており、賀茂神社の社領が多くあった名残です。 (3)三河に居た松平氏、伊那氏、島田氏、本田(または、本多)氏が葵紋を使っていたが、徳川家康が天下を取ると、葵紋の独占を図り、他家での使用を禁止しました。 (4)ただし、本田氏のみが賀茂神社神官の出自であったため、徳川家の独占に対して、 「殿こそ、新田の出であるのであれば、丸に一の「一引紋」に変更されたらいかがでしょう」 と、断り、家康もそれにはさすがに「理の当然」と考え、本田氏も葵紋を使用することを許可しました。 さて、あなたのご質問についてですが、備前鍋島藩と家康の家臣である本多氏との係わり合いは、まあ、「無い」と言っても良いと思います。 しかし、本多(または、本田)氏が神官の出自であることを考えると、賀茂神社との関係を探ってみてはいかがでしょうか。 参考までに・・・。
お礼
ご丁寧にありがとうございます! 鍋島氏が先祖というのは、よく調べてみると 八代藩主の側室の家系ということでした(側室ですが子が九代藩主なので先祖と言ってきたようです) 賀茂神社ですか・・・・ 少しずつ調べてみようと思います
- J_Hiragi
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たまたまでしょ 鍋島とはまったく本多は関係ないよね?
お礼
それは初耳です!!なんだか少しずつなぞが解けてきたみたいでうれしいです ご親切にありがとうございました!!!