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哲学研究の意義とは
- 哲学研究の意義について考えてみました。
- 研究は問題を明らかにすることで何かに貢献できると思いますが、哲学の分野ではその意義がよく分からないです。
- 自己満足だけなら研究論文として表現する必要はないと感じますが、研究費の取得には意義が書かれているのか疑問です。
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>研究の基本は、何か明らかにすべき問題があり、それを明らかにする事によって、何かに貢献できる。ということが、物事を研究する意義である >自分の好きなことを勉強するだけ、自分の知識を増やすだけなら、研究論文として表現する必要はなく、そういった研究職でなくても良い訳ですよね。 質問者様のご質問の趣旨は、大学では実学だけをやっておればよいのに、というお考えでしょうか。 実学でない大学は文学畑以外にも美術大学、音楽大学などがありますが、これは如何お考えでしょうか。美術も音楽も今じゃビッグビジネスの可能性があるから別だ、と仰りたいのでしょうか。文学だって、たとえば村上春樹とか儲けがしらがいますが。 大学とはいちに研究機関であり、世の叡智の保護と育成システムとして発達した経緯があります。現在の日本は営利追求の株式会社になっていますが、これは本来の姿ではないと思います。 つまり、世にはまれな大天才が安心して象牙の塔にこもって存分に力を発揮し、その成果を残してほしいという、社会に対する貢献が大学機関の一義的な存在意義だといえます。ただ、短期の簡単な経済的成果を計算するのは多くの場合不可能に近いでしょう。 文学、歴史学、哲学研究の意義とは、これまで人類のなしえなかった知の構築ということでしょう。後世の人類はそれらの研究の成果を読み、研究することによって、更なる叡智の高みへ登る可能性を持つわけです。世俗的な成果、貢献だってあります。サルトルの構築した実存哲学は世の多くの知性に人生の真実のなんたるかを実感させましたし、そのことでノーベル賞(文学賞)を授与されました(辞退しましたが)。
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- Mokuzo100nenn
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並の人間は幼稚園の砂場で哲学して、大学では人様の役に立つ建築学などを学ぶもんだよ。 幼稚園時代に哲学をやりきらんかった者が大学などでまだ哲学をやっているんだ。 そのなかでも特別の奥手が哲学の研究者になるんじゃないかな? 哲学の研究者に税金が支給されている理由は、ギリシャ語が分からん者にもソクラテツの考えを学びやすくして、ドイツ語の解らん奴にもニーチェの言っていたことを聞かせてやろうという日本政府のサービス精神だと思うよ。ソクラテツの側近が残したギリシャ語の文献やニーチェやヴィトゲンシュタインの残したドイツ語の本は外国語学部の先生でも正確に翻訳できんかもしれんからな。哲学の研究者は商売として翻訳をして、空いた時間で哲学しているんじゃないかな。
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ご回答ありがとうございます。 日本政府のサービス精神ですか。それで、食べていけるのは贅沢ですね。
- cyototu
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>自分の好きなことを勉強するだけ、自分の知識を増やすだけなら、研究論文として表現する必要はなく、そういった研究職でなくても良い訳ですよね。 んにゃ、世の中そうはできておらんぞよ。自分の好きなことを勉強するだけ、自分の知識を増やすために研究職について金貰って研究論文を書ているんだぞよ。世の中の役に立ちたければ、工学部に行くんじゃな。他の学問はたまたま人の役に立ったって、そんなの付録じゃ。そんなことばっか考えていたら、他の学問はでけんて。本末転倒しちゃいかん。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >たまたま人の役に立った、付録だ 本当にそうだと思います。その辺りがまだ胸張って主張できない自分はまだ、学問の尊さが分かっていませんでした。
- 雪中庵(@psytex)
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宇宙開発の意義は、「その波及効果による技術的進歩」だと 本当にお思いですか? 100m走者が体を鍛えて限界に挑戦するのは、大会の出場料を もらうためだとお思いですか? 芸術家が絵を描くのは、コンクールで賞をとったり、金持ちの 家の壁掛けにするためだと思いますか? もし、人の生きる目的が、肉体的増殖や物質的繁栄のためではなく、 精神的充足感のためであるならば、「社会の役に立つ」という事 において、「人の認識を深める」というのが主要な要素です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は、学問が利益・生産性の追求のためなど、低俗なことを言うつもりはありません。 興味があるから、勉強する・研究するものだと思っています。 もっと言えば、「趣味」だと考えています。それでお金をもらえるなら、こんな嬉しいことありません。
- kobarero
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「新しい概念を作る」ということに尽きるのではないでしょうか? 例えば、唯物論、唯心論、観念論などの概念は物理科学がまだ未発達の時代に作られたため、現在の世界認識からはズレていると思います。現在の科学技術を踏まえて上で、新しい世界に関する概念を産み出す必要があると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「新しい概念を作る」確かにそのように思います。 本研究は新しい概念を作ることを目的とする。(そんなに簡単にはできないが) →新しい概念を作るのは何のためですか?新しい概念を作ることによって、どうなるんですか?何に貢献するんですか? こういう疑問をもつこと自体、その学問の意義が分かっていないということですかね?
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お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに、芸術部門の大学も検討すべきでした。そういった学問こそ、高尚だと思います。 私の主張は決して、営利や生産性を追求する・しないではないです。 私の専門は医療系の分野でして、ある命題を研究することが、患者を含め人々の生活に貢献するといった大義名分があります(そんなものの多くは自己満足ですが)。そういった世界にいると、それを研究することが果たして、何の役に立つのか?と考えてしまいます。それは、決して経済的な貢献ではないと思います。 「更なる叡智への高み」を目的として、研究を行っても賛同を得られにくいのも事実です。患者や人を対象とした研究をすれば尚更です。常に、「それをしてどうなるの?」「何の役に立つの?」と問われます。その問に対する理論武装がまだ出来ていないのか、私の属する分野が学問的に成熟していないのか。答えは分かりません。