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浅井備前守

裏切り者の浅井長政が後世美化されているのはなぜでしょうか? 明智光秀や松永弾正並に扱われてもいいのに。

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回答No.4

それはあなた、簡単でしょう。 徳川二代将軍秀忠の正妻にして、旦那を尻にしいて側女を置かせなかったつおーーい女性はだれでしょう? 戦国期の評価はだいたいそのあたりの時代に、江戸幕府の都合で確定したわけで、超権力者のお父さんを悪くなんて言えない^^。

回答No.3

諸説いろいろあるかと思います。 まず、大きな理由は「織田信長」という人物の物語をドラマッチクに するために用意された演出。 ・兄弟のように仲の良かった信長・長政 ・絶景の美女といわれた信長の妹・市を嫁がせる ・二人は仲睦まじい夫婦となる ・信長は朝倉を攻撃、朝倉・織田とも同盟を結んでいる長政の苦悩 ・結局、信長を打つことに ・織田軍は手負いの中、逃げかえる ・市を捨ててもよいと、浅井軍を打つ ・長政の頭蓋骨で酒を飲む 世の中の捉え方は、こんなんだと思います。 信長の妹までもらっておきながら、裏切りやがって! これが一般的な世論かもしれませんが、他の回答者さまもおっしゃら れているように、ケンカをふっかけたのは信長であって、浅井は義を 通しただけかと思います。 それと、近頃の戦国ブームにあやかった、長政の勝手なイメージの 効果も強いと思います。 市の旦那であれば、それなりの器量だろ。ってことで、アニメ、ゲーム では美男子で描かれることが多いと思います。 また、市も兄の信長になびかず、共に長政と戦った。夫婦の愛の絆 めいたエピソードも、長政の好感度を上げている要因かと思います。 歴史の評価ってもんは、事実よりそのイメージ(小説なり、TVなりが 勝手に作った)が世論になっているイメージがあります。 僕は¥、史実は史実、フィクションはフィクションで楽しもうと思っています。

  • fumkum
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回答No.2

>裏切り者の浅井長政が後世美化されているのはなぜでしょうか? 明智光秀や松永弾正並に扱われてもいいのに。 織田信長の方がずっと美化されているように思います。 長政の孫が秀頼と家光ですから、特に家光の存在は大きかったのではないでしょうか。あまり悪くは言えなかったのではないでしょうか。 浅井家について独立の戦国大名ではなっかったとする説が出されています。制札の書式の研究から朝倉家の支配下にあったのではないかというのです。ですから、信長に応援して朝倉家を攻めれば裏切りとはなったでしょうが。 また、独立の大名と考えても長政の行動は裏切りと非難されるほどではないように思います。信玄を例にすると、今川・北条との三国同盟を義元の戦死後、自分の跡継ぎの義信を死に追い込み、嫁である義元の娘を今川に返し、今川領に攻め込みます。このような例は多く見られます。北条氏康などは信玄を非難していますが、死に臨んで信玄との和睦を遺言しているぐらいですから、戦国の世にあってこれ位のことは普通の出来事だったのではないでしょうか。 しかし、明智光秀や松永弾正は弑逆であり、戦国時代の当時としても最大限の非難をされています。長政をそれと同列に論じるのはどうかと思います。 歴史を現代の価値観で見ない方が良いのではないかと思います。 以上、個人的な意見ですが。

noname#103791
noname#103791
回答No.1

浅井長政が織田方と交戦するに至った経緯を考慮しないで裏切りと切って捨てるのは、どうかと思いますが? 難癖を突けて攻め入った織田勢に対し朝倉への義理や筋道に徹した浅井家。 浅井家に対して『裏切り』と解釈するのは織田家寄りの資料しか見ていない証拠です。 明智光秀や松永弾正に関しても同じです 。日本史や戦国武将が好きならもっと、偏見持たずに勉強した方がいいですよ。

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