• ベストアンサー

織田信長が朝倉攻めを浅井長政に連絡しなかった理由

浅井氏に事前相談が無かったせいか、浅井家は織田家に不信感を抱き朝倉家側へ寝返りました。織田信長の心境としては、 A. 朝倉氏と浅井氏は親戚で、浅井氏に連絡すると反対されるから。 B. 朝倉氏と浅井氏は親戚で、浅井氏に連絡すると朝倉氏に報告されるから。 C. 朝倉氏と浅井氏は親戚で、浅井氏に連絡すると朝倉氏側へ付くから。 D. 朝倉氏と浅井氏は親戚で、浅井氏には参戦せず中立でいてくれれば勝てそうだったから。 E. 織田信長はコミュ力がやや弱く、必要最低限の説明しかしなかったから。 F. 織田信長は優しく、義弟の浅井長政には「見ザル聞かザル言わザル」ととぼけていてほしかったから。 G. その他。 戦国武将同士の高度な駆け引きで私には坂の上の雲の世界ですが、報連相について何か教訓を引き出せますか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.5

事前に通告すると情報が朝倉方に筒抜けになるのは避けられないですからそれを嫌がったのと、電撃作戦であっという間に朝倉を亡ぼせば、既成事実の積み上げで浅井も受け入れざるを得ないだろうというのがあったと思います。だからこそ、織田軍は電撃作戦で一気に朝倉領に攻め入ったのです。 また信長としては、長政には妹を嫁がせているし、賢明な長政なら織田と朝倉のどっちをとるで織田をとるに決まっているだろうという考えというか、甘さがあったのではないかなと思います。 そこは超合理主義者で他人の気持ちを理解することができない信長の欠点ですね。 朝倉義景って生涯でほとんど自ら兵を率いて出陣していないのですが、それは朝倉家ってのは一枚岩じゃなくて軍勢の動員についても各家臣に「出陣をお願いする」くらいの力しかなかったんですね。だから朝倉・浅井連合軍と信長の戦いって3年くらい続いたのですが、その間に朝倉軍が総力を挙げて出陣したってのはほぼありません。 そのくらい家中に力を持っていない義景を長政がとるわけがないだろうと思っていたのでしょう。 それでも長政に対して「朝倉を滅ぼすから、お前が先鋒を努めろ」といわなかったのは信長の優しさ(のつもり)だったのではないかなと思います。通常はこういうときは「お前、織田と朝倉とどっちをとるか」と迫り「織田をとります」といわせたら「よし。じゃあその証に先鋒を努めよ」となるのが当時の常識でした。

DK000
質問者

お礼

なるほど思い返せば、桶狭間の戦いでも織田信長は家来に出陣を伝達せず、「後から追い付いてくれるだろう」みたいな考えだったですよね。速攻で既成事実を作り上げるのですね。当時の常識の解説もありがとうございます。

その他の回答 (4)

  • maskoto
  • ベストアンサー率53% (538/1007)
回答No.4

この頃の信長公は、将軍の補佐役でしたから、自分の命令は将軍の命令に等しい 格の違いから、一大名に過ぎない浅井氏に、自分が行おうとしている軍事行動の内容を一々伝える必要はないと考えていた そんな気がします

DK000
質問者

お礼

将軍の補佐役だったのですね。ありがとうございます。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (415/1290)
回答No.3

Gのその他でしょう、浅井家を信用していなかったからでしょう。 政略結婚で嫁いだ女性は刺客でもあるのです。 戦国大名で病死とされている中に、寝首を欠かれた殿様が どれ位いるらや・・・ 子供が生まれたら家督相続する事に切り替えます、女は男など 足元にも及ばない強く逞しい存在なのです。 かの、山本五十六が言いました「歴史は男が動かし、女は、その男 を動かす」。 映画「蜘蛛の巣城」で、殿様の三船敏郎をさりげなく手玉に取る 奥方を演じた山田五十鈴の流し目が強く印象に残って居ます。

DK000
質問者

お礼

目立たないけど行動力や決断力に優れた、賢い女性と結婚できた男性は幸せ、物事が上手く進みますよね。ありがとうございます。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.2

浅井家の中で信長派ってほぼ浅井長政本人だけなんですよ。 父浅井久政が健在で火中の中には影響力があるだろうし、重臣も兵も朝倉びいきです。 そんなところに連絡したら長政自身も困ります。同盟国どころか幕府の戦いに無視を決め込むのは体面が悪いし、とはいえ手兵を率いて参戦しても誰も戦おうとしません。それどころか戦場で寝首を刈かれて裏切られることさえリスクです。当然戦支度をするまえに朝倉にも筒抜けでしょう。 そしてこのくらいのこと当然信長自身がすべて把握しています。困らせるだけ、下手すりゃ裏切るような浅井家、来ると言われたら拒むのもおかしな話だし来ても扱いに困るでしょう。無視されても浅井家に幕府の命を無視したなんて事実作っても長政を困らせるだけです。 お互いにとって知らせない、知らないことにしておくのが一番都合がいいんですよ。

DK000
質問者

お礼

私の立場を考えてくれて冠婚葬祭の連絡が来ない場合も多いので、連絡が来ない時も感謝すべきなのかもです。鋭い人間関係の観察をありがとうございます。 信州真田家のように、父浅井久政は朝倉方、朝倉長政は織田方に付けば、どちらが生き残ったかもですよね。家族仲良く一致結束、父親に従順な息子だったのでしょう。

回答No.1

信長が生まれる前から、朝倉と浅井は同盟国とも言える友好関係です。 浅井に知らせたら情報は筒抜けと、信長でなくてもすぐにわかることでは?

DK000
質問者

お礼

朝倉家も情報収集する商人や忍者を使って、信長の動きを細かく探っていたとは思いますが、朝倉家と浅井家は長年のお付き合いだったのですね。ありがとうございます。

関連するQ&A