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浅井長政
浅井長政たちは箔濃になった後どうしたんでしょうか。 安土城とともに焼けてしまった、信長が松飾をとるときに一緒に埋めてしまった、娘たちが持って行ってしまった・・・、義景さんは? 確実な説はないようですが、これといった伝承はないでしょうか。
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- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
太田牛一はやはり信憑性に欠けます ルイス・フロイスの信長公記が良いかと 信長周辺というのは最後どうなったかわからない伝承が多いですよね この髑髏の杯といい お市の小豆の話も創作だし 濃姫の消息も不明だし
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
その後でしたか ちなみにご存知とは思いますが どくろの杯の逸話は後世の創作です
お礼
質問する前に調べた範囲では「信長公記」(太田牛一)に 古今承り及ばざる珍奇の御肴出て候て、又御酒あり。 去年、北国にて討ちとらせられ候、 一、朝倉左京太夫義景首 一、浅井下野 首 一、浅井備前 首 已上、三ッ薄濃にして公卿に居ゑ置き、御肴に出され候て御酒宴。各ゝ御謡御遊興、千々万々目出度御存分に任せられ御悦びなり。 「織田軍記」(遠山信春)では 信長公御機嫌宜しく三献の御酒宴あり、其後又此肴にて、一献めぐらすべきの由御諚ありて、黒漆の箱を取り出され、列座の中に指置き給ふ、柴田勝家是を見て、いかなる御肴にて御座候ぞと申上ぐる、信長公自身其箱の蓋を御ひらき成され候へば、金銀の箔にて濃付けたる白頸三つあり、各札を付けられて、朝倉義景、浅井久政、同長政三人の頸なり、出仕の面々皆以て、あはれ是はよき御肴と申上ぐる、 と書かれており、3人の首を薄濃にして並べ、それを見ながら家臣一同酒宴を楽しんだ、と書かれていますが、酒宴の後どうなったかが書かれたものがない。 これだけ有名なものですし、信長の妹の市にとっては夫、姪達にとっては父親と祖父であり、特にこの3姉妹は権力者の側にいましたから、何か伝わる話があってもと思うんですが、伝承すら探しきれません。 お寺の縁起で、うちには首塚があるとか、寺宝にしてお祀りしているとか、何かあってもよいと思うんですけど。
補足
どくろ杯は 「古今承り及ばざる珍奇の御肴出て候て、又御酒あり」の部分をおもしろおかしく解釈したんだろうと思います。 確かにどくろ杯を片手に酒をあおるという姿を想像すると、狂気を孕み、その後の信長の運命を暗示するプロローグとしては面白いと思いますが、実際は並べて生きている頃を想いながら酒を飲むという、一種の鎮魂、信長の美意識の発露だったと思います。 なお、屍体も馴れないと怖いと思いますが、馴れてしまうとそういう感覚はなくなります、病院に居ると日常なので、当時の武将達も屍体が転がる風景など見慣れた景色で、中には血まみれの手で干飯を頬張ったりしていたと思いますから、薄濃の首を見ても何とも思わなかったと思います。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
浅井長政と朝倉義景は滅ぼされた後どくろの杯にして信長がお酒を飲んでいます ちなみに長政の長男万福丸は信長の命令で秀吉に処刑されたというのが通説ですが 実は落ち延びたという話もあります
お礼
質問はその後なんですよ。 また使おうと仕舞っておいたら安土城炎上で燃えてしまったのか、江さんたち娘達が貰ってどこかのお寺に葬ったのか? 歴史的にも有名なもので、普通は何か言い伝えがあってもよいと思うんですけど。
- uen_sap
- ベストアンサー率16% (67/407)
長政の骨のことを言ってますか? 土に戻りました。
お礼
>土に戻りました。 どういう経緯で土に戻ったんでしょうか? 安土城の炎上ででしょうか、それともお正月後に下げ渡されて葬られたんでしょうか。 調べてもその後どうなったかが全く出てこない、私もたぶん土に戻ったと思いますが、「何時」「何処で」「誰によって」が全く不明。
お礼
太田牛一も信長の側近ですから、どうしても信長目線で書かれるので、信長にとって都合の悪いことは書かないか、矮小に書き、都合の良いことは大げさに書く傾向はあると思います。 その点ルイス・フロイスは中立的な立場ですから、自身が見聞したことをそのまま書いているという点で信用できますね。 そういえば濃姫、この方も美濃から嫁いだという以外は名前も定かではなく、そもそも何時亡くなったのか、信長との結婚生活がどうだったのか、不明な点ばかりで、こういうことを考えると「タイムマシン」でもないかと思ってしまいます。 今回は歴史のロマンとして、このあたりで締め切らせていただきたいと思います。