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先祖について

親戚の家に昔の刀があるときいたのですが。 長い方の刀は売ってしまったかなにかでないようですが脇差はあるというのをききました。 自分は見たことないのですが、数十年前に見たところさびていてもうぼろぼろだったそうです。 明治時代以降生活に困った士族が刀を売却し脇差が残っているという例を聞いたことがあるのですがこういう場合は先祖が士族だったかもしれないといえるのでしょうか?ややこしい質問ですがよろしくお願いします。 ちなみに、先祖の墓がある県には名字と同じ地名があったり、同じ名字が江戸時代ある大名家の家臣だったとも若干書かれています。(○○氏という記述だけでしたが。。)あまりこの点は資料にならないかもしれませんがよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.3

>先祖が士族だったかもしれないといえるのでしょうか? 「刀が残っている」だけでは、武士とは断定できません。 江戸時代を通じて、身分の売買は公然の秘密として行なわれています。 関東では、同心株の売買が有名ですね。 南北奉行所配下の同心ですが、町人・豪農の倅が「同心株を購入し、武士身分」になっています。 地方でも、郷士株の売買が有名です。 高知の坂本家(坂本竜馬)でも、郷士株を購入し「郷士(下士)」になっています。 代々坂本家は、才谷屋として商いをしていましたが、先祖が郷士株を入手しています。 また、#2の回答にもあるように「武士でなくても、刀をさす」場合が多々ありました。 庄屋・豪商では、外出時には刀をさしています。 (武士と異なり、二本さしは許可されていませんでしたが) >先祖の墓がある県には名字と同じ地名があったり、同じ名字が江戸時代ある大名家の家臣だったとも若干書かれています。 地名と苗字の関係は、あまり意味を持ちません。 500年以上前の地名と、苗字が一致する場合は考慮する必要がありますが・・・。 ご先祖様の氏名が分かっていれば、その氏名を元に「藩士録」で調査する事が出来ます。 ○○藩だった○○市図書館には、藩士(録・家紋・その他)を記した古文書の写しがあります。 自由に見る事が出来ます(コピーも可能)から、一度調査して下さい。 苗字(徳川・織田・豊臣など)だけが一致しても、無意味です。 名前(家康・信長・秀吉など)まで一致すれば、ご先祖さまは武士だった!事になります。 氏名の合致と家紋の合致があれば、完璧です。 一番簡単なのは、旦那寺で過去帖を見る事ですね。

その他の回答 (4)

noname#119788
noname#119788
回答No.5

本家のお寺にある過去帳をみれば、わかりますよ。 詳しいことは、皆様が述べられているので省略します。 ウチのご先祖様も武士でした。その事は、小さい頃に親戚のおじさんから聞いていて、漠然と知ってはいたのですが、法事でその話になった時に、お坊さんが「○○家は元々は、△△に住んでいた武士で、その別れ(分家)なんですよ」と教えてくれました。法事の時などに、お坊さんに聞いてみるのも、いいかもしれません。 個人的には、ご先祖様が武士であろうと農民であろうと、どちらでもよいと思っています。今の自分たちがいるのは、ご先祖様がいたおかげに変わりありませんから。

porupopo
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.4

江戸時代に平民に禁じられていたのは「『二本の』刀を差して外出すること」です。これを「帯刀」と言います。 庄屋や豪商のうち、公に「帯刀」を許されたものが「二本の刀を差して」外出することが出来ました。 一方、平民であっても自衛のために「脇差一本」を差して外出することは基本的に認められていました。江戸時代の日本は、平民に「丸腰」を強制した社会ではありません。 平民の中でも、今で言うヤクザは、「長脇差」と称して武士の指す刀と同じ寸法の刀を「一本だけ」差して外出することがあり、無法者のやることとして黙認されていたようです。 なお、「帯刀」を公許されていない平民であっても、「刀を所有すること」は勝手でしたので、カネがあれば刀をたくさん買い込んで家で鑑賞していたかもしれません。これは「帯刀」には当たりませんので合法です。 明治維新後の「廃刀令」も「士族・平民を問わず、二本であるか一本であるかを問わず、刀の『携帯』を禁じたもの」で、「刀の『所有』」にまで干渉するものではありませんでした。 刀の「所有」が公に規制されるのは遥か後年、昭和20年に大日本帝国が敗北して連合軍の占領下に置かれてからです。 この時のGHQの指令を受けた警察による「刀狩」は、歴史上有名な豊臣秀吉の「刀狩」よりずっと徹底したもので、膨大な数の日本刀が没収され、原則としてはスクラップとして鋳潰されたようですが、そのうち結構な数がアメリカ軍人の「戦利品」としてアメリカへ持ち帰られたと言われます。 豊臣政権の「刀狩」とGHQの「刀狩」についてはウィキペディアにまとめられています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%80%E7%8B%A9 GHQの指令で没収された刀の一部は東京・赤羽の旧陸軍兵器廠に放置されており、所有者の分かるものは日本の独立後に所有者に戻され、旧所有者が分からないもののうち美術品として価値の高いものは博物館に収蔵されています。http://www.manabi.pref.hiroshima.jp/rekimin/syozou_akaha.html これ以降、日本が独立を回復した後も「美術品と都道府県教育委員絵画認めた刀の『所有』」のみが認められて現在に至っています。 長文になりましたが「帯刀」や「刀狩」や「廃刀令」について説明しました。

porupopo
質問者

お礼

なるほど。平民でも刀をさすこと自体はしてもよかったんですね。 ウィキペディアを見ると「士族階級に属する者には、『壬申戸籍』に‘士族’と身分表示が記され、第二次世界大戦後1947年(昭和22年)の民法改正による家制度廃止まで戸籍に記載された。 」とあるのでこの時代に生きていた家族の一人に聞けば平民か士族かがわかったりするのでしょうか?

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.2

結論としては 「刀を持っていたという事実だけでは、先祖が武士だったか平民だったかの判断材料にはならない」 となります。 江戸時代でも、平民が刀を「持つ」ことは自由でした。また、ある程度の規制に従えば「一本だけ」刀を差して歩くことは合法でした。ただし、平民が、武士がするように「大小を差して」歩くことは違法でした。 また、武士は子供の頃から小さな大小を腰に差して歩き、成長するに従って本物の大小を差すようになりますので重い刀を2本腰に差しても自然に歩けますが、その訓練をしていない平民が大小を差すとまともに歩けなかったそうです。ですので、例えば藩への経済的貢献により「帯刀」を許された地主や商人などは、外見だけが刀の「竹光」を差していたそうです。 それはさておき、明治以降は武士階級で没落する者が続出したので、換金性がある刀が多数売られたはずです。刀はそれ自体が美術品ですので、骨董屋や刀屋から刀を買った平民はごく普通にいました。 「ちなみに、先祖の墓がある県には名字と同じ地名があったり、同じ名字が江戸時代ある大名家の家臣だったとも若干書かれています。(○○氏という記述だけでしたが。。)あまりこの点は資料にならないかもしれませんが」 質問者さんの先祖がそれなりの身分の武士であったとすれば、せいぜい100年前、3世代程度の話ですから通常は「ウチは**藩の家臣で禄高**石だった」と言う伝承が残っているはずです。そのような情報があれば、その藩があった場所の県立図書館などには旧藩の「家臣名簿」がいろいろありますから、伝承の裏を取ることが出来ます。 私の場合、私の曽祖父が江戸時代に某藩の武士の子として生まれた人でして、いろいろと情報が残っておりました。家に伝わる情報と、藩の記録とを突合せて裏を取ることが出来ました。 質問文から見ますと、質問者さんの家にはそうした伝承がないようですので、誠に失礼ながら「刀を買った平民」であった可能性が高いように思いますが… なお、古い戸籍を調べることで、質問者さんの先祖が士族だったのか、平民だったのかを調べることは可能なようです。どの藩でどのような家柄だったのかを調べるのは、藩の史料との照合が必要で、かなり大変な作業になりますが。 下記をご参照ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E6%97%8F#.E5.A3.AB.E6.97.8F.E3.81.AE.E8.A7.A3.E4.BD.93

porupopo
質問者

お礼

ありがとうございます。 今残っているものというと刀と武士だった というだけの言い伝えぐらいですね。お墓参りをしたとき刻まれていた御先祖様の名前は覚えていますが自分だけでは調べようがないのが残念です・・。 ご回答ありがとうございます。

  • 03594
  • ベストアンサー率32% (148/456)
回答No.1

 先祖は武士だった可能性は高いと思います。でも先祖が武士だと嬉しいのですか?  私の先祖も武士で35代(700年)続いた地方の小さな外様大名でしたが、私にはそのことを良いとは感じられません。当時身分が高かったとしても、時代が時代とはいえ人を斬っていること自体感心できません。歴史書で辿っても相続をめぐった身内での殺し合いや、関ケ原の戦いで勝敗がつくや否や味方を裏切り殺した事件などを読むと見るに耐え兼ねます。しかも何の因果か当時裏切り殺した仲間と同じ苗字の人が私の身近におり助けてくれており、意味もなく申し訳なく思ってしまいます。  藤原家より代々伝わる5枚組の手鏡はある時、お坊さんに「恨んでいる落ち武者が見える」と言われ気持ち悪くなり寺に預けました。  刀などは凶器ですから家に置くこと自体が良いことではありません。 しかも新品でないなら、それで過去に何をしたか分かりません。あまり興味を持たない方が良いと思います。

porupopo
質問者

お礼

なるほど。よく分かりましたありがとうございます。

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