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自分のご先祖様のことをどの程度知っていますか?

自分の家系や、ご先祖様のことについてどの程度知っていますか? 知っている方は差し支えのない程度に、ご先祖様や家系のことについて教えてください。 ちなみに私の場合、父方の家は源氏の武士だったそうです。 家来が数人はいたような武士だったとのこと。 家には十二単や日本刀、鎧、槍などが残っていたそうです。 ちなみに刀や鎧は戦争中に差し出したそうで残っていません。 家系図などもあったそうですが三陸大津波で流されてしまったそうです (十二単などもその時になくなったらしい) 江戸末期まで武士だったかどうかはわからないそうですが、 (もしかしたら町人に成り下がっていたかもしれないとのこと) 明治になっても昔の身分の違いが残っていたために、うちの家の 土間より上には上がらなかった人達もいたそうです。 それからわりと最近のご先祖様(といっても4~5代前くらい?)は 天皇にお仕えしていたそうです。絵姿になるほどの美人もいたとのこと。 話を聞いた時は、家系図や刀が今でも残っていたらなぁと思いました。 皆さんのお家はどうなんだろう?と思い質問させていただきました。

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  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.4

本家には家系図もあるし、明治の写真も残っているし、マイナーな歴史書には登場するので、大雑把なところは、何世紀も前のことまで結構わかっています。ただし、ほんの半世紀前に、ふらりと家を出た親族がどこで暮らし、どこで亡くなったのか(あるいは生きているのか)は、役所に問い合わせても、戸籍の書き換えなどで記録が途切れてしまったようで、わかりませんでした。結局、わかるものも、わからないものも、記録や語り継ぐ人次第というわけですね。 ちなみに、固有名詞をネット検索するだけでも、結構、いろんなことがわかりますよ。ご親族がご健在の間に、いろいろな人の名前だけでも記録しておくといいでしょう。

noname#35682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 歴史書に登場する人物がご先祖様にいるのですか~!すごいですね。 家系図が残っているなんて羨ましいです。私はとても興味があるので^^ 写真は、もしかしたら本家には残っているのかも・・・よくわかりません。 >ちなみに、固有名詞をネット検索するだけでも、結構、いろんなことがわかりますよ。ご親族がご健在の間に、いろいろな人の名前だけでも記録しておくといいでしょう。 そうなんですか!参考になりました。ありがとうございます。

その他の回答 (11)

  • tilt1816
  • ベストアンサー率15% (64/423)
回答No.12

#10です。お礼を戴いたので確認しましたら、見事な間違いがありました。座敷の釘隠が扇であった云々ですけれど、明治時代に他地区から拙宅を買ってきたのでありました。だから違うのは当たり前。申し訳ありません。昔は釘を使ってなければ解体して運べたのでありました。 何れにしても安東氏では無いでありましょう。推定ですが、地元の豪族の流れでしょうね。城下町であり門前町ですが、やはり士族末裔の方は違いますもん(儂とはまるで違う)。 但し、古い家系の末裔であることの矜持はありますね。

noname#35682
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございました。

回答No.11

フフフ・・・ 全然知らない、調べた事もない。 自分が生まれた時には両祖父が亡くなっていたので祖父の仕事までしか知らない。 ただ一つ自分珍しい苗字してるんですよ、上を向いて歩こう的な苗字。 だから昔は罪人だったのか? とか恐ろしい事を連想しています。 一往は武士だと言ってますが・・・ 一往 → ○

noname#35682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私も父から話を聞いただけで調べたことはないです。 苗字も何かしら関係がありますよね~参考になりました。

  • tilt1816
  • ベストアンサー率15% (64/423)
回答No.10

一応安東氏系となっていますが怪しい。何れにしても非常に古い家系です。十六代までは遡れますが、焼失したものが多くそれ以上は不明。 寺も焼けたので過去帳が無い。 拙宅の家紋は横木瓜ですが(別家は丸に横木瓜)、板蔵にあるのは何故か橘です。座敷にある釘隠しは扇です。名字と家紋から探ると何故か三枝源氏になってしまいます(この時点で安東氏系ではないことが判る)。 家がまず古い。デカいし。原則的に釘を使ってないので大風の時は恐ろしくきしんで怖い。狭い家が羨ましい(マジ)。  明治前は山の肝煎りであったようで、名字帯刀が許されていたようです。 戦後の農地解放で没落。

noname#35682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 16代まで遡れるのですか~すごいです。 私も自分の先祖のことをもっと詳しく知れたら良いのですが・・・ 参考になりました。

  • tryouts
  • ベストアンサー率31% (126/404)
回答No.9

某藩の上士であったこと以外は江戸時代になる前の家系図の真偽によるのでわかりません。 本宅は城より徒歩数分の距離にあり、祖母が歳をとり引越しをするまで存在していて、引っ越し時に軒下から大量の刀や幕末の銃器が見つかりました。 また戦前までは、郊外に支配地(○○○石などの配地)を残していて農地と山2つ程度ありましたが、曾祖父が保証人をしていた人が破産し手放すことになったそうです。 ちなみに相方の方は、未だに旧藩地において宿敵にあたる藩の上士の子孫で、所属する隊はテレビでも度々ドラマ化された隊の隊士の一人でした。 先日も相方の隊の記念館を訪れた際に、地元のボランティアによるガイドの方は、私の祖先側の藩に対し遺恨たっぷりと言う感じの説明を受けました。 我が家の先祖は出征こそしなかったものの、直接対戦した部隊に属していたため(上士はほとんど出征せず城外士などの下士卒中心)、仮りに私と相方の双方の先祖が目の前にいたとしたら間違いなく果し合いになりそうな関係です。

noname#35682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 うわ~なんだかすごいですね!! どの藩かは伏せておられますがちょっと想像がつく感じですね! 私の先祖は幕末動乱の時どうしていたのかは聞いていませんがとても気になってます。

  • iampesu
  • ベストアンサー率47% (8/17)
回答No.8

僕の家系では士農工商のあの時代から良く話してもらっています。 有名な大工さんだったらしいです。 家系図は高知ところにあるらしいです。 もし、暇があれば自分で行ってみようと思います。

noname#35682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。家系図見れると良いですね。

noname#57929
noname#57929
回答No.7

父方・・・ 家系図で言えば江戸中期までさかのぼれます。 香川の下級武士だったとこまで。 直接の家系はその妹の婿養子になります。 それ以前は結構曖昧です。 田舎に鎧兜があるそうですが見た事がありません。 鎧兜自体が本モノなのかも真偽のほどは定かではありません。

noname#35682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 家系図が残っているのですね。うちは話を聞いただけです^^;

  • ururunL
  • ベストアンサー率16% (51/302)
回答No.6

ご先祖は三河商人…かな。 父方の祖母の実家は味噌屋で、祖父もそれに近い商売の家の出ではないかと推測してました。商売をやってたわけではないらしい。父方の祖父は父が幼い頃に亡くなったので父から得る情報がないです。父もあんまり語る人間ではないですし。 母方の祖父母は和歌山の庄屋、どっちも実家は結構金持ちで(双方とも末っ子で家を継がなかった)、和歌山周辺に親類縁者がピンからキリまでたくさんいるらしいです(冠婚葬祭で実感する)。母方の大叔母(祖母の妹)の家には昔その地域で一番最初に電話が取り付けられ、番号1でかかるようになっていたそうな。

noname#35682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。商人ですか~ ちなみに私の母方の先祖(最近?)は近江商人です。 祖父は今も商売をしています。もっと前だと漁師をやってたとも聞きました。 でも番号1でかかる電話ってすごいですね! 参考になりました。ありがとうございました。

  • oyaji2006
  • ベストアンサー率19% (26/136)
回答No.5

私の爺さん(明治30年生まれ)は養子で貰子です。 その前は水飲み百姓でした、本人もそう言っていました。 要するに、食えなかったので里子に出されたのでしょう。 だからといってどういうこともありません。

noname#35682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たしかに、先祖がどういう人であっても、今では全く関係ありませんよね。 歴史の登場人物が先祖の人も今ではただの人ですもんね。 関係あるのは政治家くらいでしょうか?

  • nttkirai
  • ベストアンサー率13% (60/457)
回答No.3

こんばんは。 一度、自分のルーツを探ろうと調べてみたことがあります。 父方は和歌山県の神官の家系で、曽祖父が7人兄弟の末っ子だったそうです。末っ子なので、分家もいいとこ。 でもうちは母子家庭なので、母方の先祖も調べてみました。 九州地方の出らしく、本家を尋ねてみたのですが、不在でした。 城跡が近くにあり、代々その跡地周辺に住んでるみたいです。 で、その城の縁のある人間からたどろうとしたのですが。。とりあえず墓から。 残念なことに、10年ほど前に豪雨でがけ崩れがあり、流されてしまったようです。 しかもその上に新しい墓石までありました。なるべく掘り返した、なんて管理会社の人間は言ってましたけど、埋もれた墓石の上に墓を立てるなんて嫌な感じです。そこでたどれなくなってしまいました。 流されていない墓石を見ると数百年前のものがゴロゴロしてました。 また本家の方を訪ねてみようと思っています。

noname#35682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分のルーツを探す旅をされたのですね! でも私もすごく興味があります。家系図が残っていれば是非1度見てみたかったのに・・・ 今度訊ねる時は、何かわかると良いですね。

  • chirobu-
  • ベストアンサー率11% (228/2017)
回答No.2

エッとねー、母方の先祖は11万石のお殿様につかえるご家老だったんだって!(北の方)母が子供の頃まだちょんまげ結ってるおじさんがいたってよ!(ほんとかな~)もっと身近な祖先自慢、父方のおじいさんは、馬とか牛のお医者さんだったって!母方のおじいさんは老舗の和菓子屋のぼんぼんで子供の頃本物のイギリス人の執事が付いてたんだって!そのおじいさんは戦前某早○田大学の英語の教授やってたり、某報○新聞のデスクやったり、今で言う放送作家みたいな事もやってたんだって!(古いマイクの前で気だるそうに写ってるやや若い頃のおじいさんの写真は今もあります。)子供の頃こんな話をいつも聞かされて育ちましたが、私は何者にもなれませんでした!・・・ちえっ。

noname#35682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 chirobu-様のご先祖様も武士だったのですね。 近いご先祖様に自慢できる方が多いのですね~ ちなみに私の母方の曾お祖父さんは数学者だったそうですが 私には数学の才能はあまりないようです・・・笑

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