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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:先祖のお墓を探しています。)

先祖のお墓を探しています

このQ&Aのポイント
  • 私は平家落ち武者の子孫で、先祖のお墓を2つ探しています。
  • 先祖のお墓は宮崎県の山岳地方にあると思われます。
  • 亡き父の口伝によれば、先祖のお墓は新天地に落ち着く前に建てられた仮のお墓とされています。私も一緒にお参りしたいです。ご存知の方がいらっしゃる場合、お知らせください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • yahtzee
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回答No.26

ご無沙汰しておりますがそのご進展はありましたでしょうか。 三叉鉾は祭祀に使われた可能性が高いと思いますが徴兵除けや魔除けといった鉾もあるようです。 家系図に関しましては単純な物でしたら手書きで十分でしょうが複雑になってきますと OfficeのWordやExcelなどを使うとわかりやすいとは思います。 無料のテンプレートを公表されている方もいらっしゃいますのでそういった物も使えます。 用はどのように残したいかだけですからPCで残す必然はありません。 ですがこちらの添付画像はとても非力なのでほんとうに残念です。 まずは鉾でお調べいただくのがいちばんの方向なのかもしれませんが それで結果を残せないようでしたら的を絞ってその地域の市史など郷土史を探す方法、 その地域の寺社や埋葬のしきたりを調べて辿っていくしかないと思います。 郷土に貢献された方でしたら郷土史に記述がある可能性があるかもしれません。 ただ今一度戸籍の話をさせていただきます。 残っていればなのですが一番確実なのが戸籍なのです。 これぞれの自治体で対応が異なりますので運河絶えず付きまといます。 もし明治19年式の戸籍を残しているところでしたら何度でも聞いてください。 直系の戸主の方の戸籍がなくても直系の方が載っている戸籍でたら取れるのです。 戸籍担当の方は基本的に最新の物、あるいは相続のためのある特定の方の 出生・転入から転出・除籍までの戸籍を探すことには長けていますが このような先祖の戸籍にきちんと対応できる方は少ないのではと感じています。 その役場が災害に遭っていたり電算化で古い戸籍が対面上(法的に)廃棄されている場合は 残念ながら入手することはまずできません。 ただし明治19年式の古い戸籍までしっかりとあるところでは 何度も問い合わせてやっと入手できる戸籍があっても不思議ではありません。 ついつい父方の戸籍に執着してしまうと思いますが母方を含めてすべて入手できるものは 絶対に請求して入手すべきです。 私も母方の戸籍から新たな発見をしたことが何度かあります。 母だけでなく、戸籍の上側の部分(身分事項欄といいます)に兄弟の記述があれば 通常その兄弟の戸籍は請求できませんがその戸籍に直系となる人物が載っている可能性もあります。 載っていれば当然請求はできるのです。 身分事項欄に載っている人物が戸主でない可能性もあります。 そういった可能性を含めて請求する必要があります。 また明治19年式の戸籍でしたら身分事項欄には地番が載っておらず~町、~村としか記載されていない といったこともあるのですが、それでもくじけずに問い合わせ請求することが大事です。 それだけの情報でも入手できる可能性はあるのです。 お役所の担当とも交渉をするためには古い戸籍に関してある程度勉強をしなくてはなりません。 ここには記述致しませんが、知識がなく問い合わせるだけですと ほんとうに存在しない戸籍なのか、あるいは法的に発行できないのか見極めができません。 該当のご先祖の戸籍が入手できるできないにかかわらず、あるのかないのかでまったく異なります。 その探している直接の方を探すのか、いわゆる本家筋を探したほうがいいのかといった面でも 方向性が変わってきてしまうためです。 正直に申し上げまして、直接連絡ができればもう少し踏み込んだお話ができるのではと思いますが こちらの質問欄からの応対ですとこのあたりが限界ではないかと感じています。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 私こそ長いこと、ご無沙汰いたしまして誠に申し訳ございません。 7月10日頃より、パソコンの調子がおかしくなりまして、このコーナーにたどり着く事が出来なく なりました。知人にお世話になり、メーカーさんに依頼してましたらパソコンの頭脳が破壊されている との事でした。・・・人様のご好意で今日8月28日に中古のパソコンを設置する事が出来ました。 7月に入った頃(教えてgoo)のコーナーもボチボチ締切?と思っていた矢先の事でした。今思えば、パソコンが壊れたので、今回あなた様からのご解答を頂けたのですね。壊れた事に感謝?しています。久しぶりにあなた様のご解答が目に入りまして、嬉しいやら感謝やら・・・あなた様には本当にお世話になりました。あなた様から頂きました数多くの知恵、知識を今後に役立たせていただきます。あなた様のご好意を無駄にしないように、心しまして私の先祖探しに邁進します。・・・(教えてgoo)のコーナーを通じましてたくさんの良きお教え、又多くの良きお導き等頂きまして、深く、深く心よりお礼申し上げます。あなた様のご健康とご多幸を南九州の地より、感謝の心でお祈り申し上げます。長いこと誠にありがとうございました。私の質問を締めさせて頂きます。又(教えてgoo)のスタッフの方々長い事お世話になりまして誠にありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

その他の回答 (25)

  • yahtzee
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回答No.25

なかなかむずかしいですよね、なにかヒントでも見つかるといいですね。 一応こちらでお知らせいただいた部分を系図にしてみましたが間違いありませんでしょうか。 もう専門の方にも見ていただいたということですのでほかのものはないかもしれませんが戸籍についての確認をしてみたいと思います。 本来は直系血族の戸籍を入手できるので金之丞さん、センケサさん、金太郎さん、キンゲサさん、鉄太郎さんの戸籍は一応請求できます。金太郎さんの後妻さんは姻族なので婚姻前(離縁後)の戸籍はむずかしいのですが、そのご子息がいらっしゃったり相続などの理由があれば請求することができると思います。 男系の戸籍謄本除籍謄本はお調べになっていると思いますが、意外と忘れがちなのは女系の戸籍のほうです。センケサさんは時代的にむずかしいと思いますがキンゲサさんの戸籍もないのでしょうか。キンゲサさんは墓石上のみとご説明いただいておりますのでないのでしょうね。もしもキンゲサさんの載っている戸籍があり身分事項欄に~国~郡~町村~何女入籍スという記述があり、キンゲサさんのお父さんもしくはお母さん(女戸主)の戸籍があれば、また戸主が近親者であってもキンゲサさんやお母さんが載っていれば請求することはできます。お父さんお母さんが長生きされていた可能性もありますから。金太郎さんの後妻さんの身分事項欄も含めまして僅かな可能性ではありますが運良く鹿児島などの地域を絞れる記述があるかもしれません。年代がよくわからないのですが、センケサさんが明治12年にお亡くなりになっている、金太郎さんが後妻を迎えられたなどの状況からしますとやはりむずかしいのかもしれませんね。ご親戚も多いようですのでその方々の情報で辿れるものがあればいいのですが。 以前の回答で地番が書かれていない町村名までの記述の場合は戸籍がない可能性が高いと言いましたが絶対ではありません。役所の担当者さんが親身になってくださる方だと町村名からでも明治20年頃の戸籍を探して見つけ出してくれるかもしれません。 また地域に見当をつけて古地図などで古くからある寺院に俗名や戒名法名で過去帳を探してもらうこともできますが没年月日はお分かりでしょうか。その時代と土地の風習がわかりませんが、お墓自体がなくても葬儀をあげ過去帳に記載されている可能性もあるかもしれません。個人情報の観点からまったく答えてくれないお寺は増えてきましたが、電算化してあって即答してくれるようなお寺もありました。お布施を要求してくるお寺もありました。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様   何時もお世話になりましてありがとうございます。 今、私は暗礁に乗り上げています。三つ又矛?です。家紋の事を調べていましたら一大事になってる事が わかりました。今私の本家に申し出ました。・・・それから私の家計図の事ですが、私はパソコンを上手に使う事ができません。先祖の事を調べたいと思いましてはじめました。文字の入力も時間をかけまして やっとできています。まして家系図のような形はぜんぜんできません。前にも、今もですが、三叉矛の図 を書き表せたら・・・と、悔しい思いをしています。ので家系図を言葉で書きます。 姓は皆、岡元です。金之丞[長男)、仙左衛門[次男)、宇兵衛[三男)、金四郎[四男)、又その子が 金之丞の長男、金太郎、その長男、鉄太郎、次男、宇兵衛・・・仙左衛門の長男、宇右衛門、子がなく、 金太郎の次男宇兵衛を養子とする。金四郎[墓石に記してあるだけ)の長男、南太郎・・・三男、宇兵衛、子多し、(金四郎、41歳没の為その妻と三男宇兵衛と結婚と戸籍に記載)、宇兵衛二人存在と戸籍に記載有り。私の家系から養子に行かれた宇兵衛祖は私も子供の頃は良く知っていまして木こりの仕事をされていました。又金太郎の後妻の方には、子供なく戸籍に協議離婚された事が記載されています。金太郎の先妻の名は墓石に記してあるだけです。・・・私の考えが甘い事を知りました。なかなか難しいですね。これから、又農作業も少しずつ忙しくなりますが出来る事を少しずつでもコツコツとします。あなた様には何時もお世話になにまして心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

  • yahtzee
  • ベストアンサー率76% (10/13)
回答No.24

その後いかがですか。 ご親戚がお近くにいらっしゃるということでまずはすべての入手できる直系戸籍を入手したことでしょう、古い戸籍(明治19年式)のものが入手できるのでしたら、直系男系だけでなく祖母方、曾祖父母方、高祖父母方も必ず調べましょうね。傍系となるものでもご親戚の協力やときには行政書士に依頼して入手でき重要な以前の居住地など書かれている可能性のあるものは確実に入手しておいたほうがいいと思います。行政書士でも手数料2万円未満+実費ですべてを一案件として広範に調べてくださる良心的な方もいらっしゃいます。 それ以外でしたらやはり「霧島ロ」とありますようにまずベースとなりますのは霧島山ですよね。いくつかの姓をお聞きしておりますが宮崎県より鹿児島県のほうが絶対数が多いので鹿児島県を含めまして現地の役場、図書館、郷土史関連など問い合わせる場所は少なくないでしょう。まずは当該の神社でその鉾の情報を求めてみることがいちばんすべきことでしょう。 まずは高千穂峰にあります逆鉾について当該の神社に聞くことがいちばんですし、以前岩下姓に詳しいとありました書籍を読むことです。宮崎や鹿児島の公的墓地がどのようになっていたのか、明治初期以前にどのようなお寺があったのか、人気のないようなところにひっそりと墓所があったのか、歴史と風土を調べながらひとつずつ尋ねていくしかないでしょうね。その中で地域を絞り込めるような戸籍の存在がないかを確実にしておきたいですし、郷土史、古文書で可能性のある地域を感じ取れることを祈っています。ほかにも伝わっていた物や語りがあるでしょうか、それらを参考にしてとらわれすぎず客観的に探していくしかないですよね。明治期前後でも跡を絶つといった感覚があったのかわかりませんが、地元での分限帳や宗門人別改帳を丹念に探していくのもひとつの方法です。明治の壬申戸籍に頼ることは無理なので、それに限りなく近い明治19年式戸籍は広く入手しておくとヒントが書かれているかもしれません。直系の方々に伝わっていることを足し引きしながら纏めて考えてみるのもひとつの方法だとは思います。 まだまだ雲をつかむような思いでしょうが、まずやるべきことは歴然としています。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様   いつも、お世話になりまして心よりお礼申し上げます。 あなた様の回答文を見ながら、事を進めています。大助かりでございます。 父方の方はこの地に来られた後は分かりましたが、大事なそれ以前の事はまったくわかりません。又母方の方はセンケサ祖は墓石上だけです。金太郎祖の先妻のキンゲサ祖も墓石上だけです。私の祖父の鉄太郎はキンゲサ祖の子です。キンゲサ祖の没後に後妻に来られた方は、後、協議離婚された事が戸籍に記載されていました。ので、母方は調べることは出来そうにございません。私もコツコツやっていくしかないのだと思いまして、あなた様のご解答文を参考にさせて頂いています。非常に大助かりでございます。又、 矛の事も霧島地方の神社にお願いしています。・・・岩下姓のこともネット検索していますが私の家系の場合は、岩下姓より(おかもと)姓に改姓しましてから岩下姓の事は今まで世にでず、代々の先祖の口伝にて伝わってきた事で今回私がはじめて公の場に明らかにしましたが、他の鹿児島県内の各地の岩下姓の方々は公の場で堂々と岩下姓を使っておられた様に私には、伝わりました。又、私の所とは家紋が違いました。今後もあなた様のお教えを参考にコツコツではございますが頑張ります。いつもいつも感謝の心でございます。ありがとうございました。・・・頑張ります。

  • yahtzee
  • ベストアンサー率76% (10/13)
回答No.23

戸籍からは辿ることが難しいようですね。ただ、もう入手ができない戸籍は仕方がありませんが、行政書士さんを経由することで手に入る戸籍も場合によってはあります。今回は無理のような気がしますが、行政書士さんの考え方や手腕によるところもありますし、料金も2万円以下+実費だけ方もいれば数万円~、十万円~といった方もいます。 やはり平家の歴史から読み解く方法もあるでしょうし、矛からの情報を探っていく方法もあるでしょう。石見神楽の矛は大分趣が異なるようですが、だとしましたら似た形の逆鉾の霧島東神社に写真などをお見せして情報をいただくのがいいかもしれませんね。ほかの伝承や岡元姓からも九州の可能性が高いように感じますが、さらに牧迫姓の過半数が鹿児島県内という情報もあるようですので、かかわりを感じさせますが過信は禁物ですよね。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 明けましておめでとうございます。昨年、あなた様には大変お世話になりまして誠にありがとうございました。本年も又お世話になりまして、ありがたい心と申し訳ない心でございます。今、私は[矛)より絞込みを・・・と、思いまして私が幼い頃に、父と裏山の山頂に行き、曾祖父の金太郎が今の地に定住し、 この山頂に館を設置して[矛)を祀ったと聞きまして、そこでの拝み方も、小さい頃の言葉と十歳位うえに、聞いた言葉が二通り覚えていますが意味は同じ・・・(霧島ロンの方に手を合わせて拝むのだぞ)・ と、その事を手がかりに、南九州地域や宮崎県の各地域の神楽の奉納踊りと我が家に伝わる[三叉矛)との、関連などを調べています。・・・又、戸籍から一つ分かりましたが、上から、現在地に下りて来られたと、思っていましたが・・・上から明治はじめの頃に現在地の一番の繁華街に住まいを構えてから、再び、その繁華街の山の手の今の地に移って定住されたことがわかりました。私の知人や友人に[下りてこられた後より、下りる前の地がわかったら、いいけど)と言うと、友や知人が(それは落ち武者の性・・ 何百年も受け継がれて宿命よ、前後をわからない様にする生活が永く続きすぎて今回もわからなくされたのでは・・・)・・・ある意味で少し不安にもなりましたが、三叉矛より絞込んでいけたらと、思っています。・・・あなた様には心から深く感謝申し上げます。・・・頑張ります。

  • yahtzee
  • ベストアンサー率76% (10/13)
回答No.22

ごめんなさい、訂正いたします。「八代市・氷川町」では岩下さん18、岡本さん52、岡元さん1、牧迫さん0でした。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 今回、誠に申し訳ございませんでした。何時もお世話になりまして、ありがとうございます。 今日、役場に行ってきました。私のミスでした。多くの方々に迷惑をお掛けしましたこと、深くお詫びします。三叉の矛は神社などの奉納おどり[夜神楽など)で矛に面などくくり付けて使う物だそうです。地域は特定出来ないが私の場合、平家の落ち武者との事で、高千穂~椎葉~霧島・・・当りの神社等で使われた矛ではないでしょうか?。との事でした。(すみませんでした。)・・・関係ないような気がしますが 形は違いますが三叉の矛は現在、島根県の石見神社の神楽で使われているみたいです。又、担当者の方が戸籍の方も調べて頂きましたが、地域の絞込みはできませんでした。・・・ご指摘ありがとうございました。反省の心で精進します。誠にありがとうございました。

  • yahtzee
  • ベストアンサー率76% (10/13)
回答No.21

いつもありがとうございます。 お手数ですが役場の歴史文化課に今一度ご確認をされたほうがいいと思います。高千穂神社と高千穂峰でしたらまったく話が変わってしまうためです。実はインターネット上にもそのような矛があるという記述がありませんでしたので高千穂神社にも尋ねたのですが高千穂神社の神器は一般的な三種のもので、三つ又の矛のような物は一切ないということでした。高千穂峰でしたら鹿児島の県境ですから辿るにも方向性を誤っている可能性が高いように感じてしまいます。 以前お伝えした平家の落人の説明のページにありました地域の電話帳も調べてみました。熊本県の「八代市・氷川町」では岩下さん18、岡本さん52、岡元さん0、牧迫さん0、五木村では岩下さん0、岡本さん7、岡元さん0、牧迫さん0、鹿児島県の三島村では岩下さん0、岡本さん0、岡元さん0、牧迫さん0、ちなみにその手前のページにあった十島村では岩下さん10、岡本さん0、岡元さん0、牧迫さん0となっていました。自転車で10分程度の図書館に電話帳はありますので必要なものがありましたらお知らせください。 役場にお詳しい方がいらっしゃるのでしたらぜひ協力してもらったほうがいいと思います。こちらではここに記入していただいた情報しかありませんのでそのほかの高千穂神社とのつながりを示す物があるのか分かりませんが、いただいた情報ですと判断を誤っている可能性が高いような気がします。時間は大切なので確実な情報のところまで戻られることをお勧めいたします。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様・・・あけまして、おめでとうございます。 何時も、ありがとうございます。 昨年は、ひとかたならぬお世話になりまして心よりお礼申し上げます。[言葉だけで申し訳ない気持ちです)。地方田舎の事、色々な行事が多くてパソコンを開けませんでした。その間にも、私の事で・・・誠に、申し訳い気持ちです。すみません。矛の事ですが私も、役場に出向こうと思っています。一年位過ぎましたので、[文字の解明)のことです。・・・あなた様のご指摘の[高千穂神社の矛)ではないような との事、私にしましたら、一大事なことです。仕事始めの日に即いきます。ありがとうございます。 私は、一年前くらいに牧迫方の方と菅原道真公の事の話を聞いてるなかに、わが先祖が豊臣秀吉公の朝鮮出兵に参加した、と、岡元方のじいさん・・・私の祖父の弟から直接聞いたとその方が言われた事を元旦の日に思い出しました。その時九州からはどこの藩から出兵したのだろうと調べる事にしました。・・・ 昨年の大晦日、新年の一日二日は昼間は平家塚の事に働いています。今日一日は正月の行事です。 役場があいたら、すぐに行ってきます。・・・日々、あなた様には心より感謝いたしています。 誠にお礼申し上げます。

  • yahtzee
  • ベストアンサー率76% (10/13)
回答No.20

補足です。 お伝えしたページのリンクのものですが異なった書き方をしてあり、また高千穂の説明も興味深いですので、こちらに投稿しておきますね。 http://www.kumaya.jp/atikoti40.html

  • yahtzee
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回答No.19

いつも丁寧にありがとうございます。 高千穂峰にある天の逆鉾のことなんでしょうか。 <http://ja.wikipedia.org/wiki/天逆鉾> 写真はこちらから大きい物を見ることができます。 <http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Amenosakahoko.jpg> 霧島東神社の社宝とも書かれていますが、山頂の刃の部分は行方不明ということですからもしかすると、ですよね。ただ、神道由来のものみたいですので同様のものがほかにあっても不思議ではないのかもしれません。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 いつもご解答頂きましてありがとうございます。 三つ槍の鉾の事でお返事します。高千穂の峰の山頂の[天逆鉾)は剣先は同じ三つですが、峰山頂の天逆鉾は写真の様にスケールが大きいです。私共に伝わっている三つ槍の矛は小さい矛です。その三つ槍矛に 点々で何か文字ではないかと、役場の歴史文化課?に鑑定を依頼しました時に(高千穂神社の神器で社殿などで儀式的?な踊りを舞う時に面をくくり付けて使う矛)・・・と担当者の方が言われました事をおもいだします。当方の矛はだいたい30cmで刃もと10cm、刃先20cm,厚み約6~7mmです。見るからに古く、時代を感じます。誠にありがとうございます。感謝いたします。

  • yahtzee
  • ベストアンサー率76% (10/13)
回答No.18

たびたび失礼いたします。 高千穂神社由来の矛ということですが、こちらのほうも素人考えで申し訳ありませんがいくつかの可能性を考えてみました。 まず矛はどの年代のもので、矛(を受取っているということ)がどのような意味を持つのでしょうね。サイトの情報によりますとかつての高千穂郷(現在の高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町、諸塚村)には554もの神社がありそのうちの格式の高い88社を「高千穂八十八社」、さらにそうの総社として「高千穂神社」があると書いてありました。平家とのつながりはあるのでしょうか。あるいはその土地に移ったのでかかわりが発生したのでしょうか。また、矛があるということはたしかにその近傍にいらっしゃった可能性もあるのかもしれませんが、受取った経緯にもよるとは思いますが逆に離れたところだからこそ矛があるという可能性も低くないようにも感じました。神社に直接お尋ねしてみるのがいいかもしれませんね。 高千穂神社の近くの山間ということでしたら、宮崎、熊本、大分の可能性もあるかもしれませんし、その地を引き払った可能性もありますのでその土地には血縁者が残らなかった可能性もあります。残って方がいらっしゃったとしても婚姻などでの改姓や血縁が途絶えたり、転居してしまったという可能性もあるでしょう。血縁者がいなくなりますと古いお墓はなくなってしまったり合祀されてしまう場合もありますが残っていてほしいですよね。 椎の木の門松ということで検索をしましてもたくさんの情報が出てきますが、検索上位にくるのが松浦氏でしょうか。平家とのかかわりもあるようですね。また松浦氏関連以外にも南紀だったり、下関市や三隅町の一部、伊勢神宮付近、屋久島などなど椎の木を使う地域がとてもたくさんあることがわかります。手当たり次第情報を探っていきますときりがありませんよね。お手元の確実なものから丹念に辿っていくしかないのかもしれませんね。ほとんどつぶやき程度の投稿内容になってしまっていますがお許しくださいね。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 何時もありがとうございます。私以上に私の事をお調べ下さいまして申し訳ございません。 [矛)の事ですが、長さ約30cm位の青銅で出来ています。私はつい最近まで源平合戦のときに兵の指揮を高めるための広島の厳島神社のなんらかの品で、ひとつの軍旗のような類の品では、と思っていました。が、[矛]に点々で文字ではないだろうかと、思いまして役場の歴史文化課?なる所に持参して調べてもらいました。その時に、はじめて[矛)とわかりました。いままで[三つ槍』と、言ってました。その時に高千穂神社の神器の矛と同じで、こちらの矛の状態が良いと係りの方から言われました。また文字のような点々は、すぐには判らないが判り次第に知らせるとのことでした。その時まで私は高千穂神社とのつながり?はまったく考えていませんでした。何時もお世話になりまして、ありがとうございます。

  • yahtzee
  • ベストアンサー率76% (10/13)
回答No.17

いつもご丁寧なお礼をありがとうございます。 宮崎県の椎葉村との関連がなかなか見つかりませんね。椎葉村にも尋ねてみたのですがやはり椎の木の門松というものはないようです。椎葉村の村名の由来もわかりましたし、情報があれば教えてくださるということでした。 岡元金之丞さんの没年も江戸末期ですのでそれほど前でもありませんから悩みますね。もっとも椎葉村ではそうではなかったけれど離れた地で椎葉村のことを思い椎の木を使っているという可能性もあるのかもしれませんね。 先日の椎葉村史にも「岩下」姓は、意識していませんでしたので確実ではありませんが、そのようなお名前はどちらにも載っていなかったように感じています。現在でも多い、「那須」さん、「椎葉」さんなどが多く、ほかにもいつくかの苗字があったのですがなかったような気がします。 ただいま図書館の電話帳を調べてきたのですが、残念ながら椎葉村には「岡元」さん、「岡本」さん、「岩下」さんの記載はありませんでした(「牧迫」さんもありません)。もっとも不記載を希望されている方がいらっしゃるかもしれません。周囲も少しですが調べました。五ヶ瀬町、諸塚村、美郷村、西米良村にも記載はいずれもありませんでしたが、高千穂町には「岡本」さんが1つ、「岩下」さんが4つ、日之影町には「岡本」さんが1つ載っていました。それ以外の町村は調べていません。椎葉村にこだわりすぎないほうがいいのかもしれませんが、高千穂神社とのご縁もあるようですので別の方向性も検討してみてはいかがでしょうか。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 何時もお世話になりまして、誠にありがとうございます。 私は23日に[矛)を奉納する館を少し前に設置しましたが低い様でしたので、解体しまして地上げしました。今日は館の組み立てと周りの整地をする予定です。・・・正月の飾り木の椎の木の事ですが何故 椎の木になったかと・・・口伝で・・・合戦で敗れて山奥に逃げ込んで苦しく、厳しい日々の中[その中の一人が「今日は何日か」と・・・「今日は大晦日だ」・・・「このような時でもけじめは付けなくてはいけない」となり、手分けして門松作りの材料集めしたが松だけがいくら探してもなく、周りにあるのは椎の木ばかり・・・しかたなく椎の木を使った)・・・と、伝わっています。毎年いまの時期になりますと、その時の先祖様に[苦難を乗り越えて生きてくださいましてありがとうございます)と感謝、それもおおきい、おおきい感謝です。・・・あなた様にもおおきい、おおきい感謝の心でございます。 いつもありがとうございます。

  • yahtzee
  • ベストアンサー率76% (10/13)
回答No.16

私事で誠に恐縮なのですが私のいわゆる直系から本家の本家から辿って行きますと一応500年ほど前までのひとつの家系図がありました。さらにはその200~300年前まで漠然と辿るものもありますが、ご存知のように家系は上でも下でも末広がりですので、その家系図というものもその数多の中のひとつの細い道筋でしかありません。平家の歴史となりますとさらに遡りますので大変だとは思いますが、岩下姓につきましては多数の資料・情報があるようですね。 ご回答の内容からもうすでにご覧になっていらっしゃるとは思いますが http://www.hikoshima.com/bbs/heike/100375.html http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100729_27.html 同じサイトから多数の情報が得られると思いますし、投稿に記載のある「落日後の平家」が現時点でもっとも参考になりそうな書籍のようにも感じます。どの時点で改姓されたかにもよるとは思いますし、私のほうの家系図でも嫡子もあれば養嫡という繋がりもあり、またそれに伴って姓が変わってもいます。もっともこの家系図は私の姓の本家をずっと辿っていくといったものではなく、ある歴史的に名を残している方とのつながりを記したようなものですので多少本来の家系図とは趣旨が異なる物です。私の場合は曾祖父母のお墓を探しているだけですので、ルーツ(のひとつ)がどんな歴史上の人物かといったことには興味はないのですが、実際のところ末広がりな血筋といったものを考えますとどなたも歴史上の人物とつながってくるのでしょうね。余談が長くなって申し訳ありませんが、岩下姓からも辿ることは大変だとは思いますが、地域限定的な要素が考えられますので可能性は少なくないかもしれませんね。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 何時もお世話になりましてありがとうございます。 あなた様の家系図も500年前までお調べになられたとございますがそこまでお調べになられました、あなた様に敬服の心でございます。あなた様のご先祖様を思われてる信念の強さが推測されます。又色々な 知識の多いお方と思っています。又曾祖父母さまのお墓探しが本命とございますが、よくぞ500年前までの家系図をお調べになられましたね。又さらに200~300年前まで漠然と、と、ございますが・・・あなた様だからこその、事と思いましてタダ脱帽でございます。お喜び申しあげます。 私の本来の願いは(わが先祖がこの世から消える)危機感から[わが先祖をこの世から消さない)事です。私の本家、各分家の人に10年前位より話していましたが・・・。同じ子孫でも・・・歴代の先祖様方、数多くの苦難を乗り越えられ精一杯に世渡りされました事を思いますれば、私共の全ての先祖様方がすごく可愛そうで申し訳なくおもいました。私一人でも出来る事をと、[平家塚)をつくりましてその塚の敷地内に(3ツ槍の矛の館、歴代の先祖様方の供養塔など3基を今は仮奉納しました。昨年に仮奉納しましたが、向きと配置が悪い事がわかりまして今月の24,25,26日に直しました。今は仮の奉納ですので簡単に直す事ができます。ここ10年位は木製ですのでその間に最善の形を探しまして何時か石材でと今は思っています。その敷地の形は扇の家紋とし、直線部の長さは7間の扇の形を70cm地上げしまして亡き父より相続しました土地に作りました。今後も先祖さがしもコツコツいたします。いつも感謝しています。ありがとうございます。