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写像についてです
(1) 『写像f:A→Bとg:B→Cについて、fとgとの合成写像はfの終集合とgの始集合(定義域)とが一致するときに限って定義される』(集合位相入門/松坂和夫) これについて、 f:A→Bとg:C→Dで f(A)⊂BかつB⊂Cならば べつにfの終集合とgの始集合(定義域)とが一致しなくても良いと思ったのですが、違うのでしょうか? (2) 『対応(≠写像)F,GがいずれもAからBへの対応であって∀a∈AでF(a)=G(a)の時FとGは等しい。2つの対応の相等を論じ得る為には、もちろんそれらの始集合,終集合がそれぞれ一致していることが前提である』(集合・位相入門/松坂和夫) これについても似たようなことなんですが、FがAからBへの対応,GがAからCへの対応であり,さらに任意のAの元aについてF(a)=G(a)という時は,別にB=CでなくともC⊂BとかB⊂Cのときも対応FとGは等しいと言えませんか? 私は,始集合が一致していることとF(a)=G(a)が成り立っていること つまり始集合と値域が一致していれば、この2つの対応は等しいとは言えると思ってました。 具体的には 対応F:A→B対応G:A→Cとする。ここでは、B⊂Cとしても一般性は失われない。 さて、今が任意Aの元aについてF(a)=G(a)が成り立っているとする。 これはF(A)=G(A)ということ。 ここでF(A)=G(A)⊂B⊂C⊆Dなる集合Dをとれば対応FとGはともにAからDへの対応とも言える。 すると、定義から対応FとGは等しい。 これではダメでしょうか? 始集合と終集合に関する記述はどうも混乱します… (1)(2)についてどなたか分かる方がいらっしゃいましたら回答よろしくお願いしますm(__)m
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難しくなってきました。 私は、#2さんが回答で仰っているように、終集合が一致しない対応について相等を考えることは"意味がない"と考えるのがしっくりきます。 もう少し詳細に説明すると、一般的に、対応F:A→BについてB⊆Dという集合(普遍集合も含)があったとして、対応Fの終集合をDと置き換えてよいのか。それは意味がないのではないかということです。 例えば、選挙の例で、衆議院選挙という対応に対し、確かに終集合として人間の全体を考えることができますが、これでは、衆議院選挙という対応を考えるには不自然です。対応そのものがそれこそ全世界の"選挙"という感じになってしまいます。 以上の考え(私が言いたいこと)は、次のように言い換えられるかもしれません。説明のために、 θ(A,B):始集合を集合A、終集合を集合Bとする対応の全体集合 とします。いま、B⊆Dなる集合Dが存在するときに、 (1)θ(A,B)⊆θ(A,D)と考えるか、 (2)θ(A,B)≠θ(A,D)(特にθ(A,B)∩θ(A,D)=φとしてよいでしょう)と考えるか どちらの考えにたつかということです。(私は(2)派ということになります。) これまでの議論の中で、 > (1)ではCが普遍集合としてとれるから終集合はC。 > (もし、さらにCを包むような集合Xがあればそれが普遍集合とすればよい。でも(1)や(2)ではその必要はないですが 。>CやBで十分。) > (3)ではB∪Cが普遍集合とみなせるから、B∪Cが終集合。 > (もしB∪Cを包むような集合Xがあれば・・略・・B∪Cで十分。) > (5)は普遍集合Dが存在しないことを言っている・・(?) のように場合分けを行いましたが、相等を考える段階において、2つの対応の終集合は一致していましたよね。議論としては 性質A.幅広い集合を考えて2つの対応の終集合を一致させることができる 性質B.∀a∈AでF(a)=G(a) の両方を満たせば対応として相等といういう感じでしょうか。 ここでいう性質Aについて、(むりやりに)幅広い集合を考えること自体に意味がないと思います。対応の相等の定義においては、性質Bのみを要求するだけにしたほうが、無理がないと思います。 …と、同じことを言い方を変えて繰り返しているだけですね。 長々と書きましたが、うまく伝えることができていますか?
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- de_Raemon
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>普遍集合が定まる時[(1)~(4)]と >普遍集合が定まらない時[(5)]の >2パターンに分類されるのかなと思いました。 この考えでいいんじゃないかと思います。 ただ(4)のときは理屈では比較可能でもB∩C=φなので普遍集合を持ち出すまでもなく等しくないのは自明です。 例をあげるとB=正の実数、C=負の実数とすると普遍集合としてRがとれますが対応は明らかに等しくないです。 (5)は「自然な(素朴な)」普遍集合が定まらない時とでも言えますかね。 例をあげるとB=R、C=R^2 の場合などです。BとCが「別世界」なので相等を論じるのは無意味です。 これも「人工的に」普遍集合としてR∪R^2をとれば強引に(4)の場合に帰着しますが、 結局B∩C=φなので対応は明らかに等しくないです。 (5)の場合はtsukitaさんが回答番号:No.7の中でおっしゃってますが >(むりやりに)幅広い集合を考えること自体に意味がないと思います。 まったく同感です。
- tsukita
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#7です。補足です(結論を書くのを忘れてしましましたwwww) >私が言いたかったことは、 >「2つの対応の始集合が一致してさえいれば」 >2つの対応の相等を論じ得るのでは?ということです。 > >※ここでの"対応の相等を論じ得る"とは、"2つの対応が等しいか否か>考えることに意味がある"と私は解釈しています。 私の結論は、"対応の相等を論じ得"ますが、意味がないのではないかということです。
お礼
tsukitaさん、回答ありがとうございます。 >"対応の相等を論じ得"ますが、意味がないのではないかということです。 いままでの回答をあらためて読んでみて、やはりそうなのかなと思います。確かにあまり意味はなさそうですね・・。 終集合については、考えている対応に応じて、考え方を適宜変えていったほうがいいのかもしれません。 今回の質問でだいぶ理解が深まりました。 回答者様の御蔭です。ありがとうございましたm(_ _)m
- de_Raemon
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前にも書きましたが、終集合と対応の像を混同してしまっているようです。 対応F:A→Bに対して終集合はBであってF(A)ではありません。F(A)は対応の像です。 No.5さんへの補足に書かれた場合を考えてみます。 >(1)~(3)はどれも終集合は完全に一致していないけど、 (1)ではFとGの終集合はどちらもCです。 (2)ではFとGの終集合はどちらもBです。 (3)ではFとGはどちらもAからB∪Cへの対応とみなせるので終集合はどちらもB∪Cです。 FとGの始集合と終集合が一致しているので相等を論じることが可能です。 相等かどうかの判定で対応の像F(A)とG(A)を比較するわけです。 F(A)=G(A)ならば対応は等しく、F(A)≠G(A)ならば対応は等しくありません。 >(4)B∩C=φ(BとCが互いに素)のとき これは、もっとこまかく (4)B∩C=φ かつ、B⊂D,C⊂Dを満たすDが存在する。 (5)B∩C=φ かつ、B⊂D,C⊂Dを満たすDが存在しない。 に分類できそうです。私のあげた選挙の例は(5)を想定してます。 (4)ではFとGはどちらもAからDへの対応とみなせるので終集合はどちらもDです。 この場合はF(A)⊂B、G(A)⊂CでB∩C=φなのでF(A)≠G(A)であり対応は等しくありません。 (5)の場合はFの終集合はB、Gの終集合はCで終集合が一致しません。 この場合は相等を論じること自体無意味ですが、あえて論じるならば対応は等しくないと言えます。 正確にいえば(5)でBもCも含む集合を恣意的にとることは可能なので、その場合は(4)になります。 例えば選挙の例では衆議院も参議院も「人間」という集合の部分集合と考えることができます。 (5)とするか(4)とみなすかのいずれにしても対応は等しくありません。
補足
回答ありがとうございます!とても参考になります。 集合位相入門のp16で「普遍集合」という言葉がでてきますが、 選挙の例で言う「人間」がコレにあたるのかな?と感じました。 もしも、私が補足に書いた集合AとかBとかCとかDがすべて 「あるひとつの定まった集合Xの部分集合である」 ということがはっきりとわかっている場合 対応FやGは終集合として恣意的に普遍集合をとれる。 だから、普遍集合が定まる場合に対応の相等を議論する時には 「終集合の一致を考える必要性」はあってないようなものですよね? いつでも終集合として普遍集合をとれるわけだから。 そう考えると 普遍集合が定まる時[(1)~(4)]と 普遍集合が定まらない時[(5)]の 2パターンに分類されるのかなと思いました。 (1)ではCが普遍集合としてとれるから終集合はC。 (もし、さらにCを包むような集合Xがあればそれが普遍集合とすればよい。でも(1)や(2)ではその必要はないですが。CやBで十分。) (3)ではB∪Cが普遍集合とみなせるから、B∪Cが終集合。 (もしB∪Cを包むような集合Xがあれば・・略・・B∪Cで十分。) (5)は普遍集合Dが存在しないことを言っている・・(?) 結局、普遍集合が定まる状況下で考えられるあらゆる2つの対応について、それらの終集合は一致しているとみなせる。 普遍集合が定まるか否かの2パターンで分類すると、終集合の話に関してはスッキリするのではと今思いましたが、これではだめなんでしょうかね・・? もしよろしければ回答よろしくお願いしますm(_ _)m
- tsukita
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#1です。返信が遅くなりすみません。 >F(a)=G(a)ならばF(A)=G(A)は成り立ちますよね? そうですね!これは成り立ちます。 >2."定義から"のところで議論がループしているのはどうしてなのでしょうか? WXWXWAさんは、"対応の相等"の定義にあたって、著者の定義AとWXWXWAさんの考察の定義Bを比較して、定義Aでなくても定義Bだっていいはずだ!と言いたいわけですよね?(違っていたら私の解釈に問題がありますね。。。)ですから、"定義から対応FとGは等しい。"というように、対応の相等の定義を議論に使ってしまっては、本末転倒のような違和感を覚えます。
お礼
すいません。 補足の11行目にある >終集合が一致しないが始集合と値域が一致するような2つの対応 は >終集合が一致しないような2つの対応 の誤りです。申し訳ありません。
補足
回答していただきありがとうございます! 私の日本語があまり上手ではないので、そのように解釈されたのだと思います。すいません・・。考察の定義Bを新たな定義にしたいという意図はありません。 私が言いたかったことは、 著者が"2つの対応の相等を論じ得る為には、もちろんそれらの始集合,終集合がそれぞれ一致していることが前提である" と述べているが、終集合が一致しない場合でも 「2つの対応の始集合が一致してさえいれば」 2つの対応の相等を論じ得るのでは?ということです。 ※ここでの"対応の相等を論じ得る"とは、"2つの対応が等しいか否か考えることに意味がある"と私は解釈しています。 なぜなら・・・ 終集合が一致しないが始集合と値域が一致するような2つの対応 F:A→B G:A→C を考える (1)B⊂Cのとき F:A→BはF:A→Cとしてもよい。 すると対応F,GはいずれもAからCへの対応であって もし、∀a∈AでF(a)=G(a)ならば定義によりF=Gである もし、∀a∈AでF(a)=G(a)でなければ定義によりF≠Gである (2)C⊂Bのとき (1)と同様 (3)B∩C≠φかつB⊂Cでないとき B∩C=Dとする。 もし、∀a∈AについてF(a)=G(a)ならばF(A)=G(A)⊂D また、∀a∈AについてF(A)=G(A)⊂Dならば FとGはともにAからDへの対応といってもよい。 すると定義からF=Gである もし、∀a∈AについてF(a)=G(a)でなければ定義によりF≠Gである (4)B∩C=φ(BとCが互いに素)のとき もし、∀a∈AについてF(a)=G(a)であればB∩C=φに矛盾。 よって背理法により∀a∈AについてF(a)=G(a)でない。 すると定義によりF≠Gでない (1)~(3)はどれも終集合は完全に一致していないけど、 「この二つの対応は等しいかな?等しくないかな?」 と考えることができて (4)については必ずF≠Gであるから2つの対応が等しいか否か考えることに意味はない。 だったら、"2つの対応の相等を論じ得る為には、始集合が一致していて、かつ終集合が互いに素でないことが前提である"とすべきではないかな?と思ったのです。 そうなると、著者が言う"前提"が何を意味しているのかわからなくなってしまった。だからここで質問させていただいた・・・ ということです。 この補足に書いたことについてなにか御意見いただけると嬉しいです。 よろしくお願いしますm(_ _)m
- de_Raemon
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>でも対応F:A→B対応G:A→Cについて、もしB⊂Cであるならば >対応FはAからCへの対応といえるので、FとGの始集合と終集合は一致。よって相当を議論できる・・・。 >というのは正しいですよね? 正しいと思います。 実は集合位相入門は前から読もうと思ってたんですが、つん読状態でした。 WXWXWAさんの質問に便乗してこの機会に勉強させてもらいます!
補足
de_Raemonさん回答ありがとうございます! >WXWXWAさんの質問に便乗してこの機会に勉強させてもらいます! これは私としてはとても嬉しいです。笑 私は数学があまり得意ではないので、数学の本を読んで勉強してても、まわりからしたら簡単なとこにすぐつまづき、読み進めれません。 そしてまた、もっと勉強せねばと焦る一方で・・。 なのでこういった質問できる場があり何度も回答してくださる方がいてとても助かります。 ところで、No.5さんへの補足に最終的な考えを書きました。 de_Raemonさんが例として挙げてくださった B=R,C=R^2や選挙の例は私が補足に書いた(4)に相当するのかなと思いました。もしよろしければNo.5の補足に関してもご意見いただけると助かります。
- de_Raemon
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集合位相入門を読んでみましたが、p24にAからBへの対応Fに対し Aを対応Fの始集合、Bを対応Fの終集合と言うと書いてあります。 写像は対応の特別な場合なので写像についても同じことがいえて、 写像f:A→Bに対しAをfの始集合、Bをfの終集合と呼びます。 >f:A→Bとg:C→Dで >f(A)⊂BかつB⊂Cならば >べつにfの終集合とgの始集合(定義域)とが一致しなくても良いと思った この例ではB⊂Cなのでf:A→Bはf:A→Cとみなせるので、終集合の定義からいえばfの終集合は f(A)ではなくCです。またgの始集合はCなのでfの終集合とgの始集合はちゃんと一致してます。 WXWXWAさんは写像fの終集合と写像fの像f(A)を混同してしまっているようです。 さらにWXWXWAさんはf:A→Bとg:C→Dで、”B⊂C ”が考えられるような、BとCが集合として「同質」 な場合だけ念頭にあるようですが(例えばBもCも実数の部分集合)、確かにこのときには合成できます。 が、p35の注意書きが言いたいことはBとCが集合として「異質」なときには合成できないってことでしょう。 具体例をあげると、B⊆R , C⊆R^2 のときfとgは合成できません。 次に(2)についてですが >対応F:A→B対応G:A→Cとする。ここでは、B⊂Cとしても一般性は失われない。 これは言えないと思います。p23で選挙を例にあげてるので、やはり選挙を例に考えてみます。 衆参同時選挙があるとき、対応Fを衆議院選挙、対応Gを参議院選挙とします。 このとき選挙人の集合は同じなので対応Fと対応Gの始集合は一致しますが、BとCは集合として まったく異質のものなので対応Fと対応Gを比較すること自体意味がないです。 この選挙の例から、 『2つの対応の相等を論じ得る為には、始集合,終集合がそれぞれ一致していることが前提である』 といえます。
補足
de_Raemonさん回答ありがとうございます! (1)については、今回これについて質問したり、皆さんの回答を読み再び自分で考え直すことによりだいぶ理解できたように思えます。 (2)についての、de_Raemonさんの挙げられた例は確かに相当を論じるのは無意味ですね。 でも対応F:A→B対応G:A→Cについて、もしB⊂Cであるならば (1)のときと同じように(?) 対応FはAからCへの対応といえるので、FとGの始集合と終集合は一致。よって相当を議論できる・・・。 というのは正しいですよね? (これがddtddtddtさんの回答にあった 集合の拡縮なのでしょうか・・?)
趣旨は、#1さんの補足です。 数学では、何でもかんでも用語を統一しようとするため、このような違和感も起きるのだと思います。というわけで、質問者様の言う事に相当する用語も存在します。 ・始域(定義域)を任意に小さくする事:写像の制限、または縮小。 ・始域(定義域)を任意に大きくする事:写像の延長、または拡大。 ・始域,終域(値域)を任意に拡縮する事:始域をAからBへ,終域をCからDへの移行によって得られる写像。
お礼
回答ありがとうございます。 用語がたくさんあってよく混乱してしまいます…(汗 参考にさせていただきます!
- tsukita
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そんなに難しく考える必要はないのではないでしょうか。 "公理系"や"論理"などが研究対象の場合には、例えば、命題「A→B」を考察するにあたって、"Bを導くためにはたしてAは極小の条件であるのか"ということを追求する機会があると思われますが、WXWXWAの質問にあるような概念の定義においては、"極小"の議論が欠けることがあるのかも知れません。概念の定義の目的は、 "誰が聞いても概念の理解がぶれないようにするため" だと私は捉えています。 --------------------------------------- さて本題ですが… (1)については、私もWXWXWAの言おうとしていることは正しいのではないかと考えます。但し、『写像f:A→Bとg:B→Cについて、fとgとの合成写像はfの終集合がgの始集合(定義域)の部分集合であるときに限って定義される』と考えます。(※著者がその後の議論のために意図的に定義している場合は除きます) >これについて、 >f:A→Bとg:C→Dで >f(A)⊂BかつB⊂Cならば >べつにfの終集合とgの始集合(定義域)とが一致しなくても良いと思ったのですが… この点についてですが、f(A)⊂Bについてはf:A→Bという表記が成されている時点で不要な条件です。また、著者が"g:B→C"という表記に対して、"gの始集合(定義域)"ということばを使っていますので、この文面からは私は"gの始集合(定義域) = B"とは解釈しません。つまり、"f:A→B"などの表現は、写像の広義の定義空間を示しているもので、定義域はもっと厳密に定義するものと解釈します。この意味で、合成関数の定義において「f:A→Bとg:C→D」というように、BとCを分けるのは、ナンセンスであり、また、定義を記述するのに3つの記号(A,B,C)で済むところを4つ(A,B,C,D)用いている点で読者に余計な負担をかけるものと考えます。 (2)についても、 >FがAからBへの対応,GがAからCへの対応であり, >さらに任意のAの元aについてF(a)=G(a)という時は, >別にB=CでなくともC⊂BとかB⊂Cのときも対応FとGは等しい というように、A,B,Cの3つの記号を用いるのは冗長です。WXWXWAの仰りたいことはわかりますが、それは定義を複雑にするだけであり、対応の相等の定義をする上で、不要な(強いては余計)な議論です。 以下、気になった点について >さて、今が任意Aの元aについてF(a)=G(a)が成り立っているとする。 >これはF(A)=G(A)ということ。 『任意Aの元aについてF(a)=G(a)が成り立っている』ことと『F(A)=G(A)』は同値ではないので注意してください。 >ここでF(A)=G(A)⊂B⊂C⊆Dなる集合Dをとれば対応FとGは >ともにAからDへの対応とも言える。 >すると、定義から対応FとGは等しい。 この"定義から"という時点で議論がループしています。 --------------------------------------- (1),(2)のいずれについても、論理的に極小でないなどの細かい議論は考察してもよいかもしれませんが、概念の定義(読者の理解にぶれがないようにする目的)としては、十分かつ簡潔な表現だと思います。 テキストによって記述方法には癖がありますので、理解に苦しむことがありますよね!頑張ってください!!WXWXWAさんのように厳密に理解しようとする努力は、自身の理解だけでなく、他の人に説明する際にもプラスになると思います。
補足
回答ありがとうございます。とても助かります! 1.F(a)=G(a)とF(A)=G(A)については私の書き方が悪かったです。ご指摘ありがとうございます。F(a)=G(a)ならばF(A)=G(A)は成り立ちますよね? 2."定義から"のところで議論がループしているのはどうしてなのでしょうか? すいません、私にはよくわかりませんでした… 具体的に仰っていただけると助かります お願いしますm(__)m
お礼
de_Raemonさん、回答ありがとうございます。 >「人工的に」普遍集合としてR∪R^2をとれば強引に(4)の場合に帰着しますが こうなると、いくらでも無理やり終集合を一致させることができるし、 対応F:A→Bの”AからBの”対応としての意味が希薄になることもありますしね・・・。 集合・位相入門のp37に対応の、特に写像の終集合に関する記述がありますが、ここでは「写像はその定義域と定義域の各元の像のみによって定まる概念とされ、終集合は値域を含むような集合でありさえすれば何でもよいとする立場もある。もっともこのような立場がとられることは、けっして多くはない」との記述もありますから、状況に応じて終集合の取扱を変えたほうがいいのかもしれません。 ここまで回答していただき本当にありがとうございました。 毎回くだらない質問ですが、回答してくださる方がいて助かります。 また読み進めて見たいと思います! 良回答には一人しかできませんので、今回は回答順&回答回数を考慮して割り振ることにします。 ありがとうございましたm(_ _)m