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ハイデッガーについて
「現存在」は「死」とどのように関連付けられるのか教えてください。 お願いします。
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ハイデガー「存在と時間」を読んで、衝撃をうけ、生きる信念をつかみました。 中公クラシックスは、最新の研究を結実させた、名著です。 私は、ヤスパース「実存開明」「形而上学」の後、「存在と時間」を熟読し、数ヶ月かかりました。ウンウンうなったが、驚くべき記述が次々と現れ、人生観が一変しました。 生まれたままの、欲望に駆られて生きる人間→『現存在』(現にあるがままの姿) 自己にめざめ、自己実現する人→『実存』(あるべき人、真に存在すべき人の姿) 現存在は、事物だけの世界の内に存在し、他人を、道具として扱って、欲望に駆られ、「いつか自分が死ぬ」ことから目をそらし、ごまかして生きる。 現存在の時間は、過去→現在→未来、と流れ、時間に流されて、今・今の欲望を満たすために、現存在は生きる。 そんな空虚さに、実存は不安になる。 そこで「いつか自分は死ぬ」と自覚し、ならば『有限な人生で、何をなすか?』と生きる意味に覚醒し、世界への貢献を決意する。 死に先駆して、決意するから、『先駆的決意性』と呼ばれます。 実存の、時間性。それは、到来(未来)→既在(過去)→現前(現在)だ。 到来する未来に、私はどうあるべきか → 既にある過去により、どんな私となったか → では現在、私は何をなすべきか この、現存在→実存、時間性への覚醒は、個人の超越です。ここに個人の生きる意味があり、超越した人は、永遠に人々の心に生きる。 民族は、歴史性に覚醒したとき、文化の伝統を築き、民族の生命は、永遠に歴史に生きる。 こう見ると、ハイデガーの『実存』とは、サルトルの「実存は本質に先立つ」と、まるで異なる。全然ちがった思想なのに、 昭和30年代の日本では、ハイデガーを理解できないまま、サルトルを共産主義とごっちゃにして崇拝しました。 キルケゴール→ニーチェ→ヤスパース→ハイデガー、この『実存哲学』と、 サルトルは、まるで別の思想です。 だが最近では、この誤りが正されて、 高校の倫理の、数研出版の教科書が手元にありますが、 サルトルに、距離を置いた記述がされており、安心しています。
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- kigurumi
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レポートとして提出するような内容ではないのですが、、、 そして私も自信は無いのですが、、、 人は生まれたと同時に死を獲得している。 どゆこと? えっとですね、生まれければ死は訪れないのですが、生まれたら絶対に100%当たるくじをひいてしまっているわけです。 必ず当たるくじ、その当選商品は 死 。 で、、、、、えっと、、、、 例えば うぎゃー って生まれた瞬間 既に我々は死に向かっている。 数値的な簡略化した説明だと、、、、 ふぎゃーー(誕生)→ 生99%、死1%の状態。 10歳くらい →生90%、死10%。 と徐々に生の数値が減っていき、死の数値が増えていく。 両方持っているが数値が変る。 だから生の後に死が来るんじゃなくて、生まれた瞬間死も獲得しているから死というものがあるわけです。 獲得していなければ、死はありません。 例えば、今教室にいて図書館に行こうとしていますよね。 図書館に行こうと思った瞬間、あなたはもう図書館を少し所有している。 図書館という空間に入るまで、徐々に数値が変化していく。 図書館に入った段階で、図書館が100%になり、教室が0になる。 というわけで、現存在は死を含んだ生。 以前このサイトでドイツ語によるハイデッガーの存在と時間の説明だったか、建築を例えにしたハイデッガーの存在と時間の説明だった記憶があいまいですが、上のようなことが書いてあったと記憶しています。 今までは死は生の後に来るというのが常識だったんですが、ハイデッガーはそうではなく同時にあるって言ったんだったと思います。 既に死を所有しているという実感がありませんが、確実に所有しているから死ぬんですよね。
- qsxdrfvgyh
- ベストアンサー率22% (17/76)
『存在と時間』を読みましょう。