この訳はどこが間違っていますか
状況解説
ナショナルフットボールの選手たちが、試合前の国歌斉唱の際に起立せず、ひざまずくことで、人種差別に対する抗議活動を行ったことに対してトランプ大統領が批判した問題で、ニュースコメンテーターが評論をしています。
CAMEROTA: And Michael, I mean, of course it's been pointed out that the president has -- is speaking more critically about these players who are taking a knee than he did about the neo-Nazis in Charlottesville, who he called "Some of them are very fine people."
カメロタ:そしてマイケルさん、なんというか、もちろん大統領がシャーロッツビルのネオナチたち、彼が「彼らのうち何人かはとても良い人たちです」と言った人たちよりも、これらのひざまずいている選手たちに対してより批判的に述べていることが指摘されています。
MICHAEL SMERCONISH: True. by the same token, I don't think you can say that all criticism that's directed at Colin Kaepernick and other athletes is racially driven, because there's a legitimate debate here about the propriety of protesting during the national anthem.
マイケル・スマーコニッシュ:そうですね。しかし同様に、コリン・キャパニック選手や他の選手たちに向けられている批判は全て人種差別的理由で引き起こされた[なされている]とは言えないと思います。
何故なら、そこには国歌斉唱の際に(人種的差別に)抗議するのが適当か、という筋道の通った討論があるからです。(=人種差別に抗議するのはよいとしても、国歌斉唱のさなかに抗議活動をするのはタイミングとして不適切では?というまっとうな論議があるからです)
And here's a barometer of just how much the country has moved in this regard. In 1992, George Herbert Walker Bush, running for reelection, made an issue of Bill Clinton, as a Rhodes Scholar while at Oxford, protesting against his country overseas. And it was then perceived as a bona fide point of contention, a legitimate debate.
そしてここに(これから述べること?直前に述べたこと?)、この国がどれだけこれに関して揺り動かされたか(? 意味不明)を示す指針があるのです。1992年、再選に出馬したジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ氏は、ビル・クリントン氏がオックスフォード大学在籍中の奨学金特待生であった頃、(アメリカからみて)海外へ向けて、(つまり)彼の国(彼の留学中の国、イギリス)に抗議して、クリントン氏の過失(※1)を問題として取り上げた そしてこの件は誠実な論争、筋道の通った討論として理解されました。
(※1)ベトナム戦争時、クリントン氏(男)はオックスフォード大学に留学しており、召集令状をかけられたのにも関わらず徴兵忌避した疑惑。
I took note of the fact that yesterday the first game, which was 11 a.m. our time, East Coast, was the Jaguars and the Ravens at Wembley overseas. Twenty-seven players, according to "The Guardian" in the U.K., protested. And I've not heard any controversy here in the United States saying, "Huh, it's one thing to protest within our country, but what about overseas?"
My point is that the politicization of everything has become universal. And that's a sad thing.
私が注目した事実は、昨日の最初の試合は、それは私たちの時間東海岸で午前11時のことだったのですが、海外のウェンブリー(ロンドン郊外の町)でのジャガーズ対レイベンズだったということです。
イギリスのガーディアン紙によると、27名の選手が(試合前の国歌斉唱中にひざまずくことで人種差別に)抗議したそうです。そして、私はアメリカで「ふん、これは私たちの国で抗議される問題の1つかもしれない。だが海外(イギリス)ですべきことなのか?」といった論議はまったく聞かない。私が言いたいことは、全てのことの政治問題化は世界共通になっているということです。そしてこれは、悲しいことです。
まず、but what about overseas?は「海外ですべきことなのか?」という意味なのか、それとも「海外は人のことが言えるのか?」という意味なのでしょうか。
次にMy point is that the politicization of everything has become universalの部分ですが、
「私が言いたいことは、全てのことの政治問題化は世界共通になっている」という訳は日本語として支離滅裂です。おまけに、「私の言いたいことは」と切り出していると言うことは、この部分は直前の文を補足的に説明するものであるはずなのですが、なぜイギリスで選手が人種差別への抗議活動をすることが、「政治問題化が世界共通になっており、それが哀しい」ということになるのか、日本語として支離滅裂で繋がりません。
意味が通るように正しい訳を教えて下さい。
ここまでお読みいただきありがとうございます
お礼
早速の回答ありがとうございます。私も野球のことは全然わからないので、その時の松阪さんの投球内容がどんなレベルなのか良くわからないのですがとても良いようなので、結果が良くて、「できすぎだー」のようなニュアンスもあるのかな?<That guy is all business.>がそんな意味になるとは… 勉強になりました。