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トランプ大統領の人種差別批判問題についての評論
- トランプ大統領が、ナショナルフットボールの選手たちの抗議活動に対して批判している問題について、ニュースコメンテーターが評論しています。
- 大統領が選手たちに対してより批判的に述べていることについて指摘し、人種差別との関連性についても議論があると述べています。
- また、選手たちの抗議活動が国外で行われたことに触れ、世界的に政治問題化していると指摘し、それを悲しいと表現しています。
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1番目のパラグラフの訳は完璧と思います。 2番目も問題ないです。背景としてですが、このNFLでの国歌斉唱時膝立行動は、昨年SF49ersのQB コリン・キャパニックが相次ぐ警官の黒人殺しに対する抗議と悲しみの表現。突飛な行動と映り、ファンだけでなく仲間の選手たちからも批判されました。しかしやり続ける内に、キャパニックに共感する仲間が現れ、一人、また一人と一緒に膝立をするようになり、選手全体に広がっていきました。ただ、ファンや一般市民の中での賛否両論は残っています。この件に対する昨年からあったので、今年のNFLが開幕してトランプが批判したときには正直なんで今さら?と言う感じがしたことと、一方でNFL全体に膝たて行動が大きく拡がった背景にはトランプへの批判が大きいだろうと言う気もしていて、選手側でももともとのキャパニックの悲痛な訴えからは目的が外れてきているのも感じます。 パラグラフ3。 ロンドンでのNFL開幕戦の話と、クリントンの徴兵回避問題は、海外での米国に対する批判、抗議と言う意味の共通点はあっても、関連性、一連の流れがあるわけではないので、a barometerと言っているのは、NFLの膝立問題を分析する時の一つの測定器、物差し、つまり見方として海外を絡めた時にどうかと言うこともありますねと言うことと思います。 And here's a barometer of just how much the country has moved in this regard. 「そしてこの件に関連して簡単にこの国がどのくらい動いたかを見る一つの視点がありますね。」 ここでは、国内では国家に対する忠誠、冒涜 vs. 人種差別 と言う少し軸がずれた対立があるけど、ちょっと視点を海外まで広げたらどう見えるか?と言うことを言いたいんじゃないかと思います。 protesting against his country overseas 直訳は、「海外の彼の国に対して抵抗する」で、抵抗の相手は彼の国アメリカ。overseasと使われているのはクリントンがイギリスにいるのでそこから見てアメリカはoverseas。なので、意訳すると、「自分の国に対して海外から抵抗する」 パラグラフ4 > まず、but what about overseas?は「海外ですべきことなのか?」という意味なのか、それとも「海外は人のことが言えるのか?」という意味なのでしょうか。 ⇒ 前者ですね。it's one thing to protest 「抗議するのはありかもしれないが」how about overseas 「海外で抗議するのはいかがなものか」。to protestが省略されていると思います。 > 次にMy point is that the politicization of everything has become universalの部分ですが、 「私が言いたいことは、全てのことの政治問題化は世界共通になっている」という訳は日本語として支離滅裂です。 ⇒ universal を「世界共通」と訳すのではなく、一般的、普遍的みたいにとらえると良いと思います。「私が言いたいのは、なんでもかんでも政治問題にするのが普通になって来たと言うことです。」 > おまけに、「私の言いたいことは」と切り出していると言うことは、この部分は直前の文を補足的に説明するものであるはずなのですが、なぜイギリスで選手が人種差別への抗議活動をすることが、「政治問題化が世界共通になっており、それが哀しい」ということになるのか、日本語として支離滅裂で繋がりません。 ⇒ クリントンの件に関して詳しく知らないのですが、文脈からすると、クリントンに関しては、抗議を海外で行ったことが問題視されたが、NFL選手の抗議に関しては、海外で行ったことは問題視されなかった。つまりまともな論争ではなく、政治的にどう利用するかしないかの違い、と言いたいのではないでしょうか?NFLの問題はもともとは、人種差別に対する抗議 vs. 国歌に対しての冒涜 と言う論争のはずが、トランプに対する批判と言う政治利用の意味合いが強くなってきて、まっとうな議論から外れて悲しいと言いたいのだと思います。 トランプは膝立問題を批判し、それをやった選手を「クビにしろ!」と訴えました。それに反発して、もともと膝立に参加していなかった選手まで参加して大きな動きになり、完全に政治化したと思います。 質問の英文は、アメリカのニュースショーでキャスターとゲストがスクリプト無しで話した内容を書き起こしたものと思いますが、会話なので理路整然と組み立てらて効率よく関われているわけではないと思います。その意味ではわかりにくいところもあると思うし、アメリカ人だったら知っている背景も知らないとわからないところもあると思います。 個人的にはこの膝立問題、かなり違和感があります。もともとのキャパニックの行動は、人種差別への抗議とともに、アメリカが人種差別のない国になって欲しいと言う悲痛な願いでもあったと思います。参加する選手が増えるに連れて、キャパニックに強い思いは薄れて、ある意味ファッション化して行ったところはあります。そこにトランプが突如乱入して、トランプへの反発行動になったと思います。その時点で元々のキャパニックの思いは死んでしまったように思えるんです。
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- cbm51901
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No.1 です。補足を拝見いたしました。 > ただ「特定の国の政治的課題が、国際的な舞台の上で言及される」ということ > は、確かに場違いであるかもしれませんが、「哀しいこと」とまでは言えない > ような気もしております。 そうですね。「特定の国の政治的課題が~」という私の訳(解釈)には誤解があったかも知れません。 "politicization of everything has become universal." ですから正しくは、「何でもかんでも政治に結び付けてしまう、この世界的な風潮は(憂うべきことだ)。」 だと思います。その意味において、米国事情に造詣が深い9248bwsdさんの解釈 はとても参考になると思います。 そしてkutnkbmjygbkuさんの指摘、すなわち 「政治的主張と博愛的抗議活動は(本来)分けて考えるべきなのに、それが混同されてしまった。それは哀しいことだ」 とする解釈は正しいと思います。
お礼
こんにちは。 早速の御回答ありがとうございます。 私一人では翻訳しようがなかったです。 お二人の御回答のお陰で、正解に辿りつくことができました。 昨日質問した時点で、回答がつくことは絶望的だろうと思っていました。 というのも質問文が長すぎたためです。 しかし、これほどの素晴らしい御回答を、朝早くに、しかも2件も頂いた。 本当にうれしかったです。どれほど心強かったことでしょうか >>米国事情に造詣が深い9248bwsdさんの解釈はとても参考になると思います cbm51901様は、日本在住なのでしょうか。 ということは、最初の御回答は、日本時間で夜中にされたということになる。 御蔭様で私は朝一番で御回答を熟考することができました。 深く感謝しております 今回も勉強させていただきました。 また何卒、よろしくお願い致します。
補足
もし今回、お二人に御回答頂けなかったら、 私の鬱病は更に深刻化していたと思います。 助けて頂いてありがとう
- cbm51901
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CAMEROTA: And Michael, I mean, of course it's been pointed out that the president has -- is speaking more critically about these players who are taking a knee than he did about the neo-Nazis in Charlottesville, who he called "Some of them are very fine people." カメロタ:マイケル、そしてなんというか大統領が、「彼らの一部はとても立派な人たちだ」と大統領自らがかつて称したシャーロッツビルのネオナチよりも、今回ひざまずいた選手たちに対し、より厳しい批判の声をあげていることへの指摘はあるよ。 MICHAEL SMERCONISH: True. by the same token, I don't think you can say that all criticism that's directed at Colin Kaepernick and other athletes is racially driven, because there's a legitimate debate here about the propriety of protesting during the national anthem. マイケル:そうだね。さらに言うと、コリン・キャパニックら選手たちに向けられている批判の全てが、人種差別の問題に結びついているとは言えないと思う。何故ならそこには、国歌斉唱の最中に抗議活動をするのが適当か、という筋の通った議論があるからね。 And here's a barometer of just how much the country has moved in this regard. In 1992, George Herbert Walker Bush, running for reelection, made an issue of Bill Clinton, as a Rhodes Scholar while at Oxford, protesting against his country overseas. And it was then perceived as a bona fide point of contention, a legitimate debate. そしてここに、この国がどれだけこの議論(抗議活動の適宜性に関する議論)を進めてきたかを示す物差しがあるよ。1992年、再選に出馬したジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュは、ビル・クリントンが、奨学金特待生としてオックスフォード大学に在籍中海外(英国)に居たにもかかわらず、母国米国に向け抗議活動を行ったことを問題として取り上げた。そして当時これは、正当な論争、筋の通った議論として受け入れられた。 I took note of the fact that yesterday the first game, which was 11 a.m. our time, East Coast, was the Jaguars and the Ravens at Wembley overseas. Twenty-seven players, according to "The Guardian" in the U.K., protested. And I've not heard any controversy here in the United States saying, "Huh, it's one thing to protest within our country, but what about overseas?" My point is that the politicization of everything has become universal. And that's a sad thing. 僕が注目したのは、こちらの東部標準時間で午前11時に始まった昨日の最初の試合、ジャガーズ対レイベンズ戦が、海外のウェンブリー(ロンドン郊外の町)で行われたということさ。 イギリスのガーディアン紙によると、27名の選手が(試合前の国歌斉唱中にひざまずくという、人種差別に対する)抗議活動を行ったという。それでも僕は米国内で「ふん、(これは国内の問題なので)米国内で抗議するのならまだ分かる。だがはたして海外(イギリス)で行うべきことであろうか?」といった論議をまったく耳にしない。僕が言いたいのは、あらゆる、世界中の政治問題が国際的課題として舞台の壇上に上げられるようになってしまったということさ。これは、悲しいことだ。 ==================== マイケルが言いたいのは恐らく、「たとえドメスティックな問題であっても、今やすべての政治的課題が国際的な舞台の上で言及・追求されることになってしまった」ということではないでしょうか。 ちなみにクリントンのくだりは、誤解が生じているように思います。
補足
cbm51901様、こんにちは。 いつも、ためになる御回答をありがとうございます。 夜に質問して、これほど早く御回答をいただき大変助かっております。 今回は長文で御面倒をおかけしております。 本当はもっと要点を絞ろうかと思ったのですが、素人判断で削るよりも、あえて全文を載せた方がよいと判断しました。 And here's a barometer of just how much the country has moved in this regard. お示しの訳「そしてここに、この国がどれだけこの議論(抗議活動の適宜性に関する議論)を進めてきたかを示す物差しがあるよ。」 このmoveは自動詞であり、「議論を進める」という解釈なのですね。辞書で「提議を進める、議論などで意見をだす」といった解釈が可能であることを確認しました 私はてっきり、「扇動されている」というような受動態の意味として捉えておりました。「国がどれくらい動いてきたか」つまり「国がどの程度のレベルまで議論を進めてきたか」 In 1992, George Herbert Walker Bush, running for reelection, made an issue of Bill Clinton, as a Rhodes Scholar while at Oxford, protesting against his country overseas. そうか、これは「(クリントン氏が)母国米国に向け抗議活動を行ったこと」を(ブッシュ氏が)問題として取り上げた、という意味だったのですか。 ProtestingはBill Clintonに掛っていたのですね。まったく気付きませんでした。 ここまでは、92128bwsd様と同じ意見とお見受けいたします。 「たとえドメスティックな問題であっても、今やすべての政治的課題が国際的な舞台の上で言及・追求されることになってしまった」の部分についてですが、 これは、その一文だけを見れば訳としては正しいと感じました。 ただ「特定の国の政治的課題が、国際的な舞台の上で言及される」ということは、確かに場違いであるかもしれませんが、「哀しいこと」とまでは言えないような気もしております。
お礼
universalのもう1つの意味「一般的な、普遍的な」に気付くことができなかったです。 話者はクリントン氏の「国外からの批判」という事例を取り上げていたため、「世界」というキーワードが先入観として植え付けられ視野狭窄し、辞書で調べても「万国共通の」という意味しか目に入りませんでした >>質問の英文は、アメリカのニュースショーでキャスターとゲストがスクリプト無しで話した内容を書き起こしたものと思いますが、会話なので理路整然と組み立てらて効率よく関われているわけではないと思います。その意味ではわかりにくいところもあると思うし、アメリカ人だったら知っている背景も知らないとわからないところもあると思います。 仰る通りです。皆様のお力を借りずには、どうしようもないこともあります。 そう言う意味で、効率的とは言いがたいです。 とても翻訳に手こずっております。 本件で取り扱った部分の他にも、不明な部分が多くあって、その度にそこで足止めをくらい、なかなか翻訳作業が前に進みません ただ、それだけに、とても生きた英語だと感じます >>個人的にはこの膝立問題、かなり違和感があります。もともとのキャパニックの行動は、人種差別への抗議とともに、アメリカが人種差別のない国になって欲しいと言う悲痛な願いでもあったと思います。参加する選手が増えるに連れて、キャパニックに強い思いは薄れて、ある意味ファッション化して行ったところはあります。そこにトランプが突如乱入して、トランプへの反発行動になったと思います。その時点で元々のキャパニックの思いは死んでしまったように思えるんです。 たいへん考えさせられます。 単に単語や文法の解釈のみならず、背景知識や、さらには御意見まで聞けてよかったです。御蔭様で、話者の言い分を、そこに込められた思いを、より深く理解することができました。 夜、暗い面持ちで質問を投稿し、 今朝、晴れ晴れとした気持ちで、本質問に寄せられた2件もの素晴らしい御回答に向き合いました。 本当にうれしかったです。 また何卒よろしくお願いいたします
補足
92128bwsd様、朝早くから御回答を頂き有難うございます。 御蔭様で、朝一番に御回答を熟考することができ、たいへん助かりました。 今回も本質的な御回答を頂き、本当に頭が上がりません。 92128bwsd様の御回答を正しく解釈出来ているか、この補足コメントを通して、ご確認させていただきたいです。 パラグラフ3のAnd here's a barometer of just how much the country has moved in this regard.に関して。 このmoveは「行動に移す、取りかかる」という意味で宜しいでしょうか。 つまり、「この件に関しては、国がどれだけ提議(議論)を発展させてきたかを示す指標がある」 言いかえれば、「これまでを振り返って、同種のことが起こった場合に国内世論がどのように振る舞ってきたかを示す指標」でよろしいでしょうか。 その「指標」を説明するものとして、話者はクリントン氏の事例を紹介している。 クリントン氏が国外からアメリカを批判したことをブッシュ氏は問題とした。 その時は、クリントン氏に対するブッシュ大統領の批判は正当なものであると(世論によって)受け止められた。 同様の状況下で、国外でフットボール選手がアメリカを批判した。 ならば、これまでの指標にならい、選手たちの行為は問題とされるべきだろう。 というのも、以前もクリントン氏に代表される同様の事例があり、その時も国外からアメリカを批判することは不適切とされたのだから。 全てのことが政治問題化することが、当たり前のようになっていて、それは哀しいことだ =本来は警官による黒人への殺害事件に対する哀しみの表明として始まった博愛的な抗議活動が、徐々に政治的色彩を帯び、特定の政権を批判するためのパフォーマンスとなってしまった。政治的主張と博愛的抗議活動は分けて考えるべきなのに、それが混同されてしまった。それは哀しいことだ 上記の解釈でよろしいでしょうか?