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ε-δ論法のモヤっと感
ε-δ論法って数学的ではない気がするのですが、私だけでしょうか。なんかこじつけのような気がします。ある数に応じて、それより小さい数をいくつでも持ってこれるから・・・とか、数学の理論の中でも稀に見るこじつけ論法ですよね。ゼノンのパラドックスを数式混じりで綴っているだけのような気がしてなりません。理解不足なのかもしれないので、このモヤっと感を払拭して頂けませんでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
私もモヤット感があります. けどその一方できちんとした定義でもあると思ってます 高校で習う極限は限りなく近づくことを直感的に述べているだけで済ませてます.これは感覚的にはしっくりきますが数学的な厳密性に欠けると思います. 超準解析という分野があります(私は詳しくありませんが) これにより超実数を定義し、無限大、無限小を数学的対象として扱っています.超準解析はモヤット感の払拭と厳密性を求めようとして生まれたのかもしれません.ただ超準解析の理論を構築するまでに数学基礎論から始めてかなり大変らしいです.まだε-δ法の方が簡単なくらいのようです.ですが最近、実数体Rを数拡張するようにして超実数体R*を構成するやり方も知られているようです. 私は変分原理を理解しようとして物理で出てくる微小変化や微小量を数学的に理解しようとして超準解析に興味を持つきっかけとなりました.が未だよく分っておりません.
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- jmh
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∀ε>0、|x-a|<ε→|f(x)-f(a)|<δを満たす関数δ=δ(ε)を構成すればよいと思います。そうやって、全部のεに対してδ(の上限)を与える方法_も_あるというのは、よいですか?
お礼
回答ありがとうございます。 イマイチわかりません。どなたか具体的にお願できますか。
- jmh
- ベストアンサー率23% (71/304)
「y=x^2がx=0で連続であること」を言うためには、例えば「δ=ε^2」などと、__すべてのεに対して少なくとも1つずつδを与えれば良い__のではないでしょうか?
お礼
いまいち良くわかりません・・・ アドバイスありがとうございます。
- jmh
- ベストアンサー率23% (71/304)
#12, #15 です。 「モヤっと感」は、例えば、y=x^2がx=0で連続であることを確かめるめには、 |x|<1→|y|<1、 |x|<1/4→|y|<1/2、 |x|<1/9→|y|<1/3、 …というような連鎖が発生して、結局「“∀ε>0、∃δ>0”には到達しないではないか」という感じですか?
お礼
よくわかりませんが、まあそんな感じです。
- jmh
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#12 です。 この定義(∀ε>0、∃δ>0、|x-a|<δ→|f(x)-f(a)|<ε)のどの部分が「いつまでたってもアキレウスは亀に追いつけない」に相当するとお考えなのでしょうか? 参考URLは、Wikipedia の「ゼノンのパラドックス」です。
お礼
>どの部分が「いつまでたってもアキレウスは亀に追いつけない」に相当するとお考えなのでしょうか? ”|x-a|<δ→|f(x)-f(a)|<ε ”←この部分です
- masudaya
- ベストアンサー率47% (250/524)
>しかし、この場でモヤっと感を拭ってくださる頭脳明晰な方はいらっしゃらないのでしょうか。 これは,あなたのモヤッと感が分からないので,この場で払拭するのは不可能かと・・・ εーδ論法はどんどん大きくなるとか,ずーっと近づくなどのあいまいな表現をきちんと定義しようとしたものです. ∀ε>0、∃δ>0、|x-a|<δ→|f(x)-f(a)|<ε という定義は,f(a)からの誤差をεといわれても,xをaからδ以内に入れればいいんだ,というような掛け合いを定式化していると思っています.このような掛け合いを用いないと,ずーっと近づくというような動的な変化を定式化するのが難しいからではないかと思います. 前にあげた例題分かりづらいので変形します. lim(n→∞) an=α のとき lim(n→∞) (Σ(k=1 to n)ak)/n はいくらになるか証明しなさい.これは,εーδが必要であるというひとつの例です. この証明は前にあげた田島先生の【εーδ】に書いてあります.
お礼
回答ありがとうございました なんとな~く、わかりました。
- proto
- ベストアンサー率47% (366/775)
質問者さんがモヤッと感として挙げている、 いくらでも小さい数を持ってこれる、といった事も デデキントの切断などを使えば証明できるようです。 有理数、無理数の稠密性も切断によれば理解できます。 もしε-δ論法をいかがわしいと思うならば この切断を疑ってみるといいと思います。 さらに切断に関する証明はほとんど背理法が用いられるので、 切断がいかがわしいと思うならば 背理法を疑ってみるといいと思います。 ε-δ論法にしろ、それに代わるものにしろ、勉強をしていけば明快にわかるのかもしれません。 自分も素人なので明快にはわかりませんが、それはむしろ論法の問題ではなく、自分の勉強不足のせいかなと思います。
お礼
回答ありがとうざいます
- jmh
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「モヤっと感」wについて教えてください。 それは、∀ε>0、∃δ>0、|x-a|<δ→|f(x)-f(a)|<ε(Wikipedia)というような「数学での"連続"の定義」が、「直感の"連続"」と合致していないからでしょうか? それとも、この定義自体が「数学的ではない気がする」のでしょうか?
お礼
>それとも、この定義自体が「数学的ではない気がする」のでしょうか? はい、その通りです。
- ringohatimitu
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もしこの定義に納得できなければ他の自分なりに納得いく定義を考えてみられたらどうでしょうか?いろいろ試行錯誤しながら定義を考えるのもなかなか楽しいものです。そしてその定義がもしかしたら実はεδの言い換えであるかもしれないし、もしくはまったく別のものかもしれません。もし全然違うものが得られたときにまたその正当性、厳密性などを質問してみてはいかがですか?私もモヤっと感がはっきり何を指しているのか分からないので別の視点から回答させていただきました。
お礼
>もしこの定義に納得できなければ他の自分なりに納得いく定義を考えてみられたらどうでしょうか? そうですね。やってみます。
- atomicmolecule
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εδが連続性の証明になっていないといいますが私の理解では、εδをつかって連続性は定義されているのだと思います。 この点私の誤解でしたら教えてください。その際には連続性の数学的な定義をしっかり書いてください。 tuortさんの議論やコメントは数学カテにおける質問としては不定要素が多いため、モヤッ感を払拭することは出来なくて当然です。まずは「モヤッ」をもっと具体的にしなくてはならないともいますが。
お礼
まるで反逆者であるかの様に叩かれますな 具体的にできたらモヤっとしないと思いますけど
- adinat
- ベストアンサー率64% (269/414)
ほんとの意味でモヤっと感を払拭するためには、モヤっと感をきちんと定義する必要があります。 述語論理(大雑把に言って数学の命題を述べるために使われるもの)で現れる全称量化子、∀特称量化子∃になれれば大方すっきりするのではないだろうか、と思います。普通の大学では命題とは真偽の定まるもの、というぐらいしか教わりませんが、記号論理学をきちんと学ぶと命題とは何か、ということがよりはっきりとすると思います。 実数列{a_n}がαに収束することを次のように書きます。 ∀ε>0 ∃M∈N(n≧M ⇒ |a_n-α|<ε) これは命題です。真偽が定まるからです。ここで述語論理の記号がいくつかありますが、特に量化子が二つ現れています。量化子は命題を限定的にする働きがあります。次のように使うのが基本です。 ∀x P(x) : (意味)すべてのxに対して、命題P(x)が成立する。 ∃x P(x) : (意味)あるxに対して、命題P(x)が成立する。 上の場合は、∀ε>0 P(ε) という使い方をしています。これは次のように読み替えます。 ∀ε (ε>0 ⇒ P(ε)) : すべてのεに対し、εが正の実数ならば命題P(ε)が成り立つ。 ∃M∈N (P(M)) も同様に ∃M (M∈N ⇒ P(M))です。 (n≧M ⇒ |a_n-α|<ε)はすでに一つの命題です。それを∃M∈Nを前につけて限定的な命題にしています。∃M∈N (n≧M ⇒ |a_n-α|<ε) はやはり命題になりますが、それを∀ε>0をつけてさらに限定的にしています。それはやはり命題になるのです。 まずは記号論理学的に(数学的にといってもいいのかなぁ)上であげた“命題”がきちんとした命題であることを納得されたらよいと思います。その上で、それを数列a_nがαに収束することの定義をそのように決めた、と理解します。モヤっとの出所が、命題の書き方にあるとすれば、それは命題というものをきちんと考えなおす必要があるかも知れません。逆にもし、数列の収束を上であげたもので定義するのに抵抗があるというのであれば、それは高校の数学で扱っていた極限の概念をあやふやなまま引きずっているということになります。つまりきちんと定義されていないものをきちんとした定義と誤解していることになります。 ただいわゆるε-δ論法に関して感じる気持ち悪さが理解できないわけでもありません。要するにε-δは難しいのです。量化子記号が複数必ず表れます。∀と∃です。この二つの記号が常に出てきます。慣れたら僕はたいしたことはないと思うのですが、論理学をやっている友人に言わせると二つも量化子記号を使うのは十分に複雑なんだそうです。もしかすると大学に入って最初に戸惑う原因はそこにあるかも知れません。実数体Rで収束の概念を定義するには、経験的に上の二つの量化子記号を使う必要があることがわかっています。その意味で、超準解析で使う超実数体であれば、量化子記号を一つ減らして収束の議論が出来るので、命題が易しくなるそうです(僕にはあまり易しくなったとは感じられませんが)。tuort_sigさんにとってはその意味で、超準解析を用いた方がモヤっと感は少なく感じられるかも知れません。興味があれば一度学ばれたらよいでしょう。
お礼
超準解析ですか、興味がわいてきました。 アドバイスありがとうございます。
補足
しかし、この場でモヤっと感を拭ってくださる頭脳明晰な方はいらっしゃらないのでしょうか。
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お礼
アドバイスありがとうございます εδ法も数学的な厳密性に欠けていると思いますけど。比べればεδの方が厳密ですが、決して完璧ではなく、感覚に頼っている。