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ε-δ論法のモヤっと感
ε-δ論法って数学的ではない気がするのですが、私だけでしょうか。なんかこじつけのような気がします。ある数に応じて、それより小さい数をいくつでも持ってこれるから・・・とか、数学の理論の中でも稀に見るこじつけ論法ですよね。ゼノンのパラドックスを数式混じりで綴っているだけのような気がしてなりません。理解不足なのかもしれないので、このモヤっと感を払拭して頂けませんでしょうか。
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私もモヤット感があります. けどその一方できちんとした定義でもあると思ってます 高校で習う極限は限りなく近づくことを直感的に述べているだけで済ませてます.これは感覚的にはしっくりきますが数学的な厳密性に欠けると思います. 超準解析という分野があります(私は詳しくありませんが) これにより超実数を定義し、無限大、無限小を数学的対象として扱っています.超準解析はモヤット感の払拭と厳密性を求めようとして生まれたのかもしれません.ただ超準解析の理論を構築するまでに数学基礎論から始めてかなり大変らしいです.まだε-δ法の方が簡単なくらいのようです.ですが最近、実数体Rを数拡張するようにして超実数体R*を構成するやり方も知られているようです. 私は変分原理を理解しようとして物理で出てくる微小変化や微小量を数学的に理解しようとして超準解析に興味を持つきっかけとなりました.が未だよく分っておりません.
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- masudaya
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違和感があるのは分かりますが,数学ではないということはないと思いますよ. たとえば,高校のように直感的に考えると lim(n→∞) an=α のとき lim(n→∞) Σ(n=1 to ∞)an/n はいくらになるか証明しなさい という問題は,解けません.感覚的にはαになるように思いますが,ほんとにそうなることを,ε-N論法を用いずに説明することはできないのではと思います.(答えはαでいいんですが),つまりεーδ論法はこのような直感で考えた場合の課題を反省して作られています.私が違和感を感じたのは,不等式をやたら使うところでしたが,なれるとそんなものかと思います.たとえば,田島先生の【εーδ】【解析入門】などを読んでみてはいかがでしょうか.この辺のことが丁寧に書かれています.
お礼
読んでみます。 回答ありがとうございます
- atomicmolecule
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そのもやっとした感じがεδの強さの源かなという気がしています。いいたいことは多分、「εδは分るけどもっと直接的に∞ということを扱えるはずだ」と言う直感的なことではないんでしょうか? 私もはるか昔に勉強した頃にはなんともつかみ所のない論法だなという印象でした。それは、たぶん数学で無限ということに真っ向から立ち向かうと手に負えないという経験からきているのではないだろうかと私は思っています。 それでもεδは実際上十分なほどに強力です。実際にεδで関数の連続性の証明を試みてください。それとは別に自分の持っている直感的な連続性だけを頼りに証明を試みてください。自然とεδの便利さ、すごさが分ると思います。例えば次の関数の連続性を調べてください f(x)=1-x; 有理数x∈(0,1) =x ; 無理数x∈(0,1) 直感に基づいて真っ向から連続性をしらべてその判断が可能でしょうか?少なくとも私には無理でした。 後は自分でεδに基づく連続性の定義が直感的なものと合致しているということをいくつかの例題を調べてなっとくしてください。
お礼
すごいとは思いますが、連続性の証明にはなっていないですよね。εδは。 回答ありがとうございました
- kobold
- ベストアンサー率62% (20/32)
大学1年レベルのε-δ論法が理解できなくて、モヤッとしているのか、もっと深いレベルでの理解ができなくて、モヤッとしているのかが分かりませんから、 今あなたが理解しているε-δ論法を書いて説明してみて下さい。そして、どこがどのように「こじつけ」ているのかを説明してみて下さい。 もしそれも難しいようでしたら、ε-δ論法をきちんと理解している人に実際に会って話を聞けば、そう長くない時間で教えてもらえると思いますよ。
お礼
>もしそれも難しいようでしたら、ε-δ論法をきちんと理解している人に実際に会って話を聞けば、そう長くない時間で教えてもらえると思いますよ。 ええ、それも難しいので、専門家であるkobold様にお訊ねしたい所存です。 アドバイスありがとうございました
- KENZOU
- ベストアンサー率54% (241/444)
ε-δ論法を数学的にキチットやれば集合論の知識が必要になってくるので,ここではその話は兎も角として(←ほとんど知らない)、実数(有理数+無理数)には稠密性というのがありますね。簡単に言えば、例えば数直線上のある区間を区切って、その中に存在する数字を拾い上げていくとすると、汲めども尽きず、いくらでも数字がでてくる。。。、例えば3を2で割り、その商をまた2で割るということをず~っと繰り返しても小数点以下0が一杯つくが数字はちゃんとある。つまり大小区分できる数字が無限にでてくる。この辺の事情が >それより小さい数をいくつでも持ってこれるから というあたりの理解に結びつけばいいのですが。。。
お礼
ありがとうございます >つまり大小区分できる数字が無限にでてくる ことを自明のことと扱っていますよね。モヤっとしませんか?それこそ感覚的ですし。
- springside
- ベストアンサー率41% (177/422)
私はまったくそうは思わず、数学的に極めて明確な、スッキリした定義方法だと思いますが。 単に、「ある数に応じて、それより小さい数をいくつでも持ってこれる」という明々白々な「状態」・「状況」を極限の「定義」としているだけであって、全然こじつけではないのでは。
お礼
回答ありがとうございました。 しかしゼノンのパラドックス的ですよね。
- N64
- ベストアンサー率25% (160/622)
これも、結局、無限という言葉を使わず、正確で矛盾のない理論のためなのだなー、と思います。類似の議論が、ここにあります。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2052019
お礼
回答ありがとうございます。
- kabugogo
- ベストアンサー率23% (52/223)
まったく初めて聞く話ですが、『悪名高きε-δ論法』と書いている人もいるので、難しいものなのではないでしょうか。 極限 http://phaos.hp.infoseek.co.jp/part2/sequence/limit/limit.htm#epsilondelta 参考URLはウィキペディアです。
お礼
アドバイスありがとうございます。 ε-δ論法がとても難しい理論だというのは知ってます。でも、そもそも数学的にどうなのかと思ったのです。極限を、高校数学のように感覚的に扱うのを避けるための理論だというのに、より感覚的になっているというか、こじつけ感が増しているような気がします。確かにεやδなどといった数学独特の記述を多用してあるので、厳密さがあるのかもしれませんが、純粋に内容はというと・・・
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お礼
アドバイスありがとうございます εδ法も数学的な厳密性に欠けていると思いますけど。比べればεδの方が厳密ですが、決して完璧ではなく、感覚に頼っている。