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那須与一はどれくらいの距離から的を射た
源平合戦で、那須与一はどれくらいの距離から的を射たのでしょうか? 敵味方でにらみ合っていたので、百メートル以下とは考えられないのですが。 「やぶさめ神事」を見たことあるのですが、ずいぶん近くから的を得ています。2メートルくらいで、的も大きいのであたらないほうがおかしいくらいでした。これは馬に乗っているので仕方がないのか、もしくは昔からこの方式だとすると、弓の当たる精度は非常に低かったのかとも思えました。 よろしくお願いします。
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平家物語の記述では 「磯へ七、八段ばかりになりしかば、舟を横さまになす」とあります。 ”段”とは距離単位で”6間”のことです。 ”間(けん)”は”6尺”のことで、 ”尺”は”10寸”のことで ”寸”は約3.03センチのこと。(一寸の虫にも・・というあの寸) よって段・間・尺・寸は10.908・1.818・0.303・0.0303(メートル)となります。 (普通は段は11メートル、間は1.8メートル) だから76.356mから87.264mほどのところということになります。 ちなみに現在の日本の弓道場の的までの距離は 近的弓道場で28メートル、遠的弓道場で60メートルです。 流鏑馬の神事は馬に乗って撃つからあんなに近いのであって 基本的に日本の弓は複合弓で長距離に撃てる強力なものです。 また源平当時の弓と製法も同じで 技術的に全く変わりはありまんから 平家物語の記述はかなり正確、あるいは理屈どおりであるといえます。 つまりは有効射程より少し遠い標的に対して 当ててみろという平家側の不利な挑発を 義経が受けて、後藤を経由で与一に命じて撃たせたわけです。 だから実際に70メートル以上は離れてないと 話がおかしいです。 普通の人なら当てられないような距離に正確に 矢を放ったからこの名シーンが成立するわけで、 少し技量がある射手なら当てられるような距離だと まったくどっちらけです。 ちなみにですが、那須与一の見事な弓の腕前を称えようとした 平家の武士がまいを舞って賞賛しているところを 義経は伊勢三郎と与一に命じて射殺させます。 この場面、敵味方から「よくやった」とか「なさけない」とか 賛否両論にわかれたそうです。 義経の心無い性格を現した有名シーン。 この後、平家側は怒って、攻め寄せてくるのですが、 猛者の平景清に源氏側は散々に蹴散らされ 義経は自分の張りの弱い弓を落として、 敵に自分の筋力のなさを笑われるのを恐れて わざわざ敵中に取りに行ったりします。 よく考えるとこれらのエピソードは美談というより 義経の駄目駄目ぶりを伝えるものといえるでしょう。
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- sammi-2837
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他の方同様、私も70m強と聞きました。 技術的な面で上限を、語りぐさになるという点で 下限を考えると70mというのは妥当だと思います。 私は弓引きの端くれなので、その観点から論じます。 現代弓道の遠的競技は的まで60m、的の大きさは1mです。 採点制の的では、半径10cm刻みの同心円になっていています。 中心に当てるのは簡単ではありませんが、 それほど特別な事でもありません。 (下記URL参照:巧い人ならもっと中心に集まります。) 扇の長さを20cmと考えると赤い円の三分の一位になりますが、 これならばどこに中ってもいいならそこまで困難な事ではありません。 実際に『歴史群像シリーズ 源義経』で再現実験をやっていて (http://yoshitsune.littlestar.jp/nasuyoichi.html 詳細が書かれています) 中っています。 ただ、当時の弓は伏竹弓(木弓の前方に竹を貼ったもの)か 三枚打(木を竹で挟んだもの)で、(三枚打は最近でも使われてましたが初心者用なので)現代の弓とは性能差があり、 射法についてもそれほど洗練されてないはずなので精度・飛距離とも現代より劣っていたと思います。 また征矢ではなく雁又を使ったと思いますが、 長距離飛ばすには不利です。 的が揺れる事や、プレッシャーも考えれば70メートルというのは 相当困難な距離であったと思います。 相当困難な事を達成したから語りぐさになるわけですが、 あまりに非現実的な遠距離では平家物語を読み聞きした 武士たちはしらけてしまうでしょうから、 私も平家物語の記述は正確だと思います。 流鏑馬の難しさ 確かに的は近くて大きい(確か流鏑馬で50センチ角ほど、騎射挟物という簡易版流鏑馬では確か45センチ)ですし、熟練した射手なら殆ど外さないので、中らないほうがおかしいくらい、と思われるのも無理はありません。 実際流鏑馬に競技性はないので、的も大きいのだと思います。競技性のあるものとしては土器三寸といって径三寸の皿を射るもの(距離は流鏑馬と同じ)や、小笠懸という地面に立てた15センチ角の板をいるもの等もあります。 ただ流鏑馬に競技性はないといっても、馬上から射るのは十分難しいと思いますよ。両手が塞がるので手綱は持たず、下半身で馬を操作しますし、上下動を吸収するため中腰(流鏑馬だけですが)になるので下手したら落馬します。そんな体勢で50~60km/hの馬に股がり、5秒おきぐらいに矢を抜き、つがえ、引いて、狙って離すのを三回やるわけです。 昔の馬は勿論そんなに早くはないので現代ほど難しくはないでしょうが、それでも馬上で弓を射るには鍛錬が要るでしょう。
- kojiroutan
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与一は、馬を海に乗り入れたが、扇の的までは、まだ40間(けん)余り(約70メートル)もあり、しかも北風が激しく吹いて扇の的は小舟と共に揺れている。 矢はうなりを立てて飛び放たれ見事に扇の要近くに命中。扇は空へ舞い上がり、ひらひらと海へ落ちた。 諸説ありますが三十三間堂の通し矢の例もあり、いいところじゃあないでしょうか。 的を外せば切腹という極度の緊張の中でした。
- damushi
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平家物語には「七八段(たん)ばかり」と記され この「段(たん)」の解釈によって諸説があります。 短く取ると20メートルくらい 長く取れば70メートルくらい になるそうです。 当時は風が強く波も激しかったため 仮に20メートル程度だったとしても 当てるのは非常に難しかったと推測されます。 もし質問者さんが和弓を扱う機会があればわかると 思うのですがけっこう難しいですよ。 また、「やぶさめ神事」の場合は神に奉納することが目的で 当てることに主眼を置いているためこのような形に なっているとも推測できます。 http://www.mitera.com/yoichi/yashima.html http://yoshitsune.littlestar.jp/nasuyoichi.html
諸説あるようで、はっきりとはわかってないようです。 70メートルから80メートルほどといった説もあれば、当時の弓の能力からいって20めー等前後とするものもあるようです。 ちなみに現在放送されている大河ドラマの中での場面では、およそ60メートルだったようです。