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名主・庄屋さん
名主・庄屋さんって村から給金もらってやってたのですか?すると大きい村だと給金もよかったと言う事ですか?
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私が生まれた所(岡山県内)では、江戸時代には庄屋は村費の中から給料をもらっていました。年間に米1石5斗との記録があります。手元に享保頃と文政頃の記録がありますが、同額になっています。 また年寄は3斗、保頭という役では1石2斗との記録があります。五人組頭はもらっていません。(これらの役人は藩から派遣された武士ではなく村内から選ばれた百姓です。なお、保頭は高給ですがどんな役目だったのかわかっていません)
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- 6dou_rinne
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地域によって違いはありますが、名主・庄屋などの村役人の手当、出張費、寄合の費用、神社仏閣の維持費、祭礼の費用など村の運営に必要な古費用は村入用と言う形で村の構成員から徴収されました。 村役人級はケースバイケースでその村の事情にもよりますので村が大きいからといって多いとは限りませんでした。
お礼
やはり村入用とのかかわりが考えられますか、どうもありがとうございます。
- junt
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私の三代くらい前は庄屋だったのですが、村や藩から、扶持米はもらっていなかったと思います。 江戸時代のお百姓さんはほとんどが小作で、人の田畑を借りて、農業をしていたのです。それが、武士の田畑だったり、大地主、庄屋だったりしたのです。武士は年貢として、地主・庄屋は土地の貸し賃として収穫の一部をもらっていたのです。地主・庄屋は自身で働かなくてもよい分、絹や藍の生産などその土地土地にあった副業を持ち、ますます小作との収入の格差は広がったのだと思います。 No.1さんのおっしゃる通り、苗字帯刀は許されていましたが、その他、武士のみであるはずの門や瓦付きの家も許されていました。
お礼
地主・庄屋は副業に精だすのですか、どうもありがとうございます。
- sirowan777
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村からは給料はもらいません。 大地主が名主や庄屋になりましたから。 藩によっては形ばかりの扶持を与えたところもありました。 苗字帯刀を許し、一種の家臣扱いをしたわけです。
お礼
藩などからの扶持だけですか、どうもありがとうございます。
お礼
実際に資料まで見ていただきありがとうございます。