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名主の分家の、お墓
江戸時代のお墓について 名主の分家も立派なお墓がいくつかありましたが、分家も権力はあったんでしょうか?
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墓の大きさはたぶん、財産の大きさを表しますが、権力はそれほど関係ないと思います。 さらに、分家だから権力がある、ということはないと思いますが、本家の権力を代理行使することはあったんじゃないですか。そうしながら、実力を蓄えたり人望を得たりして、立派な墓を建てた可能性は多いにあると思いますよ。 国会議員の秘書は、県会議員になったり市会議員になったりします。そんなふうに。 武家なら、分家が本家を上回るなんてことは珍しくはなかったと思いますよ。いわゆる下克上。 織田信長の父親「織田信秀」は、斯波家の家老の一方である清洲織田家の分家で家臣(三奉行の一人)でもあったわけです。斯波氏にとっては陪臣の織田が、本家(清洲織田・主家)どころか、主家(斯波氏)も上回ってしまったわけですから。