文学・古典
- 伊勢物語 月やあらぬ
昔東の五条に、大后の宮おはしましける西の対に、住む人ありけり。それを、本意にはあらで、心ざし深かりける人、行きとぶらひけるを、正月の十日ばかりのほどに、ほかに隠れにけり。 (1)L1「それを」の「それ」って誰ですか? 月や(春の月に)あらぬ 春や昔の春ならぬ (2)自分が採用する解釈を(疑問・反語)で答え、その理由を答えない。これがこの作品の本質に関する問題です。 この問題を解いてください。お願いします。
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- miskikimimi
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- 名言は本当に正しいのか?
名言が人に良い影響を与えることは、数多く語られているので、ある人にとっては本当なのでしょう。 しかし、ちょっとひねくれているのか、私はその言葉の内容に間違いが含まれているのではと思ってしまいます。 今ネットで調べてみたら出てきた人生の名言と紹介されていたものです。 「一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である(渋沢栄一)」 この名言を100%否定はしませんし、場合によっては、私がすくわれることもあるでしょう。 しかし、この言葉の前提である「一人ひとりに天の使命があり」が、本当かは分かりませんよね。こんなこと考えたりしませんか?
- 古文の問題教えてください。
傍線文に含まれている動詞の(1)活用の行(2)活用の種類(3)活用形はそれぞれ何か。 はだか姿は【忘られず】、おそろしきものから、をかしうとも言はず 傍線文の出し方が分からないので【】で失礼します。 活用の行はラ行と分かりましたが、(2)と(3)の導き方が分かりません。 馬鹿にでもわかるように教えてください。よろしくお願いします。
- 『雪わたり』清作が食べた「13ばいのおそば」は?
宮沢賢治の『雪わたり』についてです。 太右衛門が酔って食べた「野原にあるへんてこなおまんじゅう」は、うさのくそですが、 清作が酔って食べた「13ばいのおそば」は、何なんでしょうか? よろしくお願いします。
- 『雪わたり』「こんばんは。おはようございます。」
宮沢賢治の『雪わたり』についてです。 きつねのセリフで、 「こんばんは。」の後に「おはようございます。」と続けて言うセリフがありますが、これは理由か何かがあるのでしょうか? お願いします。
- 古文 イ音便と撥音便について
参考書に【i段の音が(い)に変化する】と書いてあったのですが、 撥音便のところに【i段、u段の音が(ん)に変化する】とも書いてありました。 結局のところi段はどう発音すればよいのでしょうか?
- 百人一首レポート
以下の百人一首10首のうち3首を選び、[(1)作者(2)古語(3)感想]についてそれぞれ400字以内で書きなさいという課題が出ているのですが、書き方がわからず一緒に考えていただけたら嬉しく思います。お願いします。 (1)春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天香山 (2)わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり (3)花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に (4)天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ乙女の姿しばしとどめむ (5)ちはやぶる神代も聞かず竜田川から紅に水くくるとは (6)吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ (7)人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける (8)めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな (9)夜をこめて鶏のそら音ははかるともよにあふ坂の関は許さじ (10)玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
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- MIKEMIKE27
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- 日本語表現の巧い作家(書き手)
開高健『オーパ!』を読んでいて思ったのですが、日本語表現(四文字熟語、少し難しめの漢字、ギター演奏で言うところのチョーキングのような日本語フレーズ・・)が上手い作家(物書き)は、どのような方がいますでしょうか。 *自分は、90年代に村上龍・村上春樹で育った人間ですが、彼らの作品は、日本語の巧さを読み手に見せるタイプの作家ではないですよね。
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- vietdistortion
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- 東北地方の民話「大蛇に身を変えた話」について
東北地方の民話に「大蛇に身を変えた話」があるそうですが、その物語の概略を教えてください。 もし、これが載っている説話集や絵本などがあれば教えてください。 (この民話は、太宰治の『魚服記』に取り入れられているとのこと(相馬正一著『評伝太宰治(上)』)、詳しく知りたいのでよろしくお願いします。)
- 羅生門を読んで…
羅生門を読んで感想文を200字で書かなければならないのですが、なかなか内容を掴むことが出来なくて力になってくれたらなと思います。お願いします(._.)
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- MIKEMIKE27
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- 寛政重脩諸家譜第8輯の谷口正乗の部分を現代語訳して
(⇩)下記の URL の、「寛政重脩諸家譜. 第8輯」という資料の、コマ番号 427/550、本文 八百三十(830)頁、のページの上の方の、谷口正乗(まさのり)の部分の説明を現代語に訳して、また、その意味も教えてください。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 (↑)上記の URL の、「寛政重脩諸家譜. 第8輯」という資料の、コマ番号:427/550、本文 830頁 の、谷口正乗(まさのり)の部分の説明を、現代語に訳して、また、その意味も教えてください。 【現代語訳して意味を教えてほしい部分】 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 (⇧)上記の URL の『寛政重脩諸家譜 第8輯』という資料の、コマ番号:427/550、八三〇 項、の「谷口 正乗(まさのり)」の部分の説明を、現代語訳して、その意味を教えてください。
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- noname#243190
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- 資料の深心院殿の項目の所を現代語訳してください。
(⇩)この下記の URL の『柳営婦女伝叢』という資料の中の『幕府祚胤傳』という資料の “コマ番号:165/282”(“幕府祚胤傳 六 の 三百十四項”)の「深心院殿」の項目の部分を現代語に訳して意味を教えてください。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879210/165 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879210/165 (⇧)この上記の URL の『柳営婦女伝叢』という資料の中の『幕府祚胤傳』という資料の “コマ番号:165/282”(“幕府祚胤傳 六 の 三百十四項”)の「深心院殿」の項目の部分を現代語に訳して意味を教えてください。 【現代語に訳して意味を教えてほしい部分】 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879210/165 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879210/165 (⇧)この上記のURLの『柳営婦女伝叢』という資料の中の『幕府祚胤傳』という資料の “コマ番号:165/282”(“幕府祚胤傳 六 の 三百十四項”)の「深心院殿」の項目の部分を現代語に訳して意味を教えてください。
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- noname#243170
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- 書き下し文にして欲しいです
一 被対 公儀御身上之儀、我等請取申候条、卿以不可存疎略之事 一 雖不及申候、輝元・元春・隆景深重無如在、我等懸身躰、見放申間敷事 一 如斯申談上者、表裏抜公事不可在之、右之条々、若偽於有之者、忝茂 日本国中大小之神衹、殊八幡大菩薩・愛宕・白山・摩利支尊天、別而氏神御罰可罷蒙者也、仍起請文如件、
- 『山椒魚』(井伏鱒二)盗作説について
猪瀬直樹さん(作家・元都知事)は、井伏鱒二著『山椒魚』は盗作と批判しています。 これに関しネット上には、猪瀬説を支持する肯定論と、盗作根拠なしとする否定論とが入り交じっています。 盗作か否か、どちらの見方が正しいのですか。あるいは有力ですか。
- 有徳院殿御実紀巻十三の享保六年十月七日の条
(⇩)下記の URL の(『国史大系』という資料の中の『有徳院殿御実紀上』という資料の)「有徳院殿御実紀 巻十三」の享保六年十月七日(西暦1721年11月25日)の条の、 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991120/362 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991120/362 「〇七日小五郎君の生母(谷口氏。)うせらる。これは谷口長右衛門正次が女にて。はやくよりつかへ奉り。お梅の局といふ。享保四年三月十五日第三の御子源三君をまうけ。ことし閏七月十五日小五郎君をまうけたりしが。其後病おほくけふうせられしなり。廿一歳とぞ聞えし。深心院と法謚し東叡山に葬らる。御供米はよせ給はず。忌辰にのみ女房御使して。銀十枚をすゝめ給ふべしとなり。(日記。以貴小伝)」 という文章を現代語に訳して意味を教えてください。 【現代語に訳してほしい部分】 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991120/362 「有徳院殿御実紀 巻十三」の享保六年十月の『〇七日~~~』の文章 「七日小五郎君の生母(谷口氏。)うせらる。これは谷口長右衛門正次が女にて。はやくよりつかへ奉り。お梅の局といふ。享保四年三月十五日第三の御子源三君をまうけ。ことし閏七月十五日小五郎君をまうけたりしが。其後病おほくけふうせられしなり。廿一歳とぞ聞えし。深心院と法謚し東叡山に葬らる。御供米はよせ給はず。忌辰にのみ女房御使して。銀十枚をすゝめ給ふべしとなり。(日記。以貴小伝)」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991120/362
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- noname#243111
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