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堀河天皇
堀河天皇の御製に 塩釜桜を歌った歌がありますが 堀河天皇自身が宮城県の塩釜神社まで 行った事があるのでしょうか? よろしくお願いします。
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73代めの堀河天皇は、8歳で即位し、同時に父親の白河上皇が院政を始めました。1086年(院政ここに、はじまるやろ)の即位で、それから21年後の崩御です。 天皇の行幸にはとてもたくさんの臣下が従います。費用が途方もなくかかります。徒歩・牛車ですから、途方もなく時間もかかる。 とても陸奥(道の奧)の宮城県塩竃まで行幸したとは思えません。 塩竃桜は、「葉まで(浜で)美しい」ことから、塩竃(浜で海水を汲み入れて塩を作る竈)のあたりで咲く桜だろう、と発想がつながって、塩竃桜と命名された「桜の品種名」ではないのでしょうか? 道の奧、奥州の塩竃(塩竈神社)の地の桜を指すものではないように思われます。もちろん、塩竃桜という名称から奥州の塩竃を連想した、ということも考えられますが、とにかく白河上皇の監視の下、奥州まで行幸する余裕はなかったものと思われます。 そんな日数やお金のかかることをして京都を離れていたら、「天皇にふさわしからず」としてすぐクビを切られそうに思います。
お礼
御返事有難う御座います。 確かに徒歩と牛車では宮城県の塩竈まで行けない ですよね。 色々と勉強になりました。 また教えて下さい。ありがとうございます。