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続日本後紀の下記の書き下しと読み下しを教えて頂きた
続日本後紀の下記の書き下しと読み下しを教えて頂きたいです。 「続日本後紀」巻七承和五年(八三八)十一月甲甲《三十》 甲甲。律師傅灯大法師位慈朝卒。慈朝。俗姓長尾氏。右京人。神護景雲四年得度。法相宗。住西大寺。故少僧都常騰之入室也。卒時年八十二。」嵯峨太皇大后御朱雀院。宴五位巳上。賜禄有差。
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- ithi
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回答No.1
maki1018さん、こんばんは。 承和5(838)年11月の申の日、申の刻に律師傳灯大法師慈朝がなくなった。慈朝は俗姓は長尾氏出身で、京都の右京の人である。神護景雲4(770)年に出家し、法相宗を学んだ。奈良の西大寺に住み。故小僧都常騰の弟子であった。行年82歳。嵯峨天皇の太皇太后である後朱雀院が五位以上の宴の時に、禄を差し上げたということだ。
お礼
ご丁寧にありがとうございます。書き下しのほうも教えて頂きたいです...。すいません。お願いします。