- ベストアンサー
後悔の先にある無筆の意味とは?
- 狂歌「悔いている後の心にくらぶれば無筆は物を習はざりけり」の解釈について質問があります。
- 本歌の意味とは異なり、狂歌は「勉強不足で読み書きができないのを悔いた後に比べれば、読み書きができないのは何も習わなかったようなものだ」という意味を持っているようです。
- この本の他の狂歌は分かりやすく面白いのですが、この狂歌は理解できません。ご解説をお願いします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
以下のとおりお答えします。 この狂歌の文字面が表すことはお書きのとおりと思いますが、あえて味の出る解釈を考えるなら、「行間もしくは余韻部分の暗黙の含意を(強引に)こじつける」ことができなくはないですね。 つまり、「…と気づいてみると、知りたいこと、学ぶべきことはたくさんあるなあ!」とか、「よし、これからはいっぱい取り込むぞ!」とか、「分かった。ではもう一度!」といった意味合いを読み取ること(追加)ができるかも知れない、と考える次第です。 ということで、この狂歌の独断的解釈はこうなります。「勉強不足で読み書きができないのを悔いた後に比べれば、読み書きができなかったあの頃は何も習いも覚えもしなかったが、これからはいっぱい、いっぱい取り込むことにしよう。」 ところで、本歌の作者(中納言敦忠)は、万葉集に載った「なかなかに 見ざりしよりは 相見ては 恋しき心 まして念(おも)ほゆ」からの本歌取りをしてこの歌を詠んだらしいです。(まさに、「太陽のもと、新しいものはない」の観しきりです。)そこで、私は本歌取りの、本歌取りの、本歌取りをしてみよう、と思い立ちました!? 「相見ての 後につらつら 思ほゆは あの草枕ぞ 悔いの始まり」。 (お粗末。)
その他の回答 (3)
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
無筆というのは反省心がないので、(今考えれば)習った方が良かったことを実行しなかった、というのは無理でしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。
今になって後悔しているんだが勉強しなかったから文章がろくに書けないんだなぁ、という意味ですがあまり面白くないことは同じです。出版のために数が必要でした。文意があまり整っていませんが元の歌に無理やり押し込めたせいでもあります。老いてのち相手の顔を眺むれば昔はあばたもエクボなりけり。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >今になって後悔しているんだが勉強しなかったから文章がろくに書けないんだなぁ、という意味ですが 一応原文には「くらぶれば」とあるので、何かと何かを比べているのだと思います。 >老いてのち相手の顔を眺むれば昔はあばたもエクボなりけり。 うまいですね! クスリッと思わず笑わしてもらいました!
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
狂歌には、うまくできているのも拙いのもあり、これは後者でしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そういう事でしたか!
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「勉強不足で読み書きができないのを悔いた後に比べれば、 >読み書きができなかったあの頃は何も習いも覚えもしなかったが、 >これからはいっぱい、いっぱい取り込むことにしよう。」 私も、質問を出しました後で、 昔:「習ってないから、読み書きできない。」 今:「習ったけど、怠けていたから、読み書きできない。」 という事ですから、ご回答のような解釈になるのだと思いました。 ちと、分かりにくいですね。どうもありがとうございます。 >ところで、本歌の作者(中納言敦忠)は、万葉集に載った >「なかなかに 見ざりしよりは 相見ては 恋しき心 まして念(おも)ほゆ」 >からの本歌取りをしてこの歌を詠んだらしいです。 お詳しいですね。 私の手持ちの百人一首解説本には載っておりませんでした。 >「相見ての 後につらつら 思ほゆは あの草枕ぞ 悔いの始まり」 私なんかからしますと、本歌取りも狂歌も相当なハイレベルなお遊びなんですけど、 私が質問してまだ一日も経っていないのに、もう詠めたんですね! いや、面白い歌をありがとうございます。 この本に収録されているこちらの狂歌を思い出しました。 本歌:田子の浦に うち出て見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ 狂歌:旅の宿 打臥(うちふし)見れば 白首の 不義の情けに 夜は更けつつ 私はどうも読む方ばかりで、全く詠めませんが、はやく和歌を詠んだり、狂歌を詠んだりしてみたいものです。 どうもありがとうございました。 また宜しくお願い致します。