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百人一首の疑問

みなさんこんにちは。 私は20歳の大学生です。 私は文学部ではありませんが、今百人一首について興味があり調べています。 そこでみなさんにお尋ねしたいことがあります。 百人一首は本人が詠んでいないってことはありますか? 例えば、43番の権中納言敦忠の和歌。 逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり (逢瀬の後のこの恋しい心に比べれば、お逢いする前の物思いなど、なんとも思っていないのと同じでしたよ) とありますが、私がよんだこの和歌の訳は上記のようになっていました。 もしかしたら、色々な訳が考えられるのかも… そして、私が一番に疑問に思ったことは、この歌に限らず他の和歌を詠んでてもそうなんてすが、あれ?これ本人がよんだのかな? 上の敦忠の例でいくと、これは敦忠がよんだのではなくて、妻の藤原玄上の娘が読んだのではないかなと思いました。 これはあくまで私が勝手に解釈したことなんですけど、実際本人がよんだのではなく、 その妻やまた想いを寄せあう女がよんだとかあるんでしょうか? 百人一首について、全く知識がありません。 分かりにくい質問で申し訳ないです。 時間があるかたお願いします。

みんなの回答

noname#194996
noname#194996
回答No.2

百人一首は非常に良く知られた歌集なので、昔から多くの注釈書があります。中には詠み人知らずの歌を強引に歴史的にあいまいな人物の作にしたものもありますが、仰ることとはちょっと異なった例です。当人が作らず、その周囲の人間が換わりに作ったと噂されたのは、和泉式部の娘である子式部内侍が有名です。彼女はその不名誉な噂を否定する歌を即興に作って、それが百人一首に採用されたという「大江山…」話です。このように、代作はスキャンダルになりますので、余り事例はないとおもいます。ちなみに上記の詠み人知らずの歌で有名なのは「猿丸太夫」の作とされる「おくやまに…」です。梅原猛氏は著書の「水底の歌」で、猿丸太夫を歌聖柿本人丸(の世を忍ぶ名前)ではないかと言っています。

  • oignies
  • ベストアンサー率20% (673/3354)
回答No.1

あいみての・・・に関していえば、完全な恋歌でしょう。 あまり解釈の余地はないと思います。訳は順当だと 思います。 あった相手に恋焦がれている思いをうたった歌です。 あって楽しいときをすごしたがゆえに、そのあとの あえない時間がつらい、ということです。心が乱れて しかたない、の部分を昔は、ものをおもわざりけり と歌っています。 よんだ主が男性ではない、と断定する理由がとく にないので、妻が詠んだ歌とするのもむずかしい のでは? ちなみに、男性は女性をくどくときーーー貴族層 ですがーーー歌をよんで、気持ちを伝える必要 がありました。女性は、それに対して歌をよんで かえせなければ、教養がない、無粋だとみなさ れました。そのため、女御などには、そのための アドバイスができる教養と文才のある女性がつ きそっていて、それが、文芸の土台になっていま した。 ということからすると、歌が上手によめる必要は 女性より、男性によりもとめられたということに なり、歌をかえせば事足りる女性より男性のほ うが、必死でよんでいた、可能性はあり・・・ なので、このうたもよんだのは男性ではない、と いいきるのはむずかしいかと。 ちなみにこの時代の夫婦は通い婚です。夫婦 といっても別居。あいたいときに、男が女の家 をたずねます。