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藩の給料

私のご先祖に役方お抱え藩士で雇われて出世していった人がおり、藩の御目付や御物頭などの役職を勤めた人がいました 元々ご先祖は下級の勘定人でしたので、給料は高くなかったです 出世して御目付になると90~100石が役基本給プラス役料6俵ですが、この役料は基本給に含まれないのは、どうしてですか?二重に取ってる気がするのですが それと足高制を導入されて、1代限り基本給を上げられましたが、足高制って江戸の武士だけではなかったのですか?

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  • fujic-1990
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回答No.3

 2番回答者です。補足質問を拝見しました。 > 1代限りで藩士に取り立てられた人をお抱え藩士と書かれてるのをネットで > よく見かけますが、違うんですか・・  「我が藩は幕府とは違う」と言われると反論のしようがないのですが、「1代かぎりで幕臣(と言えるかどうか?)になったことになる身分」に「お抱え席」というのがあります。  「お抱え席」というのが「1代かぎり」という意味なので、これが相当するかもしれません。  ですが、稲垣氏の時代考証事典によりますと、『退職と同時に扶持を離れた』『家督を譲れないばかりか、在職中も病気になると、親族などに頼んで代勤させねばならない』『使用者に迷惑をかけないのが建前』というひどいものです。  どんな人が「お抱え席」だったかというと、『中間(ちゅうげん)、黒鍬者、駕篭者などさまざま』だそうです。「渡り中間」という、職場をしょっちゅう変えて、下屋敷などで賭場を開く中間は珍しくなく、黒鍬者は主に道路補修をしたり馬糞を掃除したりしていたようです。  つまり1代で扶持を離れさせてしまうような人は、代々の忠義だのご奉公意識だのを期待できる人々ではなく、その身分は、とても低いのです。  他方、目付と言えば大名さえ恐れる監察官、今なら警官兼検察官です。重箱の隅をつつくような厳しさで、大名でも畳の縁を踏んだり、将軍お目見えの席などで、目付がOKしないうちに顔を上げたりすると大目玉をくらわせました。  なので、質問者さんのご先祖がなんの目付になられたのかわかりませんが、なんの目付であれ、目付は親戚に身代わりを頼めるほど簡単な役職ではありません。  ろくに藩の法律をしらない者が、れっきとした藩士に向かってあれこれ指図がましいこと言ったり、逮捕ができたとは思えないのです。  さらに、抱え席では100石などとてももらえません。年に十数両というところでしょうか。なので賭場を開いたり、主君の権威を楯にして庶民を脅したりしていたケースが多くなったようです。  なのでご先祖様は、お抱え席で雇用されたのではなく、通常の方式で藩士として「召し抱え」られて武士になったのではないか、と推測します。 > 私の実家地域の藩では能力が評価されて農村から1代限りで徒士格や > 勘定人で取り立てられ、出世した人もいました  うーん。勘定人として何歳から何歳まで、何年働けたのかわかりませんが、帳簿などはずっと残す物です。これまでの帳簿や記録を見て理解し、後の勘定人が見て分かるような書式で残さなければなりません。一々覚えるのだって大変です。  昔だって、ある程度の年齢になれば隠居しました。それまで蓄えた帳簿知識や経験を1代限りでパーにしていたとしたら、相当効率が悪いと言わざるをえません。その殿様、相当なバカですね。逆に、ご先祖様たちがそれを乗り越える才能の持主だったのか。  やっぱり「お抱え」だったというのは間違いなんじゃないか、と思います。

sokoo0823
質問者

補足

元々いた藩士と違って、農村百姓から藩士になった新参者ですから、1代ということで雇ってみて次の代も優秀なら採用されたみたいです 病気になったら親せきが代理でやるというのは知りませんでしたね、それは具合が悪く2、3日休むだけでもですよね?親せきの百姓に勘定方を出来る人はいないと思いますし、どうしてたんでしょうね

その他の回答 (2)

  • fujic-1990
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回答No.2

 「お抱え藩士」という言い方が納得できません。  「前田家お抱えの臥煙(火消し人足:いわゆる大名火消し)」などという言い方があったとおり、「お抱え」には「正式な藩士ではない」というニオイがします。  ついでに言えば幕末の新撰組(壬生浪士隊)も「会津藩お抱え」ではなかったですか?  正式な藩士でなかったとすれば、出世するというのが分かりません。「お抱え藩士」という言い方、間違っていませんか?  それはさておき、役料6俵は、役に伴って必要になると思われる「経費」弁償と思われます。  例えば、目付なら、情報を集めなければなりません。お金がいります。小説ネタですが、今の警察にも「S(エス:スパイの意)」がいて、彼らに裏報酬を支払わなければならないようです。そういうものに使われる(だろう)として定額的に支給されるのが、役料です。  なので、役料を払う側の想定通りなら、その役料は目付を経て他の者の所へ行き、目付の収入にはなりませんので、二重に取っていることにはなりません。もちろん、出張したことにして旅費を着服する官僚・政治家がいるのと同じように、自分のフトコロに入れてしまう目付がいたかも知れませんが。  江戸の、吉宗将軍によって始められた「足高制度」は、「1代限り」ではなくて、「その役をやっている間にかぎり」です。退職したら支払われません。吉宗の死後、徐々に骨抜きにされていきますが。  「私の先祖の藩の足高制は1代単位です。江戸とは違います」と言われたら「そうですか」としか言いようがないわけですが、藩財政は幕府の財政よりももっと困窮していたはずですので、本給を上げないで、その仕事をしている間だけ支払う幕府方式を、諸藩でもマネしていた可能性は高いと思われます。  つまり、足高制は江戸の武士だけではなかっただろうと思います。

sokoo0823
質問者

補足

1代限りで藩士に取り立てられた人をお抱え藩士と書かれてるのをネットでよく見かけますが、違うんですか・・ 私の実家地域の藩では能力が評価されて農村から1代限りで徒士格や勘定人で取り立てられ、出世した人もいました

  • jkpawapuro
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回答No.1

すいません、御目付がどこの藩でどのくらいの役職かはわかりませんが、 足し高は身分の低いものを抜擢登用したときの給与の不足を補うものです。 一方役料は役職に伴う経費として支給するのものです。 ですので役料のほうは身分が高いものがその役職に就任しても支給されます。 足し高は、制度のとおり抜擢があった場合だけですね。 足し高の制、あるいはそれに似たものは各藩財政窮乏してますので、幕府に習い採用されているでしょう。

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