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「明治生まれ・クリスチャン・英語が得意」なぜ「武家」?
私は祖父母の代からのクリスチャン(プロテスタント)の家庭で育ちました。 昔、私を除く家族全員がクリスチャンであることを、当時おつきあいしていた人に話したら 「あなたの家の先祖は、隠れキリシタンだったのではないの?」 と冗談で訊かれたことがありました。 そこで 「先祖のことはわからない。ハッキリしているのは、明治生まれの祖父が、敬虔なクリスチャンだった。祖父は、明治生まれの人にしてはハイカラな人で、英語が得意で、老後は自宅で英語塾をやっていた。ベレー帽にステッキにスーツという、おしゃれな人だった」 という話をしたのです。 そうしたら、その話を聞いたその人は突然真面目な顔になり、 「あなたの家は、おそらく、武家だね…」 と言いました。 私は 「先祖が、姫路城に仕えていた武士だったということを、祖父が言っていたらしいが、現在は祖父も故人なので、詳しいことはわからない」 と答えたのですが(祖父は姫路の生まれ育ちです)、最近になって、その時、その人が、 「明治生まれ・クリスチャン・英語が得意」 という3つのキーワードだけで、なぜ 「武家」 と判断したのか、今になって不思議に感じます。 その人は知識が豊富な人だったので、3つのキーワードで判断したようですが、なぜ、その3つが武家であったことの判断基準になるのでしょうか? おわかりになる方、ご回答をお願いいたします。
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ネットを検索した結果をまとめてみなした。 明治維新で経済基盤(廃藩置県)と社会基盤(市民平等)を失った武士はつらい生活を余儀なくされました。 また、精神的よりどころ(武士としての道徳・倫理感が否定された)も失いました。 ところが、武士の価値観とプロテスタントの精神が似ていて、武士が新しい精神的よりどころとして入信したらしいです。 以下にネット上の記述を参考として載せます。 ・司馬遼太郎著『明治という国家』より 「明治時代は不思議なほど新教の時代ですね。江戸期を継承してきた明治の気質とプロテスタントの精神がよく適(あ)ったということですね、勤勉と自律、あるいは倹約、これがプロテスタントの特徴であるとしますと、明治もそうでした。」 ・関西学院大学名誉教授 小林 昭雄氏の公演より 明治初期のクリスチャンは薩長の人でなくて幕府の中についていて、職を失って、鬱憤この上ない、そういう中でね、そういう人達が聖書に触れ、クリスチャンになり、伝道して行った人が多いんです また、姫路藩は江戸幕府にとって、西国の監視のための重要拠点でした。 そのため、譜代の酒井家が藩主を務め、戊辰戦争でも幕府側として戦いました。 戊辰戦争での幕府側だった藩は冷遇されたので、武士としての生活が一層厳しいものになったかもしれません。
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- iroyamakayako
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なぜ武家だと思ったのかその方に直接尋ねてみてはいかがでしょう?
お礼
直接、訊きたいところですが、現在、その方とは、おつきあいしていないので、訊くことができないのです。 それで、ここで質問させていただきました。 アドバイス、ありがとうございます。
- apple-man
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>現在は祖父も故人なので、詳しいことはわからない 生まれ故郷の役所から、戸籍謄本がとれる はずです。明治時代なら武士、農民、平民など 社会的階級が記載されています。 >「明治生まれ・クリスチャン・英語が得意」 という3つのキーワードだけで、なぜ 「武家」 と判断したのか kazenoyouniさんの本名は、おじいさんから 受け継いだ名前ですか? 名前と他の 条件からそう思ったのかもしれません。 あと戦前の大日本帝国憲法では 宗教の自由がなかったので、 キリスト教を選んで、それを特に 隠し立てせずにいられたのは、社会的身分が 高かった武士だけと思ったのかもしれ ません。 >明治生まれの人にしてはハイカラな人で、英語が得意で、 西洋の影響を受けて、大正ロマンスなんて 時代もあったわけで、明治時代にも そうゆう人はけっこういたようです。 ただ今のように情報が流れて行かない 時代でしらから、知らない人は知らない というだけです。 夏目漱石の日記に、外国帰りという ことだけで博をつけたい日本人が沢山 ロンドンにやってくるという記述がある んです。イギリスのシャビローと いう街で洋服を作ったと日本で自慢 する人が沢山いたので、明治時代に 洋服がセビロー・・・つまり背広と 言われるようになったという話がある くらいです。 私の父方の祖父は平民で、特に 大金持ちではありませんでしたが、 明治時代にアメリカの大学で取った 学位が残っています。遺品の中に Yシャツや背広もあります。 結構今と変わらない一面も 明治時代にはあったようです。
お礼
姫路に行けば、戸籍謄本が見られるかもしれませんね。 しかし、明治生まれの人のものが、現在も保存されているでしょうか…。 私の姓は、祖父から受け継いだものです。 珍しいという姓ではないですが、少ないほうです。 稀に同じ姓の方に出会うと、少し驚いてしまうという感じです。 信教の自由が認められたのは、日本国憲法からですね。 歴史で習ったはずなのに、忘れてしまっておりました。 背広という言葉の語源は、面白いですね。 当て字なのですね。 現代と変わらず、当時も、西洋文明に憧れる人が多かったのですね。 明治時代にアメリカの大学に行かれた方は、かなり珍しかったでしょうね。 うちの祖父は、京都にあるキリスト教の大学でした。 ご回答どうもありがとうございました。 大変参考になりました。
私が曽祖母よくいってました。 私の曽祖母は明治生まれなのに女学校もでて、英語教育をうけたと話してました。 その女学校がキリスト系の学校だったとも話してました。 ようは英語を教える先生はキリスト教の布教のためにきた先生だったそうですよ。 明治は外国からのひとが増え、英語教育やキリスト信仰など、そういう教育をしたんだそうです。その時代に教育を受けられるのは裕福な商家の家の子か武士の子だけだそうです。 うちの曽祖母は花を添えるために。鹿鳴館いったって言ってました。 私なんて鹿鳴館なんて教科書の中の話ですがそこで外国人との交流の会話を女学校で手ほどきしたそうですよ。 明治はそういう時代です。 大正/昭和になると戦争でそれどころではありませんが…。 それで武家だと思ったのではありませんか?
お礼
明治という時代がよくわからなかったのですが、ご回答くださり、納得いたしました。 宣教師の方が英語も教えていたということなのですね。 当時、英語やキリスト教は、裕福な家庭の子女しか学べなかったのですね。 鹿鳴館に行っていたというのは、ロマンティックで素敵ですね。 ご回答、大変わかりやすく、参考になりました。 どうもありがとうございます。
お礼
大変詳しいご回答をくださり、助かります。 「武士の価値観とプロテスタントの精神が似ていて…」 というのは、初耳です。 しかし、確かに、祖父は、カトリックではなく、プロテスタントでした。 隠れキリシタンの子孫ならば、カトリックのはずなので、やはり、江戸時代以前は、仏教だったのだろうと感じました。 姫路藩が江戸幕府にとって西国の監視のための重要拠点であったというのも、知りませんでした。 大変専門的で、深い内容のご回答をいただき、ありがとうございます。 自分でも、これから、いろいろと調べてみたいと思います。