- ベストアンサー
キリスト教の原点とは?
- キリスト教の原点とは一体何なのでしょうか。日本には神学を整備する習慣がなかったため、キリスト教系の教材が明治期以降に広く流布しました。しかし、その影響は甚大な疫病の拡散にもつながりました。
- イエスはユダヤ教の神学者で、奴隷階級のユダヤ人のために信仰を回復させようと尽力しました。現代でも信仰心のあるものを人間と認めることはあります。しかし、イエスはユダヤ王の名目で反逆罪で処刑され、その悲劇は周辺国に広まりました。
- キリスト教にとってユダヤ教はキリスト関連の教科書のような存在でした。しかし、創成期にはキリスト教には明確な志と教えがあり、それがキリスト教の根本でした。しかし、新約聖書はユダヤの経典との混同があり、ローマの意図によって裏切り者の宗教となってしまいました。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
#1です。寝言です。 >>現在投稿用余白を使った私の推測は、日本が王と神が一元である伝統が歴史時代以降も継続する地上唯一の王国であるゆえの解釈だ。 僕は、日本の場合、王と神と連絡が取れる人との一元制が、卑弥呼以前の昔から続いている国だと思っています。 >>西洋人はその伝統が消失しているので、このような着想はなかなかできないだろう。神と国家主権の整合性に問題があるんだ。そして、征服さえ達成すればいいと考えた。 同感です。 >>ヨーロッパ人は反省はしても実行はしない。 ここが、ちょっと僕は違います。 例えば『カンタベリー物語』に出てくる騎士の暇つぶしは、中東に行って非キリスト教徒を殺すことで、実行はするが反省は微塵も感じられません。 >>USAがイスラムに行っている、トマホークブチカマシと爆撃なんて象徴的じゃないか。このヨーロッパルールが現在も国連の紛争ルールになっていることは重大な間違いだよ。 おっしゃる通り、この中世から全く変わっていないキリスト教以外を認めない偏狭さがアメリカの中東政策に依然としてあります。 無神経に Crusader 十字軍、がいい意味を持つと思ったブッシュや、無人機で殺人を命じたトランプがいることでも明らかです。 >>植民地という概念や属領という概念で補足している そうですね、コロンブスの帆の十文字は、神は白人で、有色人種は人間ではない、だから先住民を殺すのはキリスト教を広めるいいこと、ご冗談でしょう。
その他の回答 (5)
- oska2
- ベストアンサー率44% (2300/5115)
>キリストなる志が何であったか推理してください。 ユダヤ教の解釈を、当時の世相に合った解釈に換える事でした。 質問者さまのご存知の通り、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は「同じ神を信仰」しています。 ユダヤ教の矛盾をついたのが、キリスト教。 キリスト教の矛盾をついたのが、イスラム教。 ですから、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地は同じですよね。 この3大宗教にしても、現在では解釈の違いでそれそれ宗派が派生しています。
お礼
教義の内容は趣味の人のうわさだから私は気にしないんだ。 ユダヤ教以外は、帝国制度を宗教面で裏付けする政治的な偽宗教じゃないかな。 でも、新約聖書成立以前に焦点を当てると何か、現在の混迷の解決のヒントがないか考えてんだよ。 当時はイエスの故事が波及して残存する宗教以外にも、すでにほろんだいくつかの宗教があった。それは政治的背景や風潮と関連して、西洋の熱心な研究者はキリスト教徒の近似点を指摘している。 それらが、イエスをもとに原始キリスト教徒がいかなる行動をしたのか、魔女狩り天国のヨーロッパと違って有力な資料になると思うんだ。 私がヨーロッパ人だったら悪魔主義者だよ。
補足
イスラムは、政治と宗教の因果関係について、キリスト教よりも洗練された伝統があると思う。 ただし「唯一の神」という合言葉が帝国的蹂躙に利用されたのは同じだ。 ユダヤの神は部族神 氏神だろう。
- cse_ri3
- ベストアンサー率25% (165/640)
少々、お付き合いしましょう。 キリストはギリシャ語で、本来はメシヤです。 さてメシヤなるもの、ユダヤ人の間ではダビデ王の子孫で、失われたイスラエル王国を復活させるものと信じられていた。 そこにイエスが現れたわけだが、彼はユダヤを超越して、敵をも愛せと説いた。 当時のユダヤ人の敵は、占領者であるローマ人です。 そしてイエスは、己の説いた教えの如く、自分が犠牲になって自分の教えを体現した。 その教えを広めたのは使徒パウロで、かくてイエスはユダヤ人の間のイスラエル王国の復活者から、全人類を自らの犠牲で神にとりなすキリストへと進化したわけです。 え、今のキリスト教が似ても似つかないって? それは、言ったらお仕舞いのお約束ってわけで。
お礼
あなたくらいの人は私が何も言っても動揺しないだろう。 私は歴史上のイエスの事件が当時のローマ領内でどのような動揺を与えたかを中心に推定している。 あなたの見解は私が裏切り者の宗教と定義したローマによる見解だよ。 まあ、勇敢な人は尊敬するよ。
補足
ユダヤ王というのがカギかもね。何度も言うけど、当時は王と神の一元の記憶が生々しい。イエスはユダヤ教にとって、存続のために殉教した英雄だろう。その古代の事件からローマに浸透したキリスト教はユダヤ教から分離して独自にイエスを当時の規範で王と神をしたならば、(すでに)「死んだ神」を祭ったことになる。 ああ、合点が行くな。 殺人鬼集団だよ。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#1です。補足です。 >>使えね~奴だな。土産話もってこい。 全く同感です。今時キリスト教なんて土産にもなりませんね。
お礼
ガクット来るが私も同感だ。 ワクチン開発しているんだよ。 このうんざりする仕事の関係者とは実に不運だよ。
補足
そうさね、殺人鬼集団に心を込めて言いたいけど、今のキリスト教会の祭壇の姿が実に問題が多いんだよ。 あれだとイエスは呪いのための小道具だ。
- 白い 牙(@shiroikiba)
- ベストアンサー率20% (64/313)
ここまで広まるなんてすごい 話は変わりますが 日本の仏教とキリスト教と考え方が同じなのが 楽しいのですが 人間は何かに頼る 頼らないと生きてはいけない そこにできたのが宗教なのかな、、 上手い商売を見つけたのでは? 免罪符とか 弥勒菩薩像とか オウム真理教とか、、、うまくできたものです。
お礼
> 人間は何かに頼る 頼らないと生きてはいけない ありがとう。でもこれは疑問があるな。 人と人がともにありお互いを理解すること自体は必然だから結ばれた人と人とを人間というんだ。 頼るというのは違うと思うよ。
補足
死んだ神イエスを神であるゆえ王とした、ユダヤ教分派の初期キリスト教なら、考えるのは「永遠の魂」当時は考古学的検証でも一般的だ。 例えば、永遠の神が死んだのならば、死せる人の魂に永遠に連れ添うだろう、という神をイケニエにする宗教だ。 この案だと、やはり裏切り者の天国とは実際は天国ではないだろう。 イエスを王として死者の国に建国した滅びの王国だ。 後は、当時地中海の葬送の様式などがヒントとなる研究材料に上がるだろう。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
当たらずと雖も遠からず。
お礼
使えね~奴だな。 土産話もってこい。
補足
現在投稿用余白を使った私の推測は、日本が王と神が一元である伝統が歴史時代以降も継続する地上唯一の王国であるゆえの解釈だ。 西洋人はその伝統が消失しているので、このような着想はなかなかできないだろう。 神と国家主権の整合性に問題があるんだ。 そして、征服さえ達成すればいいと考えた。 ヨーロッパ人は反省はしても実行はしない。 USAがイスラムに行っている、トマホークブチカマシと爆撃なんて象徴的じゃないか。 このヨーロッパルールが現在も国連の紛争ルールになっていることは重大な間違いだよ。 植民地という概念や属領という概念で補足している。
お礼
故事の引用の仕方などから、昔っから理解していたように見えるよ。 まあ、同感だよ。 シラケ切ったように黙っていないで、あんたも質問をバンバン出してイジメぬいたらどうかね。
補足
例えば、コレ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー え~とっ、 過去にお葬式の由来としきたりを中心に、生活に密着した仏教についての、わかりやすくまとめられた入門書を読んだことがあるんだ。 そこに座禅の解説もあって、ものは試しで入門書片手に試してみたら、それ手法の瞑想術は一発で成功したよ。 基本はヨガと一緒だね。 型を取ることで、その型を取った他者の特に死者と一体になる体験だよ。 一種の交霊術だが、要するに自我(仏性〉の範疇を拡大して、他者の仏性と交わる知覚拡張で自己の仏性を補強するんだ。 本来の自我規定を超越した他者の過去記憶の追想でもある。 そういうわけで座禅を組み、同じような瞑想をした者同士で一体化した体験を受け継いでいくのが僧職だよ。 私見だが、「無」から「空」へと仏典編纂時代にすでに題目が変容していた仏教だからシャカの記憶まで追想できるかどうかは、座禅の目的を「空」から「無」変更する必要がある。手法は「空」を本来の中心にしている。 お題目の中で、「真理の探究」というのは明治期に渡来した概念でしかなく、仏教にはそうした意味はない。 お題目とは宗教としての性質で、求心力を集めて宗門を束ねるためのものだ。 こうして受け継いでいく行為である座禅と瞑想は「輪廻」と同一の、生命存在についての「永遠」を悟る形となるだろう。 さて、キリスト教徒は聖霊(俗称 天使さま)を触媒にした型の交霊術でもあるんだ。 現代では世俗化がさらに進んで西洋で聖霊の主流は宇宙人様らしいね。 このようにイデア界の存在との間で、何らかの形で「観念認識補強手法」をとった上での交流なんだよ。 自身を丸ごと生きたまま観念に昇華することが解脱であり涅槃に入ることだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 記述中に自我の範疇を逸脱した他者の記憶の追想とある。 日本でいう「つくよみ」も本来の利用と違うが同じ応用ができる。 突然変異的に魔女狩り社会でエドガーケイシーが行ったのも同様だ。 私はインドを大陸でもっとも偉大な国として尊敬しているんだよね。 それはともかく、仏教で現在の実質的に教義が「空」に変容してからではなく「無」を忠実に心得ないとシャカの追想が出来ないのと同じように、通過チケットとして、「キリストの証」とでもいう「記憶の宝石」があるだろう。 イエス自体は、インドより西の地域に広く見られた、教学の中で処刑が事件だったという事実以外になく、キリスト教徒のイエスの利用の仕方は「呪い道具」だ。教義はすべて退化後退を経て洗練した抜け殻だ。