新自由主義とJSミルの『自由論』と援助交際
新自由主義なる概念が標榜され英米で政治思想として運用され、先の総理大臣小泉氏の政治思想も新自由主義と看做せるようである
(個人的には、”新”と接頭語が付く必要性も感じないし、古典の自由主義との区別が出来ないのだが)
小泉政治の潮流は変種として「みんなの党」そして、日本維新の会に承継されているように思えるが、
その是非は各人が思慮するとして彼らは、「新自由主義」の根底にある『自由論』をどこまで理解しているのだろうか?ということに疑問が沸く
(なるべく誘導的な文章は避けたいと思うのだが、寛恕願いたい)
さて、新自由主義なる概念を極論すれば、JSミルの『自由論』・アダム=スミスの”自由放任主義”に行き着くだろう
ここで疑問に感じるのは、JSミルの『自由論』は功利と自己責任においての私人の極大の自由を容認する自由思想である。
乱暴に言えば、”他人に迷惑をかけない限りは自由”という自由論である
さて、ここで”他人に迷惑をかけない限りは自由”を考える時に教材になるのが『援助交際』である。
ここでいう援助交際とは、未成年のアレではなく、愛人契約の部類の大人の援助交際である
援助交際そのものが当事者間だけで問題が処理でき、他者に害悪を及ぼさない限りは、上記した自由論においては許容されうるものである
しかし、不貞・性的モラルという道徳の領分ではそれらは許容されない背理がある
では、新自由主義などという概念を支持する人々は、本件のような自由に関してどう回答するのだろうか?
個人的には、維新の会支持者は新自由主義であることを根っこにすれば、これについて回答を持ち得ているように思うのだが・・・・