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自由論について困っています。
レポートを書くために何人かの哲学者を挙げて(カント、ミル、ニーチェ、サルトル、キルケゴールなどを考えています)”自由とは何か”をそれぞれ比較、対称したいと思っているのですがキルケゴールの自由論が全く分かりません。実存主義者としての自由とは何なのでしょうか?回答またはアドバイスお願いします。
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西洋哲学が問題にしてきた「自由」というのは、だいたいが「自由意志」ということなので、ここでは「自由意志」ということに限定して、回答させてください。 この「自由意志」というのは、西洋哲学の中でものすごく大きなウェイトを占める問題です。 一番大きい、といってもいいかもしれません。 人間の一生は神によって、あるいは運命によって、あるいはまた環境や欲求、本能によって、あらかじめ決められているのか。 それとも、自分自身が決めることができるのか。 人間に「自由意志がある」と考える人は、後者です。 ご存じのように、西洋ではキリスト教の影響が大変に強かったので、この自由意志ということも、神との関係において考えられてきたことが中心となっています。 ご質問の「実存主義者にとっての自由」というのは答えにくいものです。 というのも、実存主義哲学というのは、なんらかの体系をもったものではないからです。 それぞれの哲学者にとって、さまざまな思想的立場があって、これが実存主義者のいう自由だ、とまとめることはむずかしいと思います。ですから、ここではキルケゴールに限って、回答します。 近代までの哲学者たちは、誰にとっても正しい、間違いのない、絶対的な真理がどこかにある、と考えてきました。 とりわけカントは、夜空に輝く星と同じくらい、永遠不変の(で誰にとっても正しい)道徳の規則を確立しようとしたのです。 それに対して、19世紀になって登場したキルケゴールは、そんなものがあるのか?と疑問を投げかけた。 人間は普遍的なものであるのか?もっと個人的な存在なのではないか。 人間に共通普遍な「本質」を問題にするよりも、もっと個々人の現実的なありようを問題にすべきではないのか。 キルケゴールは、『死に至る病』の冒頭で 「人間は精神である。精神とは何であるか? 精神とは自己である。自己とは何であるか? 自己とは、自己自身に関わるひとつの関係である。いいかえれば、この関係のうちには、関係がそれ自身に関わるということがふくまれている。したがって、自己は、ただの関係ではなくて、関係がそれ自身に関わることである」 と言っているんですが、私はどうもこの部分がなんのことやらよくわからないんです。 このあとで、人間は肉体と精神、有限と無限、時間と永遠、必然と自由、という相反するふたつのものの調和を求める関係のなかに存在している、と言っている。 だから、ここらへんのことは、ちょっとおいておくことにします(笑)。わかる方、教えてください。 こうした調和を求めようとする人なのかなー、となんとなく思ってるんですが、正確ではありません(上述のとおり冒頭いきなりコケてるんで、ちゃんと読んでません。以下は二次文献で得た知識です)。 ともかく、よくわからないのだけれど、この「自己」であろうとしない人がいる。自分自身と関わろうとしない人がいる。 それは、人間が「自己」になるか、「自己」を失うかは、人間の自由に委ねられているからである。 その結果、「自己」を失った人は、肉体の病気より重い、精神の、死に至る病にかかった人、すなわち絶望した人となります。 こうしてキルケゴールは、絶望を「無知」「弱さ」「傲慢」に分類して処方箋を書いていきます。 「無知の絶望」というのは、自分が絶望していることを知らない、ということです。日々の生活に満足しているような気もするけれど、逆に、なにも希望するものもない、そのような状態かと思います。 さらに罪が深い状態としてあるのが「弱さの絶望」、絶望していることには気づくのですが、それでどうするかというと、そこから逃げようとする。 そして、一番罪が深いのが「傲慢の絶望」です。自分が絶望していることはよく知っている。ところが開き直ってしまって、誰にも(具体的には神に)助けを求めようとしない。 けれども知っている、ということは、あるいは自分から逃げ出そうとしないのは、それだけ「自己」に深く関わっているからであるとも言えるのです。 ですから、「傲慢の絶望」は一番罪が深いけれども、救いにも近いのです。 人間は自由だからこそ、不安を感じ、罪を犯す。 けれども、この自由にもとづいて、自ら神を求め、信仰の道を選択するなら、救済が得られる。 逆に言うと、不安や罪を感じるからこそ、救われるのだ、ということになるかと思います。 キルケゴールの言う「自由」は、このような意味であると私は理解しています。
お礼
詳しい回答有難うございます。参考になりました。なんとかレポートも無事書き終わりましたm(__)m 自分の欲のために行動する事ができるという自由を持った現代人でも心は満たされていないというのはなんだか悲しいものですね。