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どんなことを考えますか。

J.S.ミルの「自由と責任」の倫理に従って生きる生き方や、カントの「~すべし」という道徳法則(自由の法則)に従って生きる生き方についてどう思いますか?? そして、皆さん自身が考える「生の選び」つまり、人の生き方ってどんな生き方ですか。 ぜひ、聞かせてください…。お願いします。

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回答No.4

人生は、闘争、ではなくて、逃走、ではないかと思っております。 実際、我々は毎日、飢え、病気、事故、暴君、犯罪、恋愛、人間関係の悩み、あるいは、退屈、などなどから逃走しているわけで、逃げずに戦えと言われても、飢えと戦って勝った人などいないでしょう。 しかし、逃げるのも、大変でありまして、高度な技術が必要なわけです。うっかりしていたら、すぐに、私が先ほど述べた、諸々のものに食べられてしまします。 いうなれば、人生は、それら諸々の危険をかいくぐり、いかに生きていくかが、面白みでありまして、それを楽しめなくなった時、すでにあなたは、食べられかけているという事であります。

その他の回答 (3)

回答No.3

>皆さん自身が考える「生の選び」つまり、人の生き方ってどんな生き方ですか。 まず、現時点で自分が生きている事実を認識します。 今、生きている。それが現実です。 次にいつか必ず死ぬことを認識します。 これも現実です。例外はありません。 ということは、この世でできることは 自分が経験すべき、経験したい、と思うことは すべてやるべきだと考えて行動します。 行動するときは最低限の社会のルールは守りますが、 他人の評価はほとんど気にしません。 なぜなら、あの世に持っていけるのは自分の経験だけで、他人の評価、お金、地位、名声は持っていけないからです。

noname#15514
noname#15514
回答No.2

人の生き方は、そう定まってはいないんじゃないかな(^^。 カントも、強制の意味で、~すべき、と言ったのではなく、然るべきように、と言いたかったのではないでしょうか? それは、行為ではなくあり方を示唆しているのだと思います。  僕は、人の生き方は、柔らかい自覚によって成り立つと考えます。 例えば動物と友達になるとき、人としての自覚が芽生えます。そのようなものを、人の生き方と言います。 現代的でしょう(^^?   形而上にそれを求める道もあります。 形而上については、その言葉で話さねばなりません。 人の世界でいえば、存在、混沌(非存在)、永遠、無、そのようなものは、すべて形而上であります。 そして、行為、あり方、存在は、形而上の言葉と言えます。 それに、存在を、魂とも言います。また、魂を発するものを霊と言い、魂の故郷、混沌が、その霊世界です。  故に、それ(形而上の言葉)を知るには、あなた自身の存在が、意味あるもの、そのようなあり方がなされなければなりません。また、あなた自身から、解放されており、然るべきでなければなりません。不可解を悟り、その運命を知っており、超然たる霊の真理の拠る所(無)を、怖れていてはなりません。   そうなった所で、あなたの生き方は、やっと、何も変わる所がありません。 それが是と知るのです。 参考になりましたでしょうか。 、、、夜も明けてしまったので、もうねるよ(^^。    (ー.ー)zz zz。。。

noname#15676
noname#15676
回答No.1

すべし、という枠にはまった考え方はだいっきらいです。 死ぬ寸前に「ああ、こんな生き方したんだ、私は」 と思うことはあっても、計画的なのはつまらないのでいやです。

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