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瞑想について

最近瞑想を始めました。 やり方はインターネットで調べました。 姿勢や環境づくり、心構えなどくまなく瞑想に関しての情報を収集しているつもりです。 やり方を記載しておきます。問題点があればご指摘下さい。 姿勢について私は結跏趺坐ができませんので胡座をさらに崩したように座ります。背筋はピンと上から吊るされたような感覚で伸ばしています。手は法界定印の形で組んでいます。 環境づくりとしてぬるめの風呂に長めにゆったりと浸かり少し涼んでから瞑想をしています。これは副交感神経優位になるよう期待しています。そして無音と消灯して夜に行なっています。 次に心構えですが、はじめのうちは呼吸に集中するといいとありましたので呼吸に意識を向けるようにしています。 あと時間は30分程です。 5分、10分のはずが気付けば過ぎていました。 本来やり過ぎは良くないとありますが、その良くない結果でもいいので見えてくれるといいのですが、何事もありませんでした。 以上のやり方でこれまでに三度の瞑想を行いました。 しかしどれも瞑想が成功したという感覚がありません。もちろん最初から成功するとは思ってもいませんが失敗したという感覚がないのです。 成功も失敗もないように感じたので土俵にすら立てていないのではないかと考え、やり方を見直してみたのですが問題点がわかりません。 なので質問をさせていただきました。 よく体験談などで雑念が止まらない状態とありますが、それにすら陥ることができません。 もはやなんらかのフィルターでもかかっていて全ての思考を濾されているのではないかと思うくらい雑念が見えてきません。 瞑想中呼吸に集中するべくもなくただぼーっとしているという感じです。そして気付けば30分くらいが無に帰すという非生産の極みを体現します。 よもやこれは成功なのか?とも思ったりもしたのですが、瞑想の効能を実感できません。 心身が軽くなったような感じはありません。思考に整理がついたような気もしませんし、今までと考え方が変わった所もありません。第六感的な何かももちろん変化なし。 もしくは私が日常的に頭を使えてなさ過ぎて、もはや雑念すら湧かないほどに知性が枯れ衰えた結果なのか?と怖い結論も出てきてしまう始末です。 どうしても本物の瞑想を味わってみたいです。 しかし、やはりどこかに過ちがあるとしか思えませんので ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

みんなの回答

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.4

私も一時期、瞑想をしていました。別の世界の波長に同調していると表現できる状態だったと思います。すっきり感の気持ち良さというか、そんな体験で、またやろうという気持ちになるものでした。 たぶんですが、人間の瞑想行為には、向こうの世界の誰かがかかわっているか、かかわるかが必要なのかもしれないと思います。または、かかわってき易い、危うい誰かでもかかわってこれるかもしれないのが瞑想状態。 まぁ、どちらにしても、本人に縁やゆかりがある誰かか、本人の求めに応じる、本人に似たタイプの誰かがかかわってくるのが自然の流れだと思います。 指導者となる人間の後ろにも、誰かがいるものらしいです。

回答No.3

安心して下さい! 雑念がないというのはうまくいっている証拠です。 瞑想の効果が実感できるには、毎日欠かさずに続けて半年くらいかかるものです。 自己流でやっていると間違った方向に行ったり、やり方が不安になったりするものです。 指導者について正しい瞑想を学ばれることをおすすめします。

zungiri
質問者

お礼

ありがとうございます これにより安心して試行できます。 本当に信頼できる指導者を探してゆきたいと思います。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.2

偉いお坊さんが瞑想しているときの脳波を調べると、α波が出ているそうです。面白いことに、まだ若いお坊さんは瞑想していてもα波が出ていないそうです。 ですから科学的に成功失敗を語るのであれば、脳からα波が出ていれば成功、そうでなければ失敗ということにはなりましょう。しかし、その偉いお坊さんも若いときからα波が出ていたわけではなく、長年の修行でその領域に達したのです。ローマは一日にして成らずですね。 仏教思想的にいえば、色即是空、空即是色ですね。 空気は目にすることはできませんが、そこに存在している。そしてそれが見えたからといって本当に存在しているとは限らない(幻覚なども存在しますね)。つまり、有は無であり、無は有である。見えないものは存在しないものであり、存在するものでもあるということです。そのすべてを超越したものが「無の境地」なのです。 その無の境地に達すれば、成功も失敗もないのです。すべては「無」なのですから。意味があるとか意味がないという些末なことも超越した、「悟り」の域なのです。 ただまあ悟りの境地に達するのは並大抵ではなくて、インドに行くとその悟りをひらくために死ぬまで修行をする人たちがいます。彼らは前世から悟りを開くために修行をしていて、次に生まれ変わったらまた修行して悟りを目指すそうです。そうやって何度も何度も輪廻転生をくり返していつか「解脱」となるわけですね。なんだか最後がオウム真理教ぽくなってしまいましたが。

zungiri
質問者

お礼

所謂、「悟り」の境地を目指しているわけではないのです。 悟りの境地に達することでしか瞑想の効果を知ることができないのであれば瞑想を止めることとなるでしょう。 最近では多くの人がフランクに瞑想を行なっている印象がありました。よって瞑想ライクでもなんらかの効果があるように思えてならないのです。 回答ありがとうございました。

noname#251075
noname#251075
回答No.1

マインドフルネスという1分間だけ瞑想を行うことに私はチャレンジしています。 自分が富士山になったつもりで、荘厳さを保つようにしています。 お互いがんばりましょう。

zungiri
質問者

お礼

マインドフルネスというものを初めて知りました。私もやってみましたが、これがなかなか疲れるものですね。笑 ありがとうございました。

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