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瞑想

瞑想するとき、頭の中はどうすれば、よろしいのでしょうか? ある人は、マントラを唱えよと言う。 ある人は、無になれと言う。 ある人は、自然と一体のイメージをしろと言う。 で、実践されている方や、詳しい方にお聞きしたいのが、 瞑想中、自分の思考回路はどのようにすればよいのか?です。 一応上に書いた全てを、試したのですが、 マントラはダメで、自然をイメージも合いませんでしたので、 自分の呼吸、身体感覚を感じるようにしています。 雑念が出たら、「雑念、雑念」と自分を客観的に中継し 思考回路を「無」にするようにしています。 ただ、これで良いのか他の意見も聞きたくなったので 質問しました。 よろしくお願いします。

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noname#25310
noname#25310
回答No.4

>思考回路を「無」にするようにしています。 無になろうとするのは「無」ですかね? 「無」は意識からは作れません。 無になろうとして何も考えなくなることは「無」になったわけでは ありません。 こういうことをヒントとして、自分で「無とは何か」を探してみてください。それが瞑想です。 「無のなり方」なんていうマニュアルがあるわけではありません。 そんな方法論で無になれるなら誰だって簡単に解脱してしまいます。

noname#23374
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>無になろうとするのは「無」ですかね? はっとしました。 以前、坐禅の本を読んだのですが、同じように書かれていました。 そして、今思ったのが「私はいつまでも、マニュアルを探している」と。 順番が逆になっていた気がしました。

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

あくまで私見なのですが、、、 >ある人は、マントラを唱えよと言う 例えば言葉を習得していない赤ん坊に「体が軽くなる 軽くなる」と言っても、ムギュギュギュって掴んだ手を離してくれませんよね。 大人に試してみると、穏やかな顔になる。 それと一緒で、意味を体得していなければ、マントラとてただの雑音。 馬耳東風。効果は現れないと思うんです。 だから修行が必要になり、それを獲得した人がその音を発した時、それはただの言葉ではなく「力の言葉」となり、この世にエネルギーがその実体を表すんだと思うんですね。 >ある人は、無になれと言う 無とは何も考えていない状態ではなく、心が騒がない状態のことだと思うんです。 この世は諸行無常で刻々と変化し、それはイコール自然ですよね。 風は止まりません。波は止まりません。太陽も動いています。 自然は無動ではなく、常に動いており変化している。 世=変化する性質を持つもの。 その変化に対して騒がない状態が、無の心なんじゃないかと。 >ある人は、自然と一体のイメージをしろと言う。 上のつづきでいくと、自然とは無常のことで、こだわるな とどまるな、固執するな→自然と一体になる。 だと思うんです。 つまりしなる心、柔軟な心じゃないかと。 しかし、人は変化を嫌います。 宗教を見ると変化することを穢れることだとするところもある。 生まれることは変化が起こるので穢れ。 死ぬことも変化するので穢れ。 だから生まれるときと死ぬときを司る人たちは、それらの穢れを浄化することができるとされ、尊ばれた時代があった。 天と人の間の者=非人。 今では非人は差別用語とされていますが、昔は神と人の中間的な存在者として神聖視されていたんです。 つまり世の中は変化している性質を持つので、どうしても世は穢れてしまう。(生まれるし死ぬから) それを浄化するものがいるから、穢れても大丈夫とされ、変化する世の中を嘆かず生きていけたんじゃないかと思います。 でも、変化っていいほうに変化すればいいんですが、悪い方に変化するのは勘弁して欲しいですね。 無の心。無理です。私はあがくだけあがきます。 あがくのも一種の修行なのかもしれません。 「もういいや」って諦めなのか やるだけやったという満足なのかわかりませんが、定められた時(死ぬことじゃなくて、全てのことには定められた時があると思っています。(コヘレトの言葉))まであがきます。 もがいて あがいて 「ああ せいいっぱいあがいてやった」←これがわたしが下降の変化に対して得た満足なのであります。(笑) 「ただでは下降しない。なにかしらふんだくってやる」みたいな (笑) 私のこのあがきの美学は、今回の質問に対して参考にはならなかったとは思いますが、ちょっとこのおまぬけなしたたかさが滑稽で笑えて、心が少しは軽くなりませんでした? (笑)

noname#23374
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • crow2222
  • ベストアンサー率26% (30/115)
回答No.2

瞑想と空想の違いを勘違いしてる人が多いと感じる 別の言い方をすれば 人生を豊 もしくは有意義にする為の瞑想ではなく瞑想する事が目的になっているとも云える 瞑想する事が幸せ! これは空想でもあり逃避でもある 瞑想の時間を十分に持てる人生を得る事が目標!と云うのならすばらしいが 瞑想(空想)に逃げたらそれは瞑想ではない まず瞑想は苦痛が伴う 座禅等が分かりやすい 20分もすれば脚が痛い 2時間座れば感覚が麻痺しだす 6時間座ればもう感覚はない ココからが本当の座禅の世界 痛みから逃げてはいけない 痛いと感じてもいけない 痛みを消す努力もしてはいけない 痛いまま そのままを受け入れる感覚 雑念は出してはいけない しかし 雑念を意識的に止めてはいけない 雑念を受け入れる感覚で消えて行くのを待つのみ リラクゼーション状態に於ける瞑想等瞑想ではない 空想だ って考えを持ってから20年経ったな~ (-。-)

noname#23374
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>別の言い方をすれば 人生を豊 もしくは有意義にする為の瞑想ではなく瞑想する事が目的になっているとも云える これ、かなりチクっときました。心についた余計なものが確認できました。 坐禅と瞑想は同じなのでしょうか? これも、昔からの疑問でした。 言い方だけが違っていて、傍からみると同じに見えるのですが。。 「全てを受け入れる」なるほどです。参考になりました。

  • bluespace
  • ベストアンサー率27% (15/54)
回答No.1

瞑想で何を得たいのでしょうか。 あなたは、すでにご自分の呼吸や身体感覚を感じるときに、ご自分なりの瞑想ができたとの思いあるいは満足感を感じておられるように拝察しました。 私は、あなたとは正反対の瞑想観(定義というのでしょうか)をもっていました。 対象はどんな分野のことであってもいいのですが、そのことの全体像や構造を求めてひたすら考えることが瞑想することだと思っておりました。 私には、集中的かつ意識無覚的な考えが継続できないので、自分が納得できる答えに行き着く瞑想ができたことなんてありません。 何よりも知能の不足が最大の原因であります。 瞑想という言葉がいつの時代からあるのかは知りませんが、世界中の国語に瞑想という語があることは、人々は多様な分野で多様なレベル(質と量)の 瞑想をしてきたということではないでしょうか。 ハイレベルのあなたのご質問からは、まったく当を得ていなとは思いますが、ほかの皆様のご意見を聞きたくて回答に参加させていただきました。

noname#23374
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>瞑想で何を得たいのでしょうか。 生きていくための、図太い力とでも言うんでしょうか? 生命力の強化と、生き易くなるため。。と、言葉にしたら 何か違うような、そのとおりのような。。 自分なりのものを実践していればよいのに、隣の芝生が気になったようです^^;

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