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何も考えないとは?
よく何も考えてない状態をぼーっとしてるときなどと言います。 確かにその間なにも考えてなく、実際に自分でそれをやろうとするならば、一番わかりやすくいえば瞑想などがあてはまると思います。( 私は瞑想とがそういったものは信じておらず、宗教といった類もまったく興味がありません。) それで何も考えてない状態にするには呼吸をすることを集中したり(瞑想というのが当てはまりやすいとおもいます)、何かに集中すればできるとおもいます。 そこで疑問に思ったのが、確かに何も考えてない状態はやってみてできると思うのですが、実際にそれをして、1分くらいたってやめようなどと思った際、本当に何も考えてない状態を作れてるのなら、そういった発想は考えたことにより起きることなので何も考えないようにしてることからその発想はできない。みたいに変に合理的に思ってしまいました。 これは意思とかそういったものがなにか関わってくるのでしょうか。 普段はこういうことは考えないのですが、ふとした拍子に思ってしまいました。 へんな質問ですいません。
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- stomachman
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「何も考えない」のは瞑想じゃなくて無想です。 瞑想は全くの別物で、いわゆる精神統一のことであり、ひとつのことに心を集中させて深く考える状態を意味します。周囲の雑音を遮断しているので誰かに呼ばれても気がつかない。これは普段、誰にでも生じうる精神状態であり、たとえば難しい数学の問題に集中して取り組んでいるときにも生じます。 また、瞑想も無想も、どちらも神秘的なものではなく、信じるとか信じないとかとは無関係です。 で、ご質問は無想の状態についてですね。 「全身麻酔」は薬剤で大脳皮質を眠らせるもので、脳幹部は起きてますから、呼吸・心拍・体温調節などの機能は働いている。深く眠っているのとよく似た状態です。主観的には、麻酔に掛かった瞬間から麻酔が醒めるまでの間の時間がすっぽり抜け落ちていて、もちろん夢も見ない。意識が失われています。 一方、中途半端な濃度のキセノンガス(麻酔作用がある)を吸入する体験の報告( http://okwave.jp/qa/q2711930.html )では、いろんなことを考えられなくなり、たったひとつの単純な考え、すなわち「呼吸を続けよ」を維持するのがやっと、ということ。自分が何であるか、という認識も失われている。しかし、覚醒した後で振り返れば、吸入中の経験を思い出して説明できる。すなわち、意識は(積極的には何もしていないが)失われていたわけではない。 これらは何も考えない(考えられない)状態ですね。 ご質問の「ぼーっとしてる」という状態は、その間「ぼーっとしてる」という自覚は無いのでしょう。でも後で「何してたの?」と問われれば「ぼーっとしていた」と答えることができる。だから、意識があるけれども何にもしてないという状態であり、まさしく無想状態だと思われます。しかし、この状態をわざと作り出そうとすると、なかなか難しい。意識があるということと、何も考えないということを両立させねばならないからです。実際、「何も考えない、何も考えない、何も考えない」と念じ続ける、なんてやりかたではうまく行かない。 薬を使わずに、自分で何も考えない状態(無想の境地)に持って行く、ということについて、上記のURLの質問者が述べています。何も考えないということをやっていると息まで止まるとのこと。つまり自分の意志で、ただ「ぼーっとしている」程度のことではない、キセノンを吸入したような状態に持って行く、ということもできるってことですね。ぽこぽこ湧いて来る考えをほったらかしにするということと、ただ呼吸を観察する、ということがコツだと言われています(が、私はやったことありません)。 ともあれ、まず「無想状態を作る」という目標を決め、そのための方法を行う。ここまでは意識的にやるのだけれど、その後は自動的に方法に従うだけである、というやりかただと思われます。なので、意識は失われる訳ではなく、ただ、自分の状態を観察しているだけ。で、何か異常が生じたら、意識が活動を開始する。無想状態を解除したり、あるいは無想状態が壊れないように修正したり、ということができる。 脳の中には沢山の回路があって、それぞれがかなり自由に活動できます。また、相互に影響を与え合う。丁度、自由経済社会のような構造になっている。なんでもかんでも意識がコントロールする専制君主の構造ではないんです。実際、空腹や便意すら意識ではコントロールしきれない。もちろん「今日は白血球を多めに作っとこう」なんて思ってもできないでしょ。 それどころか意識は、それ自体が何か考えたり決断したりしてはいないようで、ただ、自分の考えや行動のどれかに注意を振り向けたり、それらを(後から)意味づける、ということをやっているだけらしい。たとえば、「AとBのどっちを選ぶか、という判断は、意識が行っているのではない」ということが、ベンジャミン・リベットが創始した巧妙な実験によって明らかにされて以来、意識を余りに重視するということへの反省が行われています。(意識は、しばしば「ひと」「人格」と同一視されるほどです。刑事事件の犯人に問う責任も、本人とその意識とを同一視する、という基盤の上にリクツが構築されていますから、泥酔状態で人を殺しても心神喪失で無罪。) いろんな回路が「ぽこぽこと湧き上がる考え」を幾つも作り出している。その考えのどれかを取り上げて注意を向け、他のものは無視する、ということを意識が行ってるのが、覚醒した状態です。ところが、無想の状態では、敢えてどれも取り上げずにただ傍観しておく。いわば、社長にいろいろ進言してみても、社長が反応してくれない、って状態です。じゃあ、社長は寝てるのか?ボケちゃってるのか? ところが、何か事が起こると社長(=意識)が、社員達の行動のどれかを優先させ、他を無視する、という選別を行う事で、状況に対処しはじめる。 そういうことだろうと思います。
- kanto-i
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考えるか考えないかを決めてやっている場合 考えるも考えないも決めているのは「意」であり 意が決定したものを実行することが考えると言うことであります。 ですから、考えないから考えるに切り替えているのは 一度考えからとはなりません。 意が動くのが分かりやすい例で言えば、人は何かを選ぶとき 大抵はわずかな時間でも考えます。 考えた後「よし!決めた!!」と決める瞬間に動くものが「意」だと思います。 動きは刹那の瞬間であるので、わずかな差異が拾える人は 感覚で分かるかもしれません。 意は初動の決定権を持ちますから、考えは担当していません。 医学的にも、人は考える前に脳が活動し始めて 考えに至るまでにタイムラグが生じています。 考えを休憩しても、休憩は考える部分だけであり 脳全般が活動を停止している訳では無いからです。 昔の人は、そう言う細かい動きや活動に対して 一つ一つ名を付けているので、ある意味すごいと思います。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
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私は武術家です。 その修行には「鎮魂」という瞑想のようなモノがあり、それは、「戦う際に、身体はリラックス、しかし、気は張りつめて」を目標にと、教わった。これは難しいようだが、ノラネコと接するうち、私も自然にできるようになった。 No.5回答で書かれていることが、実体験を検証すれば、「確かに、そのとおり」であると、私には理解できた。
- superkeroyon
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(何回もすみませんが) 瞑想による「何も考えない」状況って、他の方も書いているとおり、「文字どおりの何も考えない」ではなく、 様々な刺激(雑念など潜在意識からの刺激も含めて)に影響されず静寂を保つことではないだろうかと思います。 ただ、究極の状況は、自分は経験したことがないから、正確にはなんとも言えないですね。
- superkeroyon
- ベストアンサー率30% (14/46)
No7の 何も考えてない状態から、「やめる」を意思したら、何も考えてないことになるのではないか、との疑問ですね。 そのとおりです。 は 何も考えてない状態から、「やめる」を意思したら、何も考えてないこと「はない」ことになるのではないか、との疑問ですね。 そのとおりです。 に訂正です。(訂正機能があればいいんですけどね、、、)
- superkeroyon
- ベストアンサー率30% (14/46)
>、確かに何も考えてない状態はやってみてできると思うのですが、実際にそれをして、1分くらいたってやめようなどと思った際、本当に何も考えてない状態を作れてるのなら、そういった発想は考えたことにより起きることなので何も考えないようにしてることからその発想はできない。 何も考えてない状態から、「やめる」を意思したら、何も考えてないことになるのではないか、との疑問ですね。 そのとおりです。 つじつまがあうとらえ方は、何も考えていない状況になったとして、そこから次第に考える状況になってから、「やめる」を意思するととらえることです。(このように、状況の変化という「時」の要素を入れれば、論理的矛盾なんてものはたいてい消滅します) 余談ですが、完全に何も考えていない状況に、どのくらい近付けるかは、瞑想の熟達の度合いによります。 初心者は、雑念が潜在意識からわくのは当然ですが、雑念をわくにまかせて続けると、潜在意識からでる雑念がだんだん減っていくようなことも、経験できるようになります。何年も続けると、潜在意識の状況が変化してきます。心理面で情動の面で、そして健康の面で、大きな変化が遂げられるようになります。こういうことは宗教にも世界観にも無関係で、瞑想(座禅)の長年の経験と熟達のみに関係します。哲学や思想という知的な面だけでは、このような変化は決して得られないでしょう。
- urigadai2013
- ベストアンサー率37% (92/244)
昔、半年間でしたが、鎌倉で禅の修行をしたことがあります。 その時に言われたことですが、人間は何も考えないということは出来ない、何も考えないようにしようとすれば、その何も考えないことにしようということを考えてしまう、・・・・・そうして切りが無くなる。 だから、座禅をしていて、何か想念が起きたら、できるだけそれを追わずに放置しなさい、と言われました。 このように人間は無念無想でいることができないのですから、想念が起きたら、それに捉われることなく、放置する以外のことしか出来ないのです。 あなたもじっと一人で座って、何も考えないようにしても、次々と想念がわいてきて、切りがないのに気付くはずです。 禅でいう「無念無想」とは、想念がないことを意味するのではありません。 想念がわくことは避けられないのです。 想念がわいても、それに捉われず、流すことは出来ます。 捉われず放置することが、無心であり、無念無想です。 あなたもそれだったらやってやれないことはないでしょう? いろいろ想念がわいたら、それに捉われることなく、放置し、追いかけなければ良いのですから。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
脳のニューロネット(神経線維網)ハ、単純なリレー 配線ではない。 その繊維の先端のスイッチ(シナプス結合)には、 励起型と抑制型がある。 即ち、単なる電気配線なら、伝わって来た刺激は どんどん拡散して行くだけだが、脳の場合は、 刺激が伝わる事で相手の神経線維の興奮を 抑制する事もある訳だ。 その事によって、特定の回路が励起されると、 他の回路は抑制されて、安定した情報処理が 可能になるのだ。 つなり、「何も考えない」というのは、励起してい ない状態ではなく、抑制型のシナプスをフルに 励起させた状態であると考えられる。 (そうでない刺激の遮断は、単なる気絶だ) それにもう1つ、そのシナプス結合はデジタルな 接点ではなく、わずかな隙間があり、伝わって来た 刺激により隙間に伝達物質が放出され、その濃度 が高くなると相手に伝わる、というアナログな要素 が介在しているのだ。 その事によって、1つの回路をずっと励起させてい ると、放出する伝達物質が不足して、刺激の伝達 が弱くなり、刺激の伝達によって抑制されていた 他の回路が活性化し、ある時点からそちらの抑制 型のシナプスが優越して、元の回路が抑制される。 つまり、ここで問題にされている、「飽きる」とか 「気が変わる」といった現象だ。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
判断しない 感じる
- fuukakou
- ベストアンサー率22% (200/870)
本当に何も考えないで、ぼーっとしてる状態って、てんかんの小発作が起きてる状態ぐらいしか思い浮かばないです。 脳に過剰な電流が流れて、思考はストップしてるだろうし 本人的には時間はその間存在してないようです。 (合唱などで歌い始めて、突然 はっ!と気が付いて意識が戻って あれ?あれ?となって、周りの歌声を聴いて 今どこを歌ってるのかを知るとか… 傍から見るといきなり止まる(手がもぞもぞと動く事もよくあるらしい)し、なんだかぼーっとしてるように見えるらしいです) これと比べると瞑想は全く異なるものの様な気がします。 一点に集中してるって事は、そこを意識してる。思考があると思います。 やめようとかは雑念だろうから、出来てないって事でしょうね。 集中力がグッと高まると、声をかけても無駄で体を揺らされないと気が付かないみたいなものかも。この時、周りをシャットダウンしてるけど、意識はあるし脳は働いてるし記憶もあるよね。 傍から見ても、ボーっとしてるのとはかなり違って見えそう。 瞑想法にもいろいろあるみたいですし…今日歩いた道、景色を明確に思い出す(マンションなどの窓の数とか塀代わりの植え込みの気の数とかもまで明確に)とか、自分の意識を普段の場所からズラして(どうやってるんだろう?)雑念として浮かんでくる思考を俯瞰してみて、自分がどんな思考をしてるかを知る(癖とか)とか、意識を下に動かして自分自身と対話するとか…できるかぁ!!!と叫びたくなるようなものが、あるらしいです。 どんな人が出来るっつーんだ!! トランス状態も本人が何も考えてない状態に近いのかも知れませんが、終わりを自分で操れるものじゃなさそうですよね… 瞑想は、何も考えてないの反対で、とことん一つのものについて集中して周りからの情報をシャットダウンしてる状態なんじゃないかなぁ? で、集中が途切れちゃった時に、他の事を思ってしまう。 集中するんだから、そこに持って行ってる時には強く意識をして意思を持ってやってそう。 やっぱり人工的に何も考えてない状態を作るのなら トランス状態かな? 覚めた時その間の事何も覚えてないって話を聞いた事がありますし。
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