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江戸時代の公家の位階と家格についての疑問
- 江戸時代の公家の家格は一般的に固定されていましたが、分家をした場合は官位が下がることがありました。
- 江戸時代には公家の分家が多く存在し、次男や三男などはどうなっていたか疑問があります。
- 江戸時代においても、家格が定まっていたとされる中で、一部の公家は没落していました。
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わかる範囲で 1 分家(江戸時代の公家は「新家」といいます)は本家よりも官位が下がることはありませんが、出世のスピードは遅いです 2 新家のできた時代はそのときの政治情勢によりある一定の時期に固まっているといわれています。で、それ以外の次男、三男は ・他の公家、地下官人の家に養子に行く ・早死にした兄のあとを継ぐ(または養兄のあとを継ぐ) ・寺に入る(出家して坊さんになる。これにも家によって入るお寺や寺内での地位が決まっています) が一般的のようです 3 堂上家から地下に格下げされることはほとんど無いはずです(これは自信なし) 4 地下官人も家により役職が決まっています。で名目上の官位も大体決まっています。たとえば○○家の場合、何歳で肥後守になる(もちろん肥後国のことをするわけではありません)○歳で××大尉を兼ねるなどです。そういう意味では兼任することはあります。 地下官人の仕事の種類は http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/jige18430201_index.html を見るといいのではないでしょうか 官位も載っています 5 奈良時代の令はもちろん江戸時代には機能していません。なので規定のようにはなりません。 堂上公家の一覧を張っておきます http://www5f.biglobe.ne.jp/~cool/essay/006a.html 地下官人は4のサイトをみると一部載っていますし、これ以外にも社家や坊官の人々が官人として朝廷に仕えていることが多いです。肩書きとしては社家で○○神社の禰宜をやっているけれど、実際人手が足りないときには朝廷で仕事をする人もいます。逆に、官人としての肩書きは持っているけれど、実は商人で肩書きをお金で買ったため朝廷には出仕していない人もいます。 全体的には図書館で 東洋文庫 「幕末の朝廷」 下橋敬長著 を読むとよろしいでしょう。くわしくのっています。 この下橋さんは一条家の諸大夫です(地下官人)
お礼
大変詳しい説明とリンクありがとうございます。実はこの表の地下官人の項に、数代前の血縁が地下官人に名前を連ねておりますが(こういう表ははじめて知りました)、系図などを見ると江戸後期に急に官位が下がっております。地下になってしまっているんです。それでなんでこうなっているのかなぁと思いまして、聞いてみました。分家したのか、没落したのか、もともと地下でも位階だけ高いということでもあるのか?と思って1と3の質問になったわけです。本家があるのかどうか知りませんが、明治の時にはどうもないようです(同じ苗字はありますが、系統が違います)。それとも地下官人にも、長年の報償ということで、形式的な名目をくれたのでしょうか? 嘘を書くというのもあったのかもしれませんが、明治天皇とともに江戸に上って明治になって五位になっておりますからまったくの嘘でもないとは思うんですが・・。