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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸時代の地下家の官位相当について)
江戸時代の地下家の官位相当について
このQ&Aのポイント
- 江戸時代の地下家の官位相当について調べていると、官職相当表というものがネット上でよく見かけます。しかし、私の家は地下家であり、家系図の正確性には疑問があります。位の高さに比して官職の方が低いため、官位相当表の信頼性について疑問を持っています。時代や部署によって官位相当はブレがあるのでしょうか?
- 地下家の家系図が書かれているが、正確性には疑問がある。明治になったときの位階は分かっているが、官職相当表と比べると官職の方が低い。国司関係の任官には違和感はないが、官職相当表の信頼性について疑問を持っている。
- 江戸時代の地下家について調べているが、官職相当表の信頼性について疑問がある。私の家の家系図は正確性に欠けている可能性があり、官職の方が低い傾向がある。時代や部署によって官位相当はブレがあるのかもしれない。
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質問者が選んだベストアンサー
制度が制定された時代はさておき、時代が下るにつれて位は高く、官は低いという傾向があります。官職相当表というのは制度ができて実際に機能していた頃のものです。 江戸時代の朝廷では関白、議奏、武家伝奏、職事(蔵人)以外の官職はすべて実務のない空名でした。 位階のほうは人数が決まっているわけではありませんから、地下でも従三位までは進める家もありましたが、地下家の従三位が参議や中納言にはなれませんでした。 また。官職のほうは武家のように同じ官職についたものがたくさんいてもいいというわけにはいかず、実際には仕事はないのだから関係ないようなものですが、伝統に従えばいちおう定員がありますから、位階相当というわけにはいかず、位が高く官か低いということがよくありました。 きませんでした。
お礼
ありがとうございます。 某巨大掲示板などでは、聞きたくても、 ビンボー、ビンボーと揶揄されてばかりなんで(実際ビンボーだと思います)、なかなか聞けませんでした。 うちは実際の仕事は、天皇・宮家・摂関家の日常の世話に関わることでしたのでその分の給料がでていたようなので、堂上でも何も仕事がないとこりよりは暮らし向きは、まだましだったようです。 跡取りが泣く、他から入ってきた地下家が今の私の直接の先祖ですが、 直接の先祖は、その実家筋の官職についています。それ以前の養子先の先祖とは、多少は近い関係にあるんですが、官職的にも少し違う系統です。位は少し落ちました。