- ベストアンサー
従三位中納言と正三位参議どっちが上?
江戸時代の武家の官位は複雑です。 位階が低くて官職が高いのと位階が高くて官職が低いのが存在しているようです。どっちが上ですか。 1)従三位中納言(水戸家)と正三位参議(典厩家) 2)正四位下参議(前田家)と従三位中将(尾張、紀伊初官) 3)従四位上中将(島津、伊達極官)と正四位下少将(水戸、前田家初官) 4)従四位下少将(国持大名極官)と従四位上侍従(越前松平家初官)
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 簡単に言うと、 位階=身分 官職=職名 ですので、位階が上のほうが「えらい」ことになります。 ちなみに、位階は功労に応じて昇進があり、位階に対応した官職に就くことを原則としていましたが、官職には定員がありますので、位階が上がっても官職は据え置きの場合があったようです。
その他の回答 (3)
- buchi-dog
- ベストアンサー率42% (757/1772)
他の方も言われていますが、「位階」が「官職」より重要であったはずです。 ところで、質問者様が書かれている「典厩家」というのは初めて聞いたのですが、どの大名家のことですか?よろしければお教え下さい。
- milky-moon
- ベストアンサー率32% (82/249)
詳しいことはわかりませんが、位階(身分)が上がるとそれに相応しい官職(立場)になります。 逆は有り得ないので、正三位と従三位では正三位の方が身分は上ということになります。 ただこれは朝廷上の身分です。 ちなみに代が変われば位階の変動もあります。 例えば水戸家は従三位ですが、初代藩主は徳川正三位権中納言頼房です。 幕末の例外を除き、家によって決まった官職というのもありますし、その時代の老中と同じ官職には就けないという決まりもあったと記憶しています。 ご参考までに。
- asuca
- ベストアンサー率47% (11786/24626)
文禄元年、肥前警護のために出張、同三年帰陣して伏見に館す。慶長五年の関ヶ原の戦の際には、関東にあって上杉氏の西上を防ぎ、こののち松平姓に復して。越前北荘、すなわち福井六十七万石をもらう。同八年従三位参議、同十年正三位中納言となる。 との記述がありますので「正三位参議」の方が上かと。
お礼
結城秀康の系譜ですね。ありがとうございます。
お礼
「典厩家」は甲府、館林家のことです。左馬頭、右馬頭なので典厩家と称されています。