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【サルトルの実在主義】サルトルの実在主義ってどうい
【サルトルの実在主義】サルトルの実在主義ってどういうものですか? 簡単に分かりやすく説明してください。
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実在主義ではなく、実存主義・Existentialismですね? 古代ギリシャで本質・Essentiaと対比して使われました。 だから古い言葉です。 プラトンは個々のもの・実存の上に「イデア」という本質があり、その本質こそが真の実在であり、実存は仮象である、と言いました。 天に「イデア界」というホンモノの世界があり、地上の世界はニセモノの世界であり、仮の世界である、と言いました。 この「イデア」、本質が、中世では神に言い換えられ、その神が人間を創造したとされ、人間は神の被造物になりました。 そして善い行いをした人は天国に迎えられ、悪いことをした人間は地獄に落とされる、と言いました。 この、本質優位、実存劣位、の考えはずっと西欧に受け継がれてきました。 ところが19世紀、ニーチェが「神は死んだ」と宣言し、この西欧の本質優位、実存劣位の歴史に終止符を打ちました。 「神が死んだ」というのは、文字通り、キリスト教の神が死んだという意味のほかに、この私たちの住む感性的世界の上に、天国だとか、神だとか、そのような超越的な存在がいなくなって、人間だけの世界が訪れたことを意味しました。 実存が優位、本質は劣位、と関係が逆転したのです。 そのニーチェの唱えたことを戦後、サルトルが「実存が優位、本質は後」と言って、実存主義を唱え、それが戦後流行しました。 戦争ですべてが崩壊し、国土は荒廃し、誰もがゼロから復興しなければなりませんでしたので、その考えは戦後直後、人々に訴えかけるものがあり、よくマッチしました。 でも、60~70年代になって、もはや戦後ではないと言われるようになると、サルトルの実存主義もだんだん忘れ去られてゆきました。 実存主義は、主体性を重んじ、人生というものを他人に指図されるのではなく、自分で主体的に選択して作り上げるものだ、と言いました。 でも、現代のように広告宣伝・映像メディアが氾濫するようになると、人間の欲望も操作されるようになり、商品を主体的に買うというより、「買わされる」という面が強くなり、主体性なんて言うものも疑わしくなりました。 今の時代、主体性なんて言うと、自己欺瞞でしかないと見られます。 近代哲学はデカルト以降、人間には自我がある、主体があると言ってきましたが、20世紀になると、その近代哲学の考えも、否定されることになりました。 したがって、サルトルの実存主義は近代哲学の最後、最終形態だということができます。 サルトルの後、構造主義が登場し、主体性は名実ともに否定されました。
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- kazamidori365
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資本主義の世の中、 もし「誹謗中傷」が商品になって交換されて価格が付くならば、 誹謗中傷という商品を生産したり消費したりすれば 商売に励む正しく善なる誹謗中傷者ができあがるのではないか? 本人は誹謗中傷しなくても需要と供給で交換する人たちが いるだろう。 狂気の沙汰だな。なんでも商品になるとはいえ果たして? いや、資本主義の世の中、一円にもならない書き込みをしている私のほうが 狂気なのだろう。
- kazamidori365
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どうでもいいことが気になったけど no.1さんの回答を見た後に 逆にひらく傘の記事を見たから今日は世の中では真逆が流行っているのかと思った。 本当にどうでもいいことですみません。 2015年11月29日 15時00分00秒 普通の傘とは真逆の動きを見せる「逆にひらく傘 GAX UMBRELLA」を使ってみた http://gigazine.net/news/20151129-gax-umbrella-g-1/
- hekiyu
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実在主義じゃなくて、実存主義です。 かの思想はキリスト教に始まります。 キリストは全知全能の神を前提としていますから、 人生などは総て神の手の上にある、と考えます。 ところが、そんな神はいなかった、という ところから実存主義が始まります。 神がいないのなら、俺たちはどう生きれば いいのだ。 俺たちは無だ。 無だから、どう生きようが、俺たちの自由だ。 俺たちで、生きる道をつくっていくしかない。 こう考えたわけです。 このように、西洋哲学てのはキリスト教と密接な 関係にあるのです。 「嘔吐」などは、永年信じてきた神を否定したための 心理的ショックによる現象です。
- kazamidori365
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人生に意味は無い。 ここまでならどうでもいいのですが、 歴史には意味がある。 歴史に参加せよ。 これが問題なのです。 マルクス主義は「空想から科学へ」とかいって 科学的だとかいったのですが、だから革命の未来は確実にやってくると 神はサイコロを振らない ところが、量子力学とかでてきて科学についての考え方も変わってきて マルクス主義は科学ではなくなりました。 確率とか不確実とか。未来は決定していない。 そこらへんは科学哲学を学ぶとして、 歴史ではなくても宗教だとか、運命とか、自己の外部にあるものに 自己を求めるのがよくないわけですが、 これは疎外とか人間性の回復とか 人間の作ったものが人間を支配するとか いろいろとあるわけです。 今さらサルトルの実存主義がどうとか言って 気にしなくてもいいと思います。 資本主義と民主主義。 これは今日ではアメリカ的価値観で、 それに対抗しているのはイスラムということになるのかもしれませんが。 自己の外に自己があって、それを取り戻すなど 梵我一如そのもので、仏教徒が激怒しそうな思想です。 密教は知りません。 自己など無いのです。だから取り戻す自己などないのです。 実存主義は終わりました。
- catpow
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>>サルトルの実在主義ってどういうものですか? 単純にいえば、「人生とは何であるか?存在とは?」を考え続けて答えを求めたけど、答えが得られず「人生は無意味で受難である」という結論を導いた理論みたいです。 彼が求めるものは、宗教の世界にあるわけですけど、彼は、実存という唯物論にこだわり「木に登りて、魚を求める」ってことをやったわけでしょうね。
お礼
みなさん回答ありがとうございます 2度書き申し訳ないです