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漢文 反語
豈A哉 『豈にA(セ)んや』 は反語で「どうしてAするだろうか、いやAしない。」という訳ですが、これの否定で 豈不A哉 「どうしてAしないだろうか、いやAする。」にするとどういう書き下し文になりますか? 詠嘆だと『豈にA(セ)ずや』となることは知っています。 反語も同じように『(セ)ずや』となるのでしょうか? それともこんな形の反語はないのかな…
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『セレクト漢和辞典』(三省堂)に 豈不… あに…ナラずヤ なんと…ではないか。まことに…ではないか。主に感嘆の意をしめす。 とあります。juuuuuri さんの言われる「詠嘆」はこれに相当すると思われます。用例に孟子「「公孫衍張儀豈不誠大丈夫哉(公孫衍・張儀は、あに誠の大丈夫ならずや)」が挙がっており、「公孫衍や張儀は、まことの大丈夫ではないか」と訳されています。 回答No,1に bran111 さんの照会されている 而欲久蒙顯尊之位、豈不難哉(しかうして久しく顕尊の位をかうぶらむと欲すること、あに、かたからずや(実ニムズカシクハナイカ))。 も「詠嘆」と見た方がよさそうです。 「古文」の方では、「あに」を「打消し語」で承ける場合、反語でなければ、強い打消しとなり、「あに」は「決シテ」と訳します。 夏虫のひむしの衣二重着てかくみやだりは「あに」よくもあら「ず」 やほ日ゆく浜のまさごも吾が恋に「あに」まさら「じ」か沖つ島守 「あに」ただ如来は般涅槃したまは「ず」といふ 「あに」しか「じ」(決シテ及バナイ) 反語の場合は二通りの例があります。 (1)「あに」空といふ論も此れと過またひとしきにあら「ず」や これ「あに」博覧清潔にして世をのがれたるにあら「ず」や (2)「あに」恨みにあら「ざらむ」や というわけで、反語の場合も、詠嘆と同じに読んでもよさそうです。 ただ『セレクト漢和』には似たような構文の「豈非…」に感嘆と反語の両例を挙げて、読み分けています。 豈非天乎 あに天にあらずや まことに天命ではないだろうか。 豈非天威難犯 あに天威(の)犯しがたきにあらざらむや どうして天の威光は犯し難くないことがあろうか、いや実に困難なものである。 反語「豈不」の実際の訓読例を探すのは難儀なことですが、かろうじて1つ見つけました(日本漢文ですが)。 塚本哲三著『漢文考え方解釈法』1952年 有朋堂 先哲叢談「聖人豈不可学而至焉乎・聖人あに学んで至るべからざらんや」(これを学べばどうして聖人の境地に達せられぬ事があろうや・「焉」は一方では『大学』[トイウ書]を指し、一方では聖人を指して、「聖人はどうして《これ(大学)を学んでその境地(聖人)に至られない》という事があろう」という思想を表現している……。 また『広漢和辞典』では「豈不」を立項していますが、用例はありません。最初に「あに…ざらん」と読みを挙げ、(1)…反語…(2)「あに…ず」…感嘆… のように記述されています。 以上を勘案すると、漢文教育の現場では、原則「あに…ざらん」と読むが、詠嘆の場合にかぎり「あに…ず」とも読むのではないでしょうか。
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- bran111
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>反語も同じように『(セ)ずや』となるのでしょうか? 問題ないようです。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1065337700