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▽中国の古典・四書五経について教えて下さい。
▽朱子は、四書を、大学→論語→孟子→中庸の順に学ぶべきだと 説いたようです。つまり、だんだん難しくなるということだそうです。 ところで、五経、つまり、「易経(えききょう)」 「書経(しょきょう)」「詩経(しきょう)」「礼記(らいき)」 「春秋(しゅんじゅう)」、また「楽経(がっけい)」を含めて六経(りっけい)は、 どういう順序で読むのが普通であり良いというか望ましいのでしょうか? 更に出来れば、古い順、および簡単な順にも並べて欲しいです。 わかる方、教えて下さい。ご回答宜しくお願い致します。
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専門ではありませんので判る範囲でお答え致します。 先ず、「楽経」は、現在では伝わっていません。早くに滅びたのか或いは書物の形で残されたのではなかったのだろうと思われます。 次に、成立がはっきりしているのは、「礼記」です。これは漢代になって成立しましたが、元の全書は伝わって居ないと云う説と元々あれ丈のものだったと云う説とがありますが、多少は伝わっていないものがあるらしいです。元々は漢代に伝わっていた「礼」に関する書物を編纂したもので、「大学」と「中庸」とはその一部です。但し、「大学」は、朱子が再編集して補いをしているので「礼記」のものとは違ってきて居ます。 次は問題がある経です。それは、「尚書」です。「書経」と唱えるのは大分後世の事です。 現在、「尚書」として伝わっているものうち一部がずっーと後から作られたものが混ざって居ると云う事です。これは例の焚書坑儒で、巷にあった「尚書」は焼かれ、宮中にあったものは王朝が滅びるときに灰塵に帰しました。漢代になって密かに隠されているものや経書を記憶している人間を探した処、「尚書」を記憶している学者がいたので朝廷から使いを出して聞き取り記録しました。これが「今文尚書」です。しかしその学者も記憶していない箇所がありそれは逸になっていました。すると更に後世に孔子の旧宅を零したとき壁の中から出てきたという報告がありそれには欠けて居た居た箇所がありました。これを「古文尚書」といいます。折角出てきた「古文尚書」ですがまたもや戦乱で失われてしまったのですが、その後その写しが再度発見されます。これが真経として伝えられて居ましたが、清朝になって再発見の「古文尚書」は後世の偽文である事が証明されてしまいます。これを「偽古文尚書」と云います。 このようの事情ですので成立年代については学者によって意見が分かれ又、編纂ものであるのでこの部分はこの時代、あの部分はあの時代といった事もあります。 序に他の経も、「易経」は「周易」、「詩経」は「毛詩」と呼ばれていました。 又、「春秋」は単独の経ではなく普通は「伝」(経の註釈)が付いたもので読みますが、これには三伝といって三種類あり仔細に比べると経の部分が細かく異なっている箇所があります。又これらの「伝」の成立時期がはっきりせず異論があります。日本で良く見掛ける「春秋左氏伝」など、そもそもの註釈者の左氏は誰かという事からして異論があり成立時代がはっきりしません。 難しさの順序ですが、兎も角も「礼記」が難しいとされ、人形を使って学ぶのが良いとされています。 若し、お読みになるのでしたら、日本で口語訳や註釈書が多数出て居いる経から読まれては如何でしょうか。
お礼
▽LN-TF様、ご回答有難うございました。 べスアンにて御礼申し上げます。