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「諸行無常」の意味とは?鐘の音が永遠ではない響き?
- 平家物語の祇園精舎の鐘の声から始まる有名な1文です。この文には「諸行無常」という言葉があります。
- 「諸行無常」とは、現実世界のすべての事物が変化し続け、永遠のものではないということを表しています。
- そして、鐘の音が「永遠ではない響き」としてとらえられているのです。音は一瞬のうちに消えてしまうため、永遠のものではありません。
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文学の技巧で、「無常」という精神状態を「鐘の音」を並列させているのです。例えば「悲劇の起こった夜には雨が降っていた。雨がふるたびに、あの悲劇を思い出す…。」のような技巧です。悲劇が晴れた昼間に起こることは、現実社会で起こることは決して不自然ではありません。しかし、ある種の文学の世界では悲劇は「夜」「嵐」「崖」などを背景にして描かれることが多いのです。 もちろん逆に、晴れた昼間のお花畑で起こった悲劇だとすると、背景と悲劇の落差を描くことになります。 平家物語の場合は、鐘の音が変化したというより、平家が栄華を極めたが、それも長くは続かなかったという回想の場面に鐘の音を合わせたのです。作者にとっては、寂しそうなで悲しそうな音色に聞こえたのでしょう。
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- kamobedanjoh
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『常』とは『永遠不変』であり、「そのままの形であり続ける」という意味です。 『無常』は、上のような無変化な事柄などは有り得ないという意味です。 『諸行』は『あらゆる事柄』と解しましょう。 『諸行無常』で『この世に不変な存在は無い』ことを指しています。 『いろは歌』と共に味わってみて下さい。
お礼
回答ありがとうございます。 『諸行無常』で『この世に不変な存在は無い』ことを指しています。 諸行無常の意味は質問文にも記載している通り、意味はわかります。 ではその諸行無常の響きとは?というのが質問です。 「この世に不変な存在は無い」という響き、音?とはなんでしょうかというのが質問です。
- kine-ore
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一般的なテキスト(岩波文庫)の校注によれば、 祇園(コーサラ国(中部インド)祇樹給孤独園)の精舎(精進の堂舎)の「西北隅にある無常堂があり、収容された病僧が臨終を迎えると、その四隅の玻璃と白銀の八つの鐘が自然に鳴って諸行無常の偈を示しその苦を和らげたという」(該書15頁)とあります。 臨終に際し偈頌(ゲジュ)を奏で修行僧の死苦を慰める、いわば引導作法の響きなのでしょうね。 http://www.geocities.jp/kawai24jp/index-gejyu.html この冒頭文は七五調の対聯を成して、しかも前聯の漢語調と後聯の和文調もまた対句を成している、実に調べの高い韻文となっています。
お礼
回答ありがとうございました。 その岩波の校注が難しくあまり意味がわかりません。 引導作法の響きという事なんでしょうか。
- kzsIV
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gii won chiang ja-no kanenokoye:: chio gyang mu jiang-no pimbiki'arii
お礼
kaito-arigato-
- sacco102
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たとえば すごく愛しあって結婚したとしても そのときの気持ち(結婚した時の気持ち)がずっと続くわけではないですよね。たとえ事業が成功してお金持ちになったとしても それが続かないこともあります 信頼し合った間柄でも別れることもあります なによりも人はいずれ死を迎えますから 永遠なものなどありませんよね カタチあるものもないものも すべて変化し続けます 仏教と言うのは 物理的な表現と一致しているところがあります 響きというのは 音ですね 音というのは振動が伝わって聞えるものです その振動と言うのは空気を波のように伝わってくるものですよね そして この世に存在するすべてのものが 粒子でありまた波(波動)でもあるのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%92%E5%AD%90%E3%81%A8%E6%B3%A2%E5%8B%95%E3%81%AE%E4%BA%8C%E9%87%8D%E6%80%A7 この世に存在するすべてのものが 響き(波動)を持っています そしてこの世に存在すべての現象も 永遠でなく 鐘の響きのように(響きである波と同じであり)はかないものである ということではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 なんか、そういう感じがわかります。 ま、永遠ではないもののたとえで音になるんでしょうかね。
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
>祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり! 祇園精舎の鐘の音。 それが、どんなに由緒あり寺院であっても。 それが、どんなに高名な人に為に鳴らされたとしても。 やがては距離の2乗で半減して消えていく。 なぜなら、音波もまたある種の秩序であるからだ。 そして、それが秩序である限り崩壊していく運命からは逃れられない。 こえを、諸行無常と言わずして何と言う。 と、考えたかどうかは疑問。 単に、仏陀の没した時の状況を想起させることを狙ったのかも知れない。 あるいは、語り起こしの妙を競う内に、「そう、それがいい!」となったのかも。 私は、最後の自然成立説を支持しています。
お礼
回答ありがとうございます。 深い意味がなく、韻をふんでるかもしれないですよね。 あとから知識人と言われる人が意味を無理やり見出したと考える方が面白いですね。
- trytobe
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まあ、「人間、いつかは死ぬ」というのを忘れて悦に入る人間がいる、ということに釘を刺す最初のパンチと思えばいいかと思います。 鐘はたぶん、100年以上日の出・日の入りや午の刻を告げていくでしょう。 でも、その鐘を衝く坊主もどんどん入れ替わるし、それを耳にする人々も入れ替わるし、結局鐘の音が響く先として何百年も残っているのは、京の都の東山の山肌だけでしかないのではないでしょうか。 そう考えたら、鐘の響きの歴史に比べたら、自分が今行っている事柄や置かれている状況は「定常」ではなく「無常」なことを、鐘の響きを今しか聞けないかもしれない自分は悟るときがくると思うのです。
お礼
回答ありがとうございます。 深いですね。なんか回答がわからないです。 やはり、深く、難しい。ある種の哲学に近いのでしょうか。
- tsumiwara
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鐘は時を知らせます。 また、大晦日には煩悩を消すのに使われます。 消えゆく時を表していると思います。 宗派は問わず、お経を読んでみてください。 繰り返し、同じようなことが書かれています。 ご質問自体が深すぎて答えきれません。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 お経は色々と読んでみましたが、理解が深まりません。 ただ読んでいるだけではダメですね。
お礼
回答ありがとうございます。 文学の技巧だったんですね。 なんか一番スッキリしました。 ありがとうございます。 平家の凋落も関係して、単に仏教だけの話ではなく、平家の話と仏教の話を入れているですね。