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日本語と外国語、美しさの比較
- 日本語の美しさについて、日本語を美しいと感じる理由や特徴について述べています。
- 外国人も自国の言語を美しいと感じているのかについての疑問を投げかけています。
- 日本語の美しさについて、音の流れや単語の美しさなどを具体的な例を交えながら説明しています。
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2.(3.) 『日本語はなぜ美しいのか 』(集英社新書)というような本もあって、いろいろ理由付ける人はいるでしょうが、根本は「母語だから」に尽きると思います。 「野蛮な」を意味するbarbarousやbarbareという欧州語、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=barbarou&stype=0&dtype=1 似たような語源をもつ「鴃舌(ゲキゼツ)」という漢語、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E9%B4%83%E8%88%8C&stype=0&dtype=0 これら言葉の背後にあるような発想も、自国語に対する愛着の消息、裏面から見た消息ですが、をうかがう手がかりになると思います。 またたとえば、日本の詩歌や美文を外国語に翻訳したら、日本人が美しいと感じる主要素の「音・調」が消えてしまいます。下のように訳を対置させてみれば、日本語の「美しさ」を真に解するのは我々だけだ(日本語が第一言語の外国人もいますが)と日本人は思うでしょうが、同じ事を外国の詩文でおこなえば、やはり彼らもそう感じると思います。そしてそれは、容易に、○○語は「美しい」という母語に対する感懐に繋がっていくだろう、と。 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり When I saw you under the apple tree / With your hair swept up for the first time I thought you were the flower / In the flower comb you wore in front やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり When you gently extended your soft white hand / And gave me an apple It was the very first time I loved someone / With the pale red of the autumn fruit 石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。 今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。 They have finished loading the coal, and the tables here in the second-class saloon stand in silence. Even the bright glare from the electric lights seems wasted, for tonight the group of card players who usually gather here of an evening are staying in a hotel, and I am left alone on board. 3. 中国人の語学の先生が「中国語は世界的にも調べが美しい言語と言われています」とよく口にしていました。 2. 「日本語 母音 機関銃」で検索してみてください、日本語が外国人にどう響くかが出てきますよ。 1. 森鴎外に『渋江抽斎』ってありますよね、初めはあの素っ気ない文章に対しては砂を噛むような印象を受けるばかりだったのですが、繰り返して読むうちに、また漢文に多少親しむようになってから、あの文章に「砂漠のような清潔感」を覚えるようになってきました。母語とはいっても言語(後天的に身に付けるもの)である以上、こちらからの働きかけないと、その美はわからずじまいなんでしょうね。
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”日本語は美しい”との主張はある面正しいでしょう。しかし、各言語を”母語”とする人々は”それぞれ、自分の母語が一番”と思うのでは?そうでなかったら、”それぞれの言語にて書かれた”文学作品”は存在し得ないと思います。 私が言いたいことは”日本語だけが美しい”のではないといと言うことです。 私個人的には、ドイツ語 は 結構美しい言語 だと感じております。実際には、そう言い切れるまでドイツ語を身に付けている訳ではありません。これこそ、私個人の”妄想かも”知れませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 >私が言いたいことは”日本語だけが美しい”のではないといと言うことです。 もちろん私もそう思っています。 外国語には、日本人ではわからない美しさがあるでしょうし、 また日本人(他言語を使う人)だからこそ美しいと感じる外国語もあるでしょう。 >私個人的には、ドイツ語 は 結構美しい言語 だと感じております。 いいですね。私も外国語を美しいと思える日が来ると良いですが、それには相当な努力が必要なのでしょうね…うらやましいです^^ 今回このような質問をしましたが、結局は比べることなどできない問題だと改めて感じました。 素朴な疑問だったのですが、いろいろと皆さんのご意見を聞かせていただき嬉しく思っています。 wy1さんには申し訳ないですが、この場をお借りして改めてお礼申し上げます。 ありがとうございました。
- cryforty
- ベストアンサー率66% (16/24)
日本語は漢字、仮名、カタカナと同じ言葉を異なる表記で微妙にニュアンスに変化をつけられるので、歌人や俳人が文字の見た目に細心の注意を向ける程度(美意識)は、やあるいは世界的に見ても際立ったものなのかもしれませんね。 日本はそうしませんでしたが、表意文字を使っていた民族が表音文字を手に入れると、前者の方は捨ててしまうものなのだそうです。 以下、美的な話ではありませんが参考意見ということで・・・ ある英語の先生が、志賀直哉の『城崎にて』の英訳と原文とを比較して指摘してたことなのですが、 或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転っているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程そのままになっていた。【それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。】他の蜂が皆巣へ入ってしまった日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。 【 】内の「淋しかった」を英訳すると主語を明示する必要があるわけですが、 【It gave me a feeling of utter quietness. Of loneliness.】 (ofで前文のfeelingに接続させている。サイデンステッカーの訳です) 日本語の方は、「淋しかった」の主語を明示しないために、淋しさに浸透力があるって言うんですね。すなわち、死んでいる蜂の姿は淋しく、それを見ている私も淋しく、生きと生けるもの淋しい、といった具合に、感情に広がりや重みを持たせる効果がある、と。
お礼
再度の回答ありがとうございました。 表意文字と表音文字についていくつか調べてみました。 前者は見た目を重視し、後者は音の響きを重視すると書いてあるのを見つけました。 言葉とは面白いものですね。調べると興味深いことがたくさんわかります。 日本語の主語についてもいろいろな意見があるようですね。 質問の内容とはずれてしまいましたが、とても勉強になります^^
- eureca
- ベストアンサー率56% (18/32)
1.日本語は美しいと思います。特に、やまとことばは美しいひびきがあります。流れるような仮名文字の水茎のあともたおやめぶりを感じさせる視覚的な美しさがあります。 2.難しいですね。それぞれの言葉にはそれぞれの美しさがあるのではないでしょうか。 3.多分、美しいと感じているのではないでしょうか。詩を創るという行為は、まさに言葉の美しさの霊力を感じてという側面があると思います。古代の文学は東西を問わず、韻文で書かれているものが多いのはやはり言葉に美しさを認めたからではないでしょうか(紙が発明されていない時代ですので、韻文の方が覚えやすいという側面はあったにしても)。
お礼
回答ありがとうございます。 >やまとことばは美しいひびきがあります。流れるような仮名文字の水茎のあともたおやめぶりを感じさせる視覚的な美しさがあります。 外国人の友人で日本語の特に「やまとことば」にこだわっていた方を思い出しました。
- artofauror
- ベストアンサー率23% (91/393)
1、使う人にもよりますが……自分は美しいと感じております。 2、これは誰にでも言えることだと思いますが、人は自分が好きなことや思い入れのあることに対して、絶対的な誇りを持ち、それを美化します。それ故に日本語に対しての思い入れが大きくなるほど、これほど美しいものは他にはないと感じるようになるのだと考えます。勿論、これは良い意味で言っています。そうやって周りに、その良さをアピールすることが出来るのは、本当に好きでなければ無理ですからね。 3、沢山いるでしょうね。やはりそれぞれの国の人にとって、母国語と言うのは、特別な思い入れがあるものだと思いますからね。
お礼
回答ありがとうございます。 <それぞれの国の人にとって、母国語と言うのは、特別な思い入れがあるもの そうですね。そうあってほしいです。 ご意見とても参考になります。
- macha73
- ベストアンサー率25% (1/4)
漢字にはそれぞれ意味がありますし、それらを組み合わせて出来ている言葉は美しいと感じる時があります。 グローバルな視点から、漢字は人気があります。 海外ではタトゥーで入れる人が多いからです。 これはものめずらしさというのもあるのでしょうけど。 フランス語は美しく聞こえるように作られた言葉だそうです。
お礼
回答ありがとうございます。 漢字には意味がある。これは大きいですねよね。 たまーにおかしな漢字のプリントのTシャツを着ている外国人の方を見かけます。 黒地に白で大きく「侍です」・・・これが一番笑えました。 逆に日本人がよく着ている外国語のロゴも外国人からしたら笑えることもあるのでしょうね。 フランス語については…確か北村薫さんの小説で同じような表記を見た覚えがあります。
お礼
回答ありがとうございます。 目から鱗のご意見です。 私は「日本語」と一口に言っても、漢字などの視覚的なもの、あるいは古典・和歌などに代表される独特な書き方、に重きを置いていました。 「話し言葉としての日本語」についてはあまり考えていませんでした。 …が、検索してみると面白いですね。 新たに視野が広がって嬉しいです。 翻訳すると美しいと感じる要素が消えてしまう。 これは非常に残念ですね。 伝わらないのも悲しいですが、日本人が外国の詩文を彼らが美しいと感じるように、感じることができないのは本当に残念です。 普通の小説でも訳すのが困難な文章はいくらでもありますから 詩歌となるとさらに難しいのでしょうね。 なんだか、強いもどかしさを感じてしまいます。 貴重なご意見ありがとうございました。