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定義、言葉の壁
- 人間のコミュニケーションは言葉を通して行われますが、言葉には限界があります。
- 他の動物と同様に、人間も行動や形態でコミュニケーションを取ります。
- しかし、人間は言葉によるコミュニケーションに加え、約束事や秘密の暗号なども使います。
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先程お返事を頂いた者です。 隻手の声。 存じませんでした。 なんて素晴らしい言葉なんだろう! と、少し鳥肌が立ちました。 素敵な言葉を教えて下さって、 本当にありがとうございました! 爽やかな いい、朝になりました。
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- kanto-i
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言葉の壁の話しは、自分の中で簡単な形にまでなってないので割愛させて頂きます。 定義は、「共通認識の確認」の意がありますので 取り敢えずは、無いと困りますよね。 言葉に真理を載せられるかは、私はまだ分かりません。 絶対に載せられないと言う確認が、私にはできていないからです。 本当は、できるかもしれないと思っているんですが(笑) 全てが明確になった時、おそらくは分かるでしょうから保留です。
お礼
書き込みありがとうございます。 現実には認識が共有されているとは限らないので、「定義」と言うのモノは、一々、事に当たる度に行わなければいけないモノだと言えます。 ですので実際には「前提」が活用されています。 そもそも共通の「定義」は存在し得ないとも言えるのです。(と言う様な「定義」もまた、自身により否定されたりする堂々巡りの愚挙w) 「定義」の本質は、「心を落ち着かせる」(と思い込んでいる)為の技法の一つです。 降り積もる雪は、その一粒一粒全てが積もるべき所に落ちています。 何処に落とすかを「定義」していては、落ち着きはしないでしょうね。 真理は言葉には載せられませんが、引っ張るくらいは出来ます。 手繰れる言葉に出会えるといいですね。 お相手ありがとうございました。
殆ど通じ合えない。定義が違うから。 でも、全く百%通じない訳じゃないし、 通じたものを正しいかどうか確かめる必要が ない場合も多い。 相手が当方の話から、何がしかの理や利を 得られれば、それでよし。 そう割り切ってしまえば、海に流す手紙の入った 小瓶のようなものだ、私の言葉など。 私は別に、それで構わない。 他人様に押し付けて鼻の穴をふくらませるほど、 大切なお言葉など、私の口から出るはずもないのだから。 こちらの言葉から、相手方が自分でも封じていたり 気づいていなかった正直な気持ちや、本心を言葉にして くれるなら、こちらの話した内容など相手方にとっては ただのトリガーでしか、ないのだもの。 それで良い、と私は思うのです。 定義を統一することは議論には必要でしょう。 でも、普通のコミュニケーションの中では、相手の定義で 話が出来るか、を求められます。 難しい、ことなんですけどね。
お礼
書き込みありがとうございます。 “海に流すメッセージ・イン・ア・ボトル”ですか。いいですね。 “ただのトリガー”正にコミュニケートの真髄ですね。 隻手の声が聞こえそうです。 伝わった気持ちに成れましたw とても楽しい文をありがとうございました。
- majimemaru
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言いたい事は分かりますが、それでも「定義」を共通に認識して話さないといけません。 例えば、日本の集団的自衛権の議論は、そもそも「集団的自衛権の定義」が分かっていない政治家やマスコミが議論するから、議論が成り立ちません。国民も分かっていないので、この話題はいつもちんぷんかんぷんな議論で終わります。 国際的には、基地提供も集団的自衛権と定義付けられます。そのため、軍隊を持っていないアイスランドが、NATO軍と集団的自衛権を結べた理由は「有事の際、アイスランドの基地を提供する。」その事が集団的自衛権と認められたからです。つまり、日本は米軍に既に基地を提供しているので、米軍との集団的自衛権は既に行使されています。 しかし、日本のマスコミや政治家は、その「国際的な定義」は無視して、海外派兵が集団的自衛権だと誤った定義で議論します。そして、集団的自衛権を認めるかどうかと言う話しを、「誤った集団的自衛権の定義」で話し合われるので、真っ当な議論が出来ません。 集団的自衛権を認めるか否か。と言う議論で、そもそも集団的自衛権の定義が誤っていても定義を明確に正す必要は無いと思いますか?そんな定義がいい加減で、真理(国にとっての真理とは、国益をどうしたら守れるかと言う事)を追究した議論が出来ると思います? それで、どっちが正しいか、その定義はどうするの?と思う方は、正しいかどうかの定義は、国際的な客観的事例で判断すればよいです。 この問題は国内問題ではなく国際問題ですので。国内の解釈は無意味です。アイスランドの事例を見れば、基地提供をした時点で集団的自衛権であるという定義が正しいと言えます。 普通の会話で、定義に敏感に反応していちいち言うのは野暮ですが、きっちりと話さないといけない場はあります。そう言う事を曖昧にしている日本人が投票する政治家だから、曖昧でいい加減な議論しか出来ない駄目な政治討論になるのです。
お礼
書き込みありがとうございます。 政治の世界は、人生の意味を追求する生き方の真逆の世界ですからね。 揚げ足取りの上手い人間ほど、利益を確保出来ます。 六法全書等も文字が溢れかえってインフラを起こしているほどです。 常に「記述」と「解釈」の鬩ぎ合いです。 ご意見ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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#1の者です。 すみません、先の書き込みの「組合せリール」は、 「組合せルール」の間違いです。 お詫びして訂正いたします。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
動物の場合は、言語=複数の定義の組合せによる 意識的再構築ではなく、無意識的な反射行動である 場合が多い。 言語が真理であるためには、前提となる用語とその 組合せリールの定義を、数学的あるいは論理学的に 明確にし、その公理系の範囲で論理展開する事が 前提となる。 しかし、論理学におけるゲーデルの不完全性定理に よって、「公理系は、不完全(その公理系の内で証明 できない公理の介入)である場合のみ、無矛盾(Aと 非Aを同時に導かない)」という証明がなされた。 つまり、「真理」の意味する、「論理的に破綻しない」と 「内容が矛盾しない」という2つの要件が、両立しない 事が明らかとなっているのだ。 「定義」だの「論理展開」などというと、何となく不明瞭 な感じがするものを、素数の演算に置き換えてみせた 「リシャール数」を用いた鮮やかな証明のプロセスは、 人類の英知の頂点とも言える華麗なものであり、ぜひ ひもといてみて欲しい。
お礼
書き込みありがとうございます。 ピダハン語 - wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%80%E3%83%8F%E3%83%B3%E8%AA%9E ちょっと面白いですよ。 まぁ、それだけですけど。 ありがとうございました。
お礼
書き込みありがとうございます。 何と素晴らしい言葉を操るのでしょう。 嬉しくなってしまいました。 幸せを感じます。 ありがとうございました。
補足
言葉では直接には、意図は伝わり得ないモノですが、それだけに通じた(と感じられた)時の幸せは大きな物です。 人は孤独で、そして繋がっている・繋がろうとする生き物ですね。 ベストアンサーとさせていただきます。 ありがとうございました。