- ベストアンサー
「社会」の定義って?
「社会」とは何でしょうか? アリやハチのような中央集権型で遺伝子コントロールされる社会もありますし、人間のように(完全でないにしろ)自発的に行動する社会もあります。また、多細胞生物は細胞群の社会だとも思われます。 そう考えると、どのような定義が最もふさわしいのか解りません。 「社会」の定義ってなんなんでしょうか?皆さんで統一できないものなんでしょうか?
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
個体と定義され得るものが、その相互作用を制御して、 単純なエントロピー増大(個体間の生存競争)ではない、 組織化された行動をとること。 生産における分業化や、権力者による統治体制が、 定義の起源だが、交配における有性生殖のための ファミリーや細胞の組織性も、「社会性」として 捉えられることが多い。
その他の回答 (7)
自己と組織について、与えられたイメージに対処するのではなく、自らを定義づけをし、承認できるときに自由は生まれる。 けれども、環境を変化させ、創造してゆこうとするには協働しなければならない。新たに人間のために組織を築こうとするときには、「自我が全体」であり、その実現を希っていることがその根本原理にならねばならない。
Autopoiesis
- fishbowl66
- ベストアンサー率29% (36/121)
面白そうな実験ですね。 人間の社会だけでなく、生物一般の社会について、 適当な定義を表現する、コトバをお探しなのでしょうか? その場合、 「社会とは、再生産される傾向性のことである。」 細胞は、DNAの分裂によって、同じ傾向をもった塩基配列を再生産します。 ハチは、繁殖によって、同じ行動様式をもつ次世代を再生産しています。 人間は、そうした生命的な再生産の上に、模倣による傾向の再生産も行います。 こうした中で、人間だけが、再生産される社会を、考えることができる、 と、いうことを、楽しめれば幸いですが。 ちなみに、模倣は、ガブリエル・タルドの説です。 ちょつとした、気分転換のいい加減な書き込みです、 ちょっと見ただけでも、上記定義には、原動力になる力の概念が欠如しています。 どなたかが、修正していだけると、面白いですね。
お礼
ありがとうございます。 社会進化には2タイプあるそうです。自然界において。さらにそれらはどちらかが優秀というわけではないそうです。それらは、中央集権型の「アリ型進化」と、ネットワーク型の「ヒト型進化」だそうです。現代社会は皮肉にも後者から前者への移行が進んでいます。前者の特徴は「他律的社会化」で、人間個体の外側の要因によって動かされる、というものです。 例えば「お金に困ったから働こう」「権力が怖いから黙っておこう」「人気があるから従おう」などです。全て自発的とはいえない行動の動機でしょ?
失礼しました、下記のURLに誤記がありました。 http://meigen.shiawasehp.net/k/koushi04.html
自分で考える事は、大事ですが、それだけでは危ういと思います。 孔子が次ような事を言っています。 学んで思わざれば則ち罔し 思うて学ばざれば則ち殆し http://meigen.shiawasehp.net/k/koushi04.html >No.1さんが、どんな学者の書いた辞書より解りやすいようにおもえますが。 分かりやすい・・・辞書は、あんな分かりにくく書きませんよ・・・
辞書、ネットでの検索はしてみましたか?
補足
私は、No.1さんが、どんな学者の書いた辞書より解りやすいようにおもえますが。あえて辞書は見ずに自分の頭で考える意味が重要と思います。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんばんは。 つぎのように考えます。 1. ヒトは 孤独なる生物であり 孤独であることを自覚できる存在である。 2. ヒトはおのれの孤独を知るようになると これを突き詰めて行って おのれと同じような存在がほかにもいると知るようになる。つまり 孤独は 孤独の関係であると知る。 3. 言いかえると 関係性が――人間関係ということなのだから―― 〔ひとは〕社会〔を形成して生きること〕を意味する。 4. 人間は 社会的な独立存在であると同時に 社会的な関係存在である。 5. この《社会》は 一般に個人の生活が 社会的生活であることを意味するのであるから そこではおのおのの仕事が《分業=すなわち協業》というかたちを採る。 6. この社会生活において 人びとはムラならムラという一定の社会単位体として 収穫や共生そのことに感謝するこころを持った。(神を持ち出しても持ち出さなくても よい)。これは 《まつり》である。 7. マツリは 旧い表現で言えば 収穫物を神々にささげるのであるから むらびとたちが一年に一度おこなう《神々との共食》である。おそらくこのマツリを軸にして季節がめぐっていたと思われる。 8. そのようなマツリが 共生の中核であるのならば 人間の中には このマツリをおれが牛耳ってやろうという者が出たに違いない。 9. ありとあらゆるムラムラのマツリをひとつに束ね その雲の上から《まつりごと》という宗教かつ政治をおこなう人間が現われたという恰好である。 10. かくして――その詳細ははぶくことにして―― 《社会》は 分業=協業というかたちをとるとき やがていちどは《ムラムラのマツリ》と《クニのマツリゴト》から成るという構造を持つようになった。 11. つまり 社会は――そのわれわれの共生の形態は―― 二階建て構造を採った。マツリだけのころは 平屋建てであったのだから。 さしづめ この《二階建て構造――つまり 国家という社会形態――》は必要かという課題を持ちつつ このような簡単な定義で足りるのではないかと考えます。どうでしょう?
補足
質問に書きましたように、多細胞生物と、その細胞個体との関係性まで、考慮した「定義」の統一が必要ではないでしょうか?「全体と個体」の関係が定義化への道のように思えます。 レスありがとうございました。
お礼
御礼申しあげます。 質問に書きました「皆さんで統一できないものなんでしょうか?」に対する考えが浮かびません。よろしければまたお教えください。
補足
お答えありがとうございます。 しかし哲学好きの集まる場では、そうした認識は受け入れられず、おそらく様々な例を並べて「これが社会や」というのみに終わる可能性が高いと思います。 社会の定義が人間によって「それぞれ」では困るのですが。 いかんせん、そのような状況かと。