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逆説の日本史がヒットした理由とは?
逆説の日本史がヒットした要因は何だと思いますか? ・今まで思っていた通説を覆すような意表をついた内容が、歴史好きの人の興味をよんだから 自分は、えっ?と思うような異論を述べたあと、それを理詰めで証明していき納得させる道筋 かなと思ってますけど、他に何かこういう理由もあるんじゃないかというのがありましたら、教えてください。マーケティングコンサルタントになったつもりでお答えいただけると嬉しいです。 たとえば、これから本を出すにあたって、「どうして、逆説の日本史は売れたのだろう?」と分析するような気持ちでお答えいただけると嬉しいです。
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- shirouuda
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訂正。申し訳ないが私のATOKが変だ。 ×伊賀国一揆 ○伊賀惣国一揆
- shirouuda
- ベストアンサー率17% (14/78)
下記の例をあげる。 土佐の一条氏は戦国大名になっている。近衛前久は織田軍に従軍している。 伊賀の有力農民が武装して立ち上がっても、どの大名にも認定されないから、「武士団」とは呼ばれず、「伊賀国一揆」。 また、名主と地侍の区別は、大名権力による認定の有無による。名主も武装していたが。
- shirouuda
- ベストアンサー率17% (14/78)
まず、井沢本のエエ加減さについて例証し、その後に、このエエ加減さが売れる理由について述べたい。 (1)公家が「武」を捨てたのは江戸時代になってからである。公家でも戦国大名になった者や織田軍に従軍したものもある。平安時代の公家が「武」を捨てたように見えるのは、江戸時代の松平定信や大岡忠相が戦わないのと同じく、単に平和な時代の文官的な権力者だったからである。また、貴族=公家でもない。貴族に、文官的な公家と武官的な武家があるのだ。どちらも貴族。 (2)農民が武装して勝手に武士になれる訳では無い。そんな説は40年前の説。今時、中学校の教科書にももっと進歩した説が書いてある。都の軍事貴族や武芸者が地方において国司の軍を編成したのだ。その名簿に載った者が武士。もっと後の戦国時代においても、有力な農民が武装しても武士とは認識されなかった。大名の権力において認定されなければ武士たれなかった。 ☆井沢氏の武士と貴族の論は、「現場で苦労している人間をもっと大切にしろ。」「エリートは楽して儲けていて、腹が立つ。」「学者は気楽でエエよね。」と言った感情に支持されている。かつてのこの種の感情は、英国のサッチャー首相が喝破したように、左翼が吸収していた。今は、左翼がなくなりつつあり、その代替物として、日本では井沢本が売れるのである。
- kenken235
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今まであまり触れられてこなかったタブーではないですけど、そういう所に関係なく踏み込んで発表し続け、閉鎖的な学会に一石を投じているところも、共感を呼び、読まれている要素があると思います。柔軟な発想で先入観なく勇気をもって書かれていると思います。専門用語が多かったり理解するのが難しい敷居が高くとっつきにくいような学術的な本というのではなく、普通の人でも手にとりやすく、読んでいても身近な視線と文体で読みやすいという所があるのだと思います。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
井沢が規定する「歴史」は所詮、空想に基づくエンターテイメントでしかありません。歴史を検証する際の基本である「史料」と「史料の突き合わせ作業」すら行わないのですから、妄想を逞しくすること以外の結論を導き出すこともできません。 慈照寺の屋根にある鳳凰像が権力者をシンボライズする、ここまでは一先ず認めても良いが、その後がこじつけでしかない。それが慈照寺にしかないとするのは明らかな事実誤認であり、それ以前の平安期には既に平等院の屋根に左右対称の形で向き合って飾られている事実を無視することは到底許されるべきではない。 更に言えば、権力者としての足利義満が「なぜ国王号を使用したのか」といっても、国内向けの発給文書には一つとして、それを確実に示す史料も現時点では確認されていない。 歴史は確実な根拠に基づいた上で、それを拠り所とし、それらを具体的な方法論および分析視角に基づく緻密な論理構成によってのみ、歴史像として綴られもする。 従って、デタラメな仮説の上に仮説を立てる行為は観念論の域すら既に逸脱もしている 笑
- ssssan
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週刊ポストに連載の井沢元彦さんですかー良いですよねー歴史を詳しく説いて繰れてフアンなんです、私も。 歴史家とか歴史かじってる学者連中が今まで安易過ぎた結果が井沢さん人気じゃないかなー、歴史に関わる前任者連中が筋道立てて理に適ってる事書いてれば井沢さんの出番何て無かった分けですからー何にも今までして来なかったから井沢さんに陽が当たってるだけじゃないのー井沢さんの努力は否定はしませんが。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
あんなデタラメでゴミ同然の存在も珍しいですね 笑 有害であっても新たな知見などどこにも見当たりません。専らミステリー小説紛いの想像物語でしかありませんね。馬鹿馬鹿しいことこの上なし。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
ヒットする理由は「面白いから」以外にはないでしょうね。 同じ内容でも書き手の腕が稚拙では、どうしようもありません。 歴史を研究している人間なら、既に既知の情報であるのですから、わざわざ買う事も無いでしょうし、大体研究者人口等が微々たる物です。 結局、「素材」に対する切り口と「処理」「調理」の仕方で、美味しく頂けたという事でしょう。
お礼
ありがとうございます。 確かに同じ事実をかいても書き手によって面白く感じたり、退屈に感じたりしますものね。 確かに、「私は正しい。なぜなら~」からが数学の証明や、あるいはミステリーを見ているようで、面白いと感じました。 「調理の仕方」。なるほどと感じました、ありがとうございました。
- kingyo_tyuuihou
- ベストアンサー率30% (1237/4120)
切り口が非常に斬新で面白い。というのに尽きると思います。 ありていにいうと世の通説は実は通説とは呼べない お粗末なものでありました。ということですね。 ただ、私の仮説は正しい。から3段論法が始まるので、 世の歴史学者さんを切る刀で自分を切っているのに 気がつかないのか。それとも気にしないのか。 というのがちょっと気になるところではあります。
お礼
ありがとうございます。 切り口、確かに本当に面白いですよね。こういう見方もあったのか、という視点の付け所に感心させられたこともあります。 「確かに私の仮説は正しい。歴史家は~」と言ってますけど、それ自分にも当てはまってる部分てありますよね。資料に対する井沢さんの考えかたとか、そんな気がします。 ありがとうございました。
- 川原 文月(@bungetsu)
- ベストアンサー率51% (834/1628)
こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 確かに、井沢氏は広義での歴史家が見落としていたような小さな部分を取り出し、それに対する井沢氏の「個人的見解(推論)」を展開していますので、 「なるほど、こういう見方もあるんだな」 などと感心?させられる部分は確かにあります。 しかし、例えば、 ★殿中松の廊下の松の絵柄は歌舞伎で見られるような大きな松は描かれていない。 なども、まあ、確かに近世になって松の廊下の下絵図が見つかったこともあり、「ごもっとも」と頷ける部分もありますが、 史家から言わせれば、松の絵柄が大きかろうと小さかろうと、実際に松の絵が描かれて「松の廊下」と呼ばれていたのだから、そのような事をあえて「ひけらかす」ほどのものでもない・・・と、冷ややかな目で見ています。 まあ、このOKWaveでも、 ★信長を討った黒幕は羽柴秀吉だ。 などとの推論を堂々と展開する人もいますから・・・。
お礼
ありがとうございます。自分は忠臣蔵の巻は読んでいないのですが、ただこの本、真の歴史家から見るとどう映っているのかな?という疑問は持っていました。 確かに井沢氏の本を何冊か読んで自分も、小さなことから持論に持っていく過程がちょっと強引かなと思える部分も感じました。 なるほど。ありがとうございました。
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お礼
ありがとうございます。私は、まだ知識がそれほどないので、面白く読まさせていただいてますが、人によってはそういう見方もあるかもしれませんね。 確かに裏付けがないという点で想像物語でしょうけどでも、自分はけっこうその想像物語も好きだったりします。ありがとうございます。